第一王女アテナ・ネレウス ①
────ネレウス王国。
世界樹より北に位置する王国で三カ国の中でも平和な国。
獣人、亜人、エルフなど種族を問わず誰もが好きに暮らせる自由さ。
冒険者や魔術師を目指す者たちにとっての始まりをサポートするギルドの創設や貿易の拡大。
まだ見ぬ世界に旅立つ者にピッタリである。
だが、そんなネレウス王国では最近妙な噂が広がっていた。
『魔狼病』を治療する方法としてネレウス王国の地下深くに存在する『ウルズの泉』の水を浴びることができれば完治する、と。
当然、現ネレウス王国第十二代国王であるシリウスはこの噂を否定した。
「この噂はデマである! 『ウルズの泉』というモノは存在しない! 騙されるな!」
────けれど、王国は何かを隠してるのは事実。
先日に起こった魔獣の襲撃。
聞く話によれば遠征に向かっていた騎士の骸が『魔狼病』に感染しており、被害が起こったとか。
そして、何より魅せられた白銀の光。
国民の疑問は増えるばかりである。
♢
時は遡り、シエルがリゼットと会話する少し前。
王城の談話室にてとある二人の人間の会話が行われていた。
片方は作り笑顔で相槌を挟み様子を伺いつつ隙を狙い、もう片方はただ自慢話を披露するように淡々と言葉を吐いて自分で頷く。
大きめのソファーが壁際と扉側に一つずつ、中央に暖炉があり上には上品なシャンデリアが部屋を照らしている。
「まさかアテナ様が私の会話を熱心にお聞きになるだなんて、明日は雨ですかね?」
「あら? そんな天気が変わるほど異常気象でした?」
「いえ、誤解なさらないでくださいな。あくまでも私なりの冗談です〜」
「ふふっ、冗談がお上手ですね♪」
笑い声だけは笑ってるように聞こえる王女アテナ。
いかに自分が聞きたいのは別の話だと幼い眼光で睨みつける。
対する相手はテトム。
ニヤニヤとした不気味な笑みを崩すつもりもない顔は何を考えてるのか不明である。
「それよりも早くお聞きしたいのですが、『大天使』様が復活したと見てよろしくて?」
「姫様、言ってる意味がわかりません。私自身としては全く理解のできない話題ですが」
「では質問を変えます。三カ国の間で最早広まっている可能性が大きく、市民の噂は風より早く広まります。百姓や商人に小さな子どもに至るまで時間の問題。ドクター、もう一度お聞きします。本当なのですか?」
「……どちらとも言えないのが一番の返答なのですが、ここからは私の個人的な意見を交えて話させていただきます。よろしいでしょうか?」
「えぇ、お願い致します」
「では僭越ながら、お言葉を申し上げますと半分、もしくはそれ以下です。どんなに噂こそ大きく出ようとも見かけ倒し。私も姫様と同意見であると信じておりますが……むしろ難題だと思います」
短く簡潔に言葉を吐いたテトム。
ニコッとして見せる顔の裏に隠した本音。
表向きで自分の意見と感想を交えて話をすることで率直な意見として捉えられる。
敢えて相手と同じという同調意識を持つことで共感を得ようとする、まるで手品師のように。
「信じるか信じないかの二択では判断しなかねます、どうかご容赦を。あっ、紅茶いただきます」
「では、私から提案なのですが────私の騎士になっていただくというのはどう思いますか?」
ティーカップに手を伸ばす手が止まる。
ニコッと笑う王女に一瞬焦りを覚えたテトム。
むしろ後手に回ったことが不味かったのか、わざと咳払いをしてから改めて喋り出す。
「それはどういった意図ですか?」
「深い意味や思惑はありません。王国騎士団では不満というわけでもありません、ただ私が一方的に興味がありますの」
「興味、ですか? 失礼ですが、あまり深入りするのは危険だと思いますが? 未だ未知数の魔剣を使っているのです。万が一があってからでは対処策を考えないといけませんので」
「あなたの言い分も確かです。でも、私は一人の王女として国民の誰よりも安全性を訴えなければなりません。まだ仮にも次期後継者として行動する良い機会だと思いました」
紅茶の入ったティーカップを手に取って口に運ぶ。
ほんのりと香る甘い果実の匂い、程よい温かさで身体全体の緊張を解すような感覚。
普段から好んで飲まないタイプの飲み物に思わず、テトムは顔をしかめる。
「お口に合いませんでしたか?」
「いえ、とんでもない。あまり飲み慣れない味わいだったので、どう感想を述べたほうがよろしいかと迷っていました」
「ご感想は?」
「とても、美味しいです」
────実は好きじゃないとは言えない、か。
いくらテトムといえども王族相手には気をつける。
適当に返答して誤魔化す手筈が上手くいかない。
ドクターともあろう自分が一番理解できない人間のタイプ、苦手とする相手。
「姫様。ついで、と言ってはなんですが『ウルズの泉』は存在するのですか? 近頃噂になってると聞いてますが」
「知りたいですか?」
「研究者として謎は解かないと済まないので」
「であればおすすめしません。噂自体も噂でしかありませんから」
「魔狼病の根絶を目指している私に対して何も情報を与えてくれないのですか?」
「それはあなたもですよね? ドクターテトム」
(……あぁ、やっぱり苦手な相手だよ王女様)
テトムに一礼して部屋を出ていくアテナ。
終始作り笑顔であった王女の顔を崩して泣き顔を拝んでやろうと、企んでたつもりがダメだった。
胸の奥に詰まっていた息を吐き出してソファーに寝転がる。
「ったく、思い通りにならないのは当たり前か〜」
後ろ向きな考えが頭を過ぎる。
けれども、テトムの口元は自然と緩んで笑う。
「でもいいや、私には研究がある」
♢
「あ、あのっ、大天使る、ルシう? るしる?」
「『大天使ルシフェル』。かつてこの世界を救った救世主です」
「それが、僕? いやいやそんなこと」
『シエルがルシフェルなわけないだろ! 第一に私は王族が信用ならない、そこのメイドにも言ったことだ!』
「メアリーから聞いた通りですね。魔剣様は王族を嫌っていらっしゃる、なら答えは簡単! シエル様が私の騎士になればいいのです!」
『話が全く通じてないな貴様!』
焦る僕と笑う王女、静かなメイドに怒るリゼット。
言葉が喉を通りづらい状況なのに時間が過ぎてしまう。
「その、僕が騎士になる? のはわかったんですけど何をすればいいんですか?」
「そうですね、とりあえず私の騎士様には相応の服装を着てもらいましょうか。メアリー、お願い」
「かしこまりました。皆さん! お仕事です!」
扉からゾロゾロと現れた執事服の男から順に部屋の中へと入り、メイド二人が白い布を広げる。
皮膚と肉を綺麗に分ける磨きの作業のように慣れた手つきで服を脱がされていく。
瞬きをする数秒のうちに着替えさせられてしまった。
「まぁ! お似合いです♪」
白のリボンに黒のコート、黒のズボン。
ミリタリー系の洋服で統一されただけでなくリボンの真ん中には蒼い宝石のブローチ。
見るからにこの世界で一番高価なんじゃないのか?
ニコッと笑い返す王女に返答しづらい。
「強引な採寸ではありましたがとてもお似合いです、シエル様」
「あ、ありがとうございます、メアリーさん。他の方々もありがとうございます」
「お仕事ですので、お構いなく」
意外と話しやすくて助かった。
貴族衣装、とは言い難くてもこっちの世界の正装なのかもな。
人前で着替えとか恥ずかしすぎる。
「早速ですが、お父様の元へ参りましょうか。行きましょう、私の騎士様」
「は、はいっ」
少し声が上擦ってしまい顔が赤くなるのがわかる。
誰とも目を合わせず下を向いて廊下へ歩き出す。
前から王女、メアリーさん、僕と周りを歩く先ほどの執事とメイドたち。
思えば誰かと並んで歩くことなんて滅多になかったな。
中庭を通って扉を抜けた先に赤い絨毯が敷かれた大広間が見えてきた。
現実離れしてる、というより普段の日常生活で歩くことはまずなかった場所を今歩いてる。
壁に並んでいる鎧や眩しく光るシャンデリア、埃一つ見えない床に顔が反射してるのがよくわかる。
「騎士様、あそこにおられるのが私のお父様です」
王女が見つめる先にある玉座に座る男性が一人。
目元を細くして睨んでいるように見える。
あれが王様ってことなんだよな、睨まれてるけど。
「お父様。私の騎士様をお連れしました♪」
「すまないが、この者たちだけにしてくれ」
メアリーさんを含んだ人たちが一礼して去っていく。
足音が聞こえなくなり静かになった大広間。
重い沈黙を呼吸するように身体が重い。
口を開きたくないと身体が叫んでる。
とても会話できる雰囲気じゃない。
けど、この空気を打破しないと身体が持たない。
「はっ、初めまして、シエルと申します」
「名前は既に聞いている。国民を魔獣から守ってくれたこと誠に感謝する。堅苦しい言い方だと壁を作りかねない、軽い挨拶代わりに握手をしてくれないか?」
良かった、怖い印象あったけど意外と話しやすい。
伸ばされた左手に右手を恐る恐る伸ばす。
ゴツい感じなのに指がしっかりと握って────ん?
なんかすごい力強く握ってるんですが。
「さて、ここからが本題になる。私の娘の騎士に、なるそうだな?」
「え、えぇ、そうですよ?」
「なーに、そんな緊張するな。まぁ王様を目の前にして驚かないほうが難しいものだよな、ガハハ」
そう言っても全く手は離してくれないんですね。
自分のほうへ引っ張ることもできず、変な汗が首に垂れてきた。
「ちょっとお父様! いつまで私の騎士様の手を握ってるつもりです!?」
「おっと、悪気はないんだ。なにぶん久しぶりに若者と話をしたのでな。シエル、と言ったか? 我が国を歩き、見てきて欲しい。勿論、我が娘と一緒にな」
「それは良い提案ですね! 善は急げ、ですから急ぎましょう!」
「えぇ!? あっちょっ、こ、転ぶので、ゆっくり走ってくださうわあああ!?」
ようやく解放された右手を今度は王女に掴まれて勢いよく走り出す始末。
靴が脱げそうになりつつ、転びそうになりつつ。
なんだか口元は緩く笑ってる自分がいた気がした。
♢
「……ふむ。あの小僧、確か『魔狼病』であったな?」
「はい、間違いありません」
「俺が触れたとき奴の右手には何も感じなかった。もし隠しているのならアテナが見透かしてるはずだからな」
「尾行しますか?」
「頼む。あくまで、アテナを優先しろ。騎士なら身一つで己を守れなければ意味がない」
「はっ」




