『仮想敵』
僕は幼い頃から『異世界』にずっと憧れていた。
現実にはない綺麗な世界で、空想上でありながら自分が見たことも知ることがなかったモノに満ち溢れていて心がワクワクしてた。
自分の親やテレビで見る有名人のようになりたいと志す同い年の子供とは違っていたし、ましてや目指すべき目標の大人なんていない。
これまで幾度となく隣ばかり気にする両親たちを見てきた。
「『あの子』はよく出来てるのに、なんでお前はまともにできないのよ!?」
「俺が周りから言われるんだよ! 何も教えられなかったダメな親だってな!」
だから、僕は『異世界』に憧れた。
周りの子供やそういう両親になんてなりたくない。
必死になって『異世界』への解釈を広げた。
漫画やアニメ、小説、ジャンル問わず自分の知識に出来るモノは全部。
ある意味、現実逃避。
学校や家で辛いことがあれば表では反省するフリして、裏では『異世界』に逃げていた。
自分が夢見る『異世界』。
自分が生き生きとした素敵な『異世界』。
頭の中で膨らむ幻想の景色や人々、楽しい日々。
そして、いつしか僕は自分自身のことを『喋らない』ようになった。
自分たちと同じ生き物なのに拒絶して群れから外れる者は誰であろうと『仮想敵』。
僕は自分に言い聞かせた。
"そんなことは気にしなくていい“
僕は僕、なんだから。
だけど、どんなに月日が流れても現実というのは簡単に残酷に突きつけてくる。
「どうしてわからないんだ! あれほど伝えたことをこうも忘れて────」
────あぁ、なんてつまらない世界。
ゴミ箱に入った書類に同情すら湧いてくる。
大声で響きやすい室内なのに頭ごなしに怒鳴り散らす上司、背後から聞こえる小さな笑い声。
集まる視線が棘のように突き刺さる感覚はもう何回目か。
「いいか!? お前はな───」
────それこそ現実逃避か。
でも、いいんだ。
僕の頭の中にはいつでも『異世界』が広がってる。
こんな風に怒られるよりも、怒られる姿を笑うよりもマシな生き方をしたい。
「ったく、これならまだ───」
────『新人』のほうが使える。
目の前の上司の口癖が脳裏にまで響く。
申し訳なさとか悔しさとか、そんな感情すら湧いてこない。
毎日が同じ言葉の重さ、同じくらいの不平等。
昔から知っていた既視感。
自分が『笑う』か、自分が『笑われる』か。
無慈悲で残酷な現実で生きていたくない。
「お前に言ってるんだからな! 全く、仕事がまともにできないのはオレのせいだってか!? なぁ!?」
────もう、イヤだ。
こんな世界、いらない。必要ない。
これが現実逃避だって言うなら構わない。
でも、限界なんだよ。
「……助けてよ」
「あん? 甘えてじゃんねーよっ!!」
重い瞼が視界を遮って膝から下に力が入らない。
眠たさや疲労、ストレスが夢のように軽く思えてきた。
なんだか背中からふわりと浮くような感覚。
懐かしいようでウキウキとした高揚感。
初めて『異世界』を知った幼い頃のような、そんな眠たさが急に────。
♢
重たい瞼とボーとする意識、不自然な感覚。
壊れた窓のカーテン越しに差し込む日差しがとても眩しい。
上体をなんとか起き上がらせ右手で瞼を擦りながら周囲を見渡してみる。
ヒビが入った壁と通り抜けていく隙間風が肌を触れていく。
ボロボロの照明に壊れかけの椅子とテーブル、朽ちかけの木造扉。
床に散らばるガラス片と一枚の金貨が落ちてある。
傷だらけのソファーと毛布代わりの布切れ一枚がかけられていて着用してる服もボロい。
天井はなんとか形を保っている程度で今にも落下しそうで危険なのに────落ち着いている『僕』がいる。
(寝てた? 仕事中に?)
だんだんと鮮明に思い出してきた。
そうだ、上司に怒られて仕事に嫌気が差してきたとき眠くなってそのまま───倒れた?
明らかに現実離れしてる気がする。
僕の家はこんなボロボロじゃないし、簡素ではあったけど部屋は片付いていた。
「……まさか、『異世界』!?」
いつも頭の中で考えてはいたけど、まさか本当に?
それとも倒れた衝撃的なもので夢を見ている?
前者はともかく後者の方が圧倒的に現実っぽい。
けれど、それだとこの雰囲気はなんなのか。
床に靴もなければ靴下すらないため血だらけになりそうだ。
「仕方ない、なるべく踏まないようにっ」
朽ちかけの木造扉を目指して歩き出す。
足の裏を気にして歩くなんて通勤途中の歩道の地面を歩いているとき以来だ。
ガラス片が大小異なって散らばってるようで時折、針を刺す痛みが襲う。
それでもなんとか足を運んで朽ちかけの木造扉に辿り着く。
木造扉に手を伸ばすと思った以上に脆く指先が触れただけで簡単に開いた。
壊れかけの家の外に広がっていたのは同じく壊れかけの家が並んでいた。
どこか血生臭い匂いが空気に混じって鼻腔を刺激してくる。
「ここまで臭うって、相当じゃないか?」
現状が未だ掴めない。
素足で地面を歩くのはなんというか幼少期以来だが、今見ている景色も現実離れしてる。
廃墟にしては建物がまだ新しく倒壊したと言えば自然ではない壊れ方。
壊れたというより、壊されたが正しい。
それほど歪になっているとするなら、もしかすると───。
「────へぇ〜、まだ生き残りがいたんだ」
背後から聞こえた女性の声。
その声音はどこか楽しそうでうずうずした子どもみたいに。
気づけばさっきから感じていた血生臭い匂いが物凄く近くに感じるほど濃くなっていた。
震える指先と鼓動を上げていく心臓、逃げろと本能が叫ぶ。
振り返るな、決して振り返ってはいけない。
逃げろ、一秒でも早く逃げないと……殺される!
「あっ、逃げた」
素足の爪で力強く硬い地面を蹴り上げて走り出す。
小さな石が爪の間に入って内側から割れそうなほど痛くて思った以上に走りにくい。
「なんなんだよ、夢だよな? 夢だと言ってくれよ」
目覚めたときに感じていた不自然な感覚。
ガラスの破片、壊された家とその周囲、血生臭い匂い。
ここは前の世界じゃない。
紛れもない異世界。
「っはぁ、はぁ、はぁ……」
逃げられた、のか?
肺の中に酸素を取り込もうと息が荒くなり汗で前が見えない。
だいぶ距離は走った、平気なはず。
なんとか息を整えて揺らぐ視界のピントを合わせていく。
「はぁはぁ、追ってこないだろ」
「──残念、もう追いついてる」
それはさっきまで背後で聞こえた女の声。
いつの間に移動したのか、どうやって追いついたのか。
頭の中で考えるよりも先に足から力が抜ける。
「哀れだな。もうちょい歳を重ねることができたら、立派な騎士様になれたかもしれないが仕方ないよな」
黒い甲冑と軍服のような服装で右手には紅く染まった剣を携えた不気味な笑みの女が行く手を阻む。
剣の刀身から滴り落ちる紅い雫が秒針を刻むようにポタッ、ポタッと聞こえるくらい周りが静かに感じる。
「安心しな、すぐに仲間の元に送ってやる。あっちで仲間に慰めてもらえよ!」
迫る剣先、振り下ろされた殺意がゆっくりと揺らいで見えて─────。
「────ォラァッ!!」
刹那、青い閃光が目の前を駆けた。
広がる砂の煙幕とやっと動いた両手で砂を払う。
次第に見えてきた視界には仮面を付けた少女が立っていた。
宙に浮かぶ二つのガントレット、青い稲妻を纏った鎧と白いインナースーツ、長く背中まで伸びた髪が風に揺れる。
そして、顔の仮面は威嚇している狼の表情だった。
「……チッ、擬似天使か」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる黒い甲冑の女。
右手に握っていた剣を地面に突き刺し、片膝をついて仮面の少女を睨みつける。
「仕留め損ねた。次は逃がさない」
身構える姿勢を整えて宙に浮かぶ二つのガントレットが拳を作り、仮面の少女も同じく拳を構える。
黒い甲冑の女性に向かって放った言葉はどこか怒気が篭っていた。
「ぬかせ。たかが模倣品に私が負けるわけがない!」
「その模造品に負けるのに? 笑えるね」
「戯言ばかりっ……ほざくな小娘が!!」
再び振り下ろされる剣に対して迎え撃つガントレット。
激しくぶつかり合う金属音、互いに後退りすることのない攻防と飛び散る火花のように周囲に響き渡る。
(前の世界だと、あり得ない光景だ)
創作物の世界でしか見たことのない景色。
それも交渉や会話ではなく殺意のぶつかり合い。
一歩間違えれば確実に死に至る行為を目の当たりにしてる。
……なのに、なんで僕はこうも落ち着いていられるのか。
まるで『自分』ではない、『仮想敵』みたいだ。
「ぐッ……!」
「どうしたの? 降参?」
目を離した隙に黒い甲冑の女が押され始めていた。
大振りではあるが小回りの効いた体格による一進一退、ガントレットによる追撃もあって後方へ殴り飛ばされる。
なんとか剣で守ったつもりではあったらしいが───。
「────クソがッ! 偽者風情が調子に乗ってくれる!」
身体と感情が一致しておらず地面に両膝をついている。
それを気にせず仮面の少女は平然と距離を詰めていく。
歩み寄る足音に立ち上がろうと必死な姿はどちらが悪者か分からなくなってくる。
「こうなったら────来いッ! 《魔獣》共!!」
「……っ!?」
仮面の少女が歩みを止めて周囲を見渡す。
黒い甲冑の女がニヒル笑いを浮かべてゆっくりと立ち上がると、僕のいるほうへ剣先を向けた。
「じゃあな、小僧。せいぜい悲鳴くらい響かせてみな!」
黒い甲冑の女は左手の先に魔法陣のようなものを浮かび上がらせてその中へと消えて行った。
「まずいことになったね。このままだと魔獣の餌食になっちゃう。拠点まで走ることになるけど、うーん……ねぇ、そこのキミは走れる?」
ここまで走ってきた僕に対して"また“走れるか?
答えは『いいえ』だ。
足の裏に刺さるガラス片が食い込んで喉もカラカラ。
立つことも出来ずにいるのに走れるわけがない。
僕は首を横に振った。
「だよね。じゃあ、私のガントレットに乗って移動しよっか。ちょっと乗り心地は保証できないけどキミ一人くらいなら問題ないかな。大丈夫! 私がキミを守るから!」
仮面越しに聞こえるとても優しい声音。
落ち込んではいないけど、励ましてくれてるんだろう。
とりあえずは現状から抜け出せる方法はできた。
この少女の言っていた拠点とやらで治療してもらおう。
それから、この世界のことを聞いてみる。
ガントレットに摘まれて両手で水を掬うような形でガントレットの掌の上に座った。
乗り心地は良くも悪くもなくこれぞ掌の上で転がると言えるかもしれない。
「ここから遠くないから大丈夫だよ。まだ魔獣たちの気配は───」
突然、仮面の少女が言葉を止める。
先ほどと同じ構え方を取って後ろ向きに動かなくなった。
周囲は静かで風が通り過ぎても微動だにしないほどの集中力、一体何が来るというのか。
チラッとこちらを見るや否や、勢いよく走り出した。
連れてガントレットも動き出して少しよろけそうになる。
『ァオ─────────ンッ!!』
遠吠えにも似た声が響く。
近くから何やら走ってくる集団のような足音。
軽々と地面を蹴り上げ群れを作り集団戦による狩りを得意とする生き物がすぐ後ろまで近づいてきた。
『バウッ!! バウッ!!』
発達した顎と大きい歯、鋭い眼光。
体色は灰褐色で毛並みはボサボサでありながら冬の大地に適した存在と顔が酷似してる。
でも、これは明らかに空想上の生き物とそっくりだ。
「人狼!?」
体格は成人男性で伸びた両手と両足の爪が地面を抉っている。
衣服は破れて返り血が滲んで染みており獲物を視界に入れた狩人の如く迫ってくる。
さらに後方から人狼が少なくとも二、三匹が逃げる僕たちを狙っていた。
「気をつけてね! そいつらに噛まれないように!」
両手の爪や自慢の牙でガントレットの上に乗る僕を引きずり下ろそうとしてくる。
それも我先にと互いに傷つけることも躊躇なく、ただ目の前の獲物に爪を伸ばす。
このままだと完全に人狼の餌になる。
「せっかく『異世界』にきたのに……せっかく?」
僕が望んだから『異世界』に来たのか?
それでいて今、人狼に喰われて終わるのか?
────そんなの嫌だ、だってっ、まだっ、僕はっ。
「きゃっ!?」
目の前を走っていた少女が地面に躓いた。
ガントレットの上に乗る僕もいきなりの急停止に押し出されてしまう。
硬い地面を二転三転、転がってなんとか起き上がる。
口の中を砂利と土と鉄の味が広がっていく。
非常に不味い状況で最悪なタイミングでアクシデント発生か。
「あの少女は!? ……いたっ!?」
少女もなんとか立ち上がっていた。
だが、その姿は重心が取れずフラフラしている。
頭を強打したのか前を見れていない。
その周囲をさっきの人狼の群れが囲んで涎を垂らして今か今かと待ち侘びている。
僕がここから叫んで気を引きつける?
あの人狼たちに突進して……いや、それはさすがに。
でも、こうして悩んでたら一刻の猶予もなくなる。
「守るんだ……はぁ、はぁ、僕がッ……!」
────『大丈夫! 私がキミを守るから!』。
脳裏に浮かぶ光景と言葉が木霊する。
……あぁ、やっぱりこういう考えが一番なのかなって思えてきた。迷うべきじゃない。
これが現実でも、嘘でも幻でも、ましてや僕が『仮想敵』であったとしても。
僕が望んだ『異世界』なら、構わないッ。
「危ない!」
少女を突き飛ばし僕は人狼たちの群れへ突っ込んでいった。
 




