プロローグ
アメリアン合衆国はウォールズ王国との独立戦争を経て、一八〇〇年までに東部を急速に発展させた。
無論、この時期あたりから西側を目指す膨張主義が台頭し始めるのは不思議なことではなかった。その背景には北からはベルム帝国、南からはキセバルク共和国の探検隊が太平洋岸に進出してきていたことも関係していた。
当時の大統領が議会で西部探険の予算を承認させると、信頼のおける陸軍将校に探険隊隊長の任を与えた。しかし、世間の期待とは裏腹にその探険は失敗に終わる。要因は厳しい自然環境や先住民の襲撃など多岐に渡るが、最も大きいのは『原生生物』とその『魔獣』だった。
アメリアン大陸の先住民『アンスロ』は極西部には決して踏み込まない。ドラゴンをはじめとする他では見られない巨大生物の生態系がそこを支配しているからだ。また、動物や植物の中には人間と同じように魔術を扱う個体も存在する。それを『魔獣』と呼ぶが、西部には異常に『魔獣』の個体が多かったのだ。それらの障害から探険隊は全滅という敗北を喫したのだった。
それから何組かの有志の探険隊が西部に足を踏み入れたが、成功と呼べるような成果を残せたのはほとんどいなかった。世間には西部はアンスロすら住めないデンジャラスな空白地帯というイメージが浸透し、西部探険の風潮は霧散した。
だが、時代が移り変わる。アメリアンは西方諸国との相互不干渉を掲げる孤立主義を展開した。これは少なからず、国民の関心を国内そして未開の西部へ向けた。
また、一八三七年には大規模な経済恐慌の嵐が吹き荒れた。これは現状への危機感を抱かせた。そして、明白な天命という価値観は西部開拓に使命感すら与えた。
幾重もの出来事が重なり、一八三八年の『アメリアン探険・冒険会社』の設立を契機に西部開拓熱が一気に高まった。
『大冒険時代』もしくは『西部開拓時代』の始まりである。
初期の冒険者は野心溢れる毛皮商人や、危険を顧みないマウンテン・マンが多かった。彼らの功績は大きい。一年足らずで、未開の地に幾つかの『砦』を建設した。次第にそれらは交易拠点や開拓拠点、街としての機能を果たすようになり、さらなる冒険者を西側に呼んだ。
探険・冒険会社は最西にある砦を結んだ地理的な線を『フロンティア・ライン』と呼び、その線より西を『未踏陸』と呼んだ。フロンティア・ライン上の砦には必ず『冒険者ギルド』が設けられ、現地での冒険者登録を基本とした。冒険者の主たる使命がフロンティア・ライン以西の冒険にあったことはいうまでもない。
公有地政策で売り出された西部の土地は貧しい農民にとっては手の届きにくい値段であった。そのため、購入する土地を担保に銀行で金を借りるか、単位土地面積あたりの値段は高いが最低購入面積の制限がない土地所有者から購入するかしかなかった。
そこで一八四一年に『冒険活動従事に対する特別待遇』が制定される。これは三年以上、西部で冒険者の活動に従事すると面積の制限はあるが無料で公有地を得ることができた。これにより農民や移民も世界中から広大な土地を求めて、冒険者に参加することとなる。
このアメリアン全土、さらには西方諸国すらも巻き込んだ大潮流は西部への移住増加を生んだ。
フロンティア・ラインが西側に押し上がり、冒険者の残した足跡を辿って開拓農民や、野心のある企業家、移民、東部の工場労働に疲れた労働者が元フロンティアに移住すると、そこは準州として自治が認められるようになり、人口が一定のラインに到達すると州として合衆国の一員に加えられた。
一八四六年から一八四八年にかけてキセバルク共和国から独立したアラカイアと、アメリアンとの間で国境付近の領土を巡って戦争が勃発した。この戦争はアメリアンの圧勝で終わり、アラカイアはアメリアンにそれまで支配していた大陸西岸を明け渡すこととなった。
これは西部開拓のゴールを明白にした。冒険者の目的地は遥か西方、未踏陸の果てにある大洋に定められた。
これから始まる物語は一八六○年の大冒険時代全盛、歴史の一単語に残された冒険者たちの静かな冒険。