『契約』
駆ける足音と金属音、揺れる身体。
浮いてるというよりも抱えられているに近い感覚。
すごく頭の中がぼんやりしてる、何があったんだっけ。
「もう少しだから! お願い間に合って!」
何か見覚えのある仮面……あっ、思い出してきた。
確か人狼の群れに囲まれてた仮面の少女を突き飛ばして、突っ込んで骨ごと噛みつかれながらも必死に抵抗したけど────勝てなかった。
眠ってしまうのが楽なのに身体の痛みが許さない。
息をするのもやっとのくらい苦しいのに眠れない。
あの時に起こした行動が無責任なのはわかってる。
でも、それ以上にどうしようもなく身体が動いてしまった。
『仮想敵』である僕が意見するのならこうして行動に出たほうが早かったから、ただそれだけ。
「もうすぐだよ! 頑張って!」
ちゃんと聞こえてるから大声を出さないでくれ。
少し声のトーンを低くしてくれないかな、眠れないんだ。
身体中が痛くて首を傾けるのも辛い。
視界がぼんやりとしてきて、なんだか眠気が───。
♢
ざわざわと周囲の騒がしく慌ただしい音が聞こえる。
金属同士が擦り合う音、怒号と叫び声。
重たい瞼をなんとか持ち上げて首だけを動かして周りを見渡す。
鉄パイプで組み立てられた白いテントと椅子が二つ、寝心地が悪いベッドに寝る僕。
「助かった、のか?」
なんとか上半身を起こして身体の状態を確認。
人狼に噛まれた箇所は簡易的に手当てされているように見える。
痛みこそ残るけど起き上がろう。
あの仮面の少女にお礼を伝えないと。
「おや? もう起きてたのか、早いね。二、三日ぐらい眠ってたほうがいい怪我なのに」
白いテントの出入り口からひょこっと顔を出したのは白衣姿の女性。
短い髪の随所が所々跳ねており、やや猫背。
目元に隈がはっきり見えて肌の血色が異様に白い。
「ふわ〜……寝不足で倒れそうなの私のほうなのにどうしてこうも仕事ばかり増えるのか。すまないね、つい愚痴ってしまうのは癖でね。え〜と、自分の名前わかる?」
名前? 名前、名前は────あれ、なんだっけ。
「すみません、わからないです」
「そっか、そっか。じゃあ、あの村で何をやっていたのかについて見たり聞いたりとかは?」
「あの……ごめんなさい。何もわからないんです」
「なるほど、なるほど。名前が無くてあまり情報を持っていない哀れな被害者で怪我人か、可哀想だね。でも、私は全く持って慈悲深い人間じゃない。特に魔獣なんかに噛まれた人間を匿うほどね」
ゾワっと背筋を撫でる寒気が襲う。
初めて感じる悪寒に首元を撫でる。
この人は簡単に『切り捨てる』ことができる人。
躊躇いを感じない。それどころか、無関心。
「あっ、難しい言葉だったかな? うーん、優しい言い方とか苦手だから表現の使い方に困るよね〜。簡単に説明したほうが手っ取り早いか────ねぇ、魔獣に喰われてくれない?」
「は?」
「説明不足だったね。話をややこしくするよりも何かに置き換えて話すやり方、比喩? かな? まぁ、そこはどうだっていい。あの獣たちに噛まれると次第に『魔狼病』と呼ばれる病気になる。症状としてはまず『記憶』することを忘れる、そこから『記憶』してきたことを忘れて本能の赴くままになっていく。免疫がない者なら数時間でなり、自制心を保とうとしても所詮は人間も獣だから何も変わらないんだよ。治療する方法もないからそのまま身内に看取られる────なんてことは起こらない。何故かわかるかな? だって、家族も喰っちゃうんだから」
瞳の奥から光が消える。
口元は先程より口角が上がって微笑むように。
優しい言い方が苦手と言ったが、そうじゃない。
この人は物事や相手に対する配慮が全くないんだ。
「やっと言えた! こう喉に詰まり物がある感じはウザったくてさ、モヤモヤして嫌いなんだ〜」
「……僕が、何をしたって言うんですか」
「お? キミが私に? 全然ないよ! キミみたいなこれっぽっちも興味が湧かない人間に何を心配するべきなんだい? 無駄に思考を変えていくよりも切り替えるのが大事なんだよ。話がだいぶ逸れたけど、どう? 決心はついた? ついたよね?」
苛立ちが滲み出てきそうなほど冷静さが失われていく。
やっと助かったと思ったのに、そう思ったのに。
それなのに『喰われてくれないか?』だって?
「反抗的な瞳だね。私にとって痛くも痒くもないんだけど、そうだなぁ────《取引》をしないかい? 少なくとも生き残る可能性がある。1か0かって言うと限りなく失敗に近い。もしかしたら、骨すら見つからないかもだ〜」
「…………」
「そう怒んないでよ、直接的な言い方をしないだけ私は良心的だと思わない? なーに簡単な話、ここを出てすぐにでも目に入るように手配してあるから。そのために私が治療したんだから、ヨユーに歩けると思うよ? ほらほらっ、行こうか」
これは明らかに脅迫だ。
着いていくことにメリットはない。
助かる保証もなく、万が一と呼べる可能性も不明。
ここは異世界は現実、夢じゃない。
「あっ、一つ聞き忘れたんだけどさ。キミ、どんな呼ばれ方がいい? 実験体クン、なんてどうかな?」
最早怒りを通り越して呆れて口が開かない。
もうどうでも良くなってきた。
このままだと、あの人狼のような姿になる。
それだったら、まだ選べる選択肢があるほうがマシかもしれない。
「嫌です、そんな呼び方」
「そっか〜、残念。まぁ、覚えていられるほど私の脳は広くないから仕方ないか。ちなみに私の名前はテトム、覚えなくても構わないから」
ゆっくりと足先から地面に触れていく。
ガラス片が刺さっていたとは思えないほど痛みや感覚も普通で素足で立っていても違和感がない。
「こっちだよ〜」
白いテントを潜り抜けた先に見えてきたのは荒れた大地に不釣り合いな水晶と────それに刺さった剣があった。
剣の刀身は錆びついていて容易に触れてしまえばそのまま折れてしまいそうなほど。
テトムと言った白衣の女性は終始ニヤニヤと嫌味な笑みで刺さった剣を指さす。
「名前は《ティルヴィング》。数ある魔剣の中でも強力で非常に危険、そして何より持ち主を選ぶ剣。私が生まれる前からずっとこの状態だったらしいからよっぽど好き嫌いが激しいと見た、そこでキミだ。これからキミにこの剣を引き抜いてもらう。もしもこの魔剣に選ばれる逸材ならその身体を蝕む『魔狼病』を治せるかもしれない、あくまでも可能性だけどね。少なくとも生き残ることはできそうだから」
よくも簡単に確証を持てないことをペラペラと話す。
けれど、このまま『魔狼病』というのに蝕まれて死を選ぶくらいなら一か八かに出るのも悪くないかもしれない。
どうせ失敗すればテトムが笑う。
笑われるくらいなら口を開かないほうがマシだから。
「覚悟はできた? 遺言でも聞いとこうかい?」
「……ありがとう、って伝えてください。僕を助けてくれた人に」
「律儀なのかな? まぁいいや、さっさと済ませてしまおうよ。長い時間かかるものじゃないんだからさ」
右手を伸ばし剣の柄にゆっくりと触れる。
見た目こそ古びているが実際触れてみると芯は固くしっかりと水晶に刺さっていて並大抵の力量では抜けないのがわかる。
また初めて触る剣の感触がこの手には馴染みづらい。
重くて硬く、それでいて芯が通っていてブレない。
(僕とは正反対だ、この剣は)
口には出さない乾いた声で静かに笑う。
このまま何も起きなければ、僕は────。
《────お前は何の為に私を使う?》
刹那、脳裏に響いてくる知らない女性の声。
チラッと後ろを覗き見るがテトムが呑気に欠伸をしていた。
テトムではない? じゃあ、誰の声だ?
《そこのお前! 私の声が聞こえてるんだろ? おい!》
今、握っている魔剣から?
でも、迷ってる余地はない。
今更になって噛まれた箇所からじわじわと登ってくる感覚が襲ってきた。
身体が熱い、苦しくて喉が異様に乾く。
テトムの言った通りだとするなら時間は残ってない。
「うんっ」
《やっと私の声が聞こえる人間が来たか、ふふん♪ ならば話は早い、私と『契約』しろっ!》
「『契約』?」
《そうだ。というか、そこで話すよりこっちにこい!》
突如として視界が暗転、瞬きするよりも早く真っ白な空間に包まれた。
見渡す限りの白さに二つの影。
一つは水晶に刺さった魔剣。
もう一つは小柄で不敵な笑みを浮かべる銀髪の女の子。
白と黒が交互に重なった奇抜な服に幼さが残る顔立ち、まるでクラシカル衣装に身を包んだ人形のような容姿。
二つの蒼い瞳が宝石のように綺麗。
「それで? 私と『契約』をする気になったか?」
「『契約』すれば生き残るのか?」
「生き残る? はぁ、お前もまた私に力や名誉、ましてや支配する力を求めてきたのか?」
「違う、僕は『魔狼病』っていうのに蝕まれていて」
今更、疑問と不信感が膨れ上がってきた。
本当にこのまま『契約』をすれば治るのか?
テトムの言った通りにするべきなのか?
僕にとって望んだことなら正しいことなのか?
でも、僕が本当に望むことはもっと別にあったはず。
「お前は、何の為に私を望む?」
「それは『魔狼病』を────」
「もう一度だけ言う。お前は私に何を望む?」
僕は────。
隣ばかりを気にする大人たちから逃げて、憧ればかり見てきた夢の場所『異世界』。
けど、実際に本当に夢を見ていたのは『異世界』という舞台で生きてみたかった。
自分らしく生きられる『異世界』に。
自分を理解してくれる『理解者』に出会いたかった。
「……僕の、『理解者』になってほしいっ」
やっと絞り出した声で言葉を吐く。
力が抜けて膝から崩れ落ちる僕の目からは涙が溢れてきた。
初対面で、ある意味では告白みたいに取れる発言。
恥ずかしさも虚しさも感じない本心からの言葉。
「清々しいほど吐き気がする。ここに冷水のバケツがあればお前の頭からかけていた。非常に気持ちが悪い男────だが、その傲慢さは気に入った。他の人間とは違うことは認めてやる。ならば、お前は私に何を与えてくれる? いっそのこと首を差し出してみるか? 血の色なら理解してやる、アッハハハハ!」
「────『生命』を君にあげる」
「正気か? 今ここで自決してみせろ、と言ったら?」
「『仮想敵』だった僕が求めたのは『理解者』だ。やっと見つけたんだ本心を。それに……君は僕を認めてくれたから。悔いはないよ」
「────そうか」
女の子は細い両腕で水晶の魔剣を軽々しく引き抜き、床を引きずりながら足音を響かせてゆっくりと近づいてくる。
「言い残すことはあるか?」
無言で首を横に振る。
欲していたものが何か漸く感じることができた。
少しだけ悔いが残る気もする。
でも、なんだか清々しいようでスッキリ。
剣先が頭上に近づいて───そのまま地面に突き刺した。
「『契約』だ。私はお前の『理解者』になってやる。お前の代わりに私が戦い、私がお前を守ってやる。だから、お前は私に『身体』を寄越せ」
「名前を聞いてもいいかな?」
「私か? ふふん、心して聞け! 私の名前はリゼット。又の名を魔剣ティルヴィング! そして喜べ、お前の呼び名を決めてやる───お前の名前は"シエル“だ!」
シエル。どういう意味かわからないけど、いい響きだな。
伸ばしてきた小さな掌に自分の手を伸ばして掴む。
さっきまで初対面でギクシャクした感じだったけど、これで『魔狼病』も治るかな。
「そろそろ現実で目覚めてもらわないと困る。何せ、私はお前の『理解者』だからな!」
「よろしく、リゼット」
「任せろ! シエル!」
真っ白な空間が揺れる水面のように揺らぐ。
同時に意識が遠くなり身体から力が抜けていく。
嬉しいと寂しさを感じるのは初めてだけど悪くないか。
あとは、リゼットに任せてよう。




