擬似天使
赤い絨毯が敷かれた廊下の隅にある城の一室。
少し前なら荷物部屋として使われていた場所も今ではある人物の部屋となっている。
その部屋の扉前に一人、佇む姿があった。
「……シエル様」
アテナ・ネレウスにとって『大天使』とは大きな存在で、決して手の届かないのだと思っていた。
実際に出会い、会話して、少しだけ探りを入れて。
──けれど返答の言葉はどれも素直で嘘がない。
『王族』や『第一王女』等の肩書きは呪いのように染み付いていた強固な鉄仮面を剥がしてくれるような。
親しいメイドであるメアリーと話してるときは年相応の少女の表情。
だが、扉の先にいるシエルを想う今のアテナの顔は使用人や民の前で見せる顔とは大きく違っていた。
扉をノックしようか迷ってる隙に黒ずくめがアテナの背後から声を掛けた。
「お姫様、今はそっとしておきな」
「…………」
「そう睨まないでよ、こっちも仕事なんだからさ。なんなら、お姫様のような王族よりも騎士様の心を読み取れる自信あるけど?」
「何が言いたいんです?」
「立ち去ってくれ、ってやつですよ。一人でいたいのに無理に笑顔を振り撒くことの意味を第一王女様はご理解できますよね?」
「お父様の差し金ですか? それとも、嫌味ですか?」
「どちらでもありませんよ、ただ男のプライドっていうのは弱い奴ほど大きく偽ってる。あんな小僧なんて使い捨てにすればいいのに」
「先ほどの言葉を撤回してください。シエル様は私の騎士様です」
「……ふーん。はいはい、ごめんなさい私が悪かったでございますよ〜。でも、最後に一つだけ言わせてください。自分のモノだから慰めたい、だなんて思ってるならやめときな。ただの人間じゃないんだからさ」
全く反省のない声音で足早に黒ずくめは消えた。
意味深な言葉、間に受ける必要はない。
……なのに胸の奥がズキリと痛む音がした。
「シエル様は私の騎士、私の騎士様」
また静かにズキリと痛む胸に言葉が詰まる。
先ほどのことを気にしたからではないと頭を振る。
でも、どうしたいかわからなくなった。
アテナにとってシエルは騎士だから心配なのか。
それとも自分のモノだから慰めたいのか。
「違う、違うっ」
頭の中に不穏な考えが過っていく。
騎士様、私の騎士様。大事なモノ。
私のモノ、私が主人。だから……だから? 私の?
「アテナ様? どうかなさいましたか?」
ハッと我に帰ってきたアテナ。
目の前にはメアリーと同じ使用人が立っていた。
呑み込まれそうになった暗い意識の囁き。
自分の中に何かがいる、けれども今は考えたくない。
なんとか言葉を紡いでアテナは足早に歩き出す。
「ぇ、あ、いえ、なんでもないの。ごめんなさい、何か要件が?」
「はい。実は……」
♢
一方、部屋の中にいる当の本人はベッドの上で膝を抱えていた。
前回の戦いでメアリーや城は無事に済み、安堵の息を漏らすかと思いきや軽く半日以上が過ぎている。
隣に置かれた魔剣であるリゼットは表情や仕草こそ見えずとも、内心では悩んでいた。
(こういうとき、どう話しかけるべきなんだ??)
普段なら必ず高圧的、または毒を吐くように言葉を紡ぐリゼット。
だが、今回ばかりは慎重に考えていた。
(誰かを守るため、とはいえ……)
戦いの最中には全く気にしていなかったこと。
それは『魔獣』以外の敵対勢力に対する実力行使。
拳には拳を、武力に対して武力を。
戦うべくして訓練されてきた兵士でも騎士でもない。
ましてや剣を握って数日しか経っていない。
半ばリゼットが強制的だったのも事実。
(だが、このままでは間違いなく潰れてしまう)
責任の重さ故か、言葉の重圧か、それとも。
「ねぇ、リゼット」
『な、なんだ? どうしたんだ?』
「リゼットは怖くなかった? あの時、僕は初めて人間を殺してしまうところだった。自分が怖くなって正直、何のために戦ってるのかわからなくなって……ごめん、勝手に同情を求めちゃった」
今までなら『何を情けないことを言っている』と返答していた。
だが、少しずつ興味が湧いてきたのだ。
シエルのことを知りたいと。
『構わん。私はお前を理解したい、故に同情の一つや二つ受け止める覚悟だ。ほら、話の続きを聞かせろ』
「魔獣に対しては立ち向かえたのに。でも、魔獣も元は人間だったんだから差別してるんじゃないかって」
『そうだな、確かにあまり良い響きじゃない。だがお前だけの問題ではない。私の問題でもある』
「ありがとう、リゼット。ちょっとだけ軽くなった気がするよ」
『ふん、単純な奴だ』
苦笑いとも取れる小さな笑みにズキリと痛む心。
嘘ではない、だからこそ本心を隠してるのがわかる。
リゼットはこれ以上心の奥に迫るのに覚悟が足りないと感じた。
『なぁ、シエル。いつか、いつかでいい。私にお前の──』
────バァン!!
突如、部屋の扉が勢いよく開けられる。
室内へ軽い足取りで歩いてきたのは幼い見た目に似合わないハンマーを担いだインナースーツの幼女。
「てめぇか、新しい騎士ってのは」
「え? えっと誰」
「話がある。その面貸せ」
短く言葉を切った少女は顎先で指示する。
部屋の外へ出ろ、そう言っている気がした。
シエルは靴を履いてリゼットを手に取って少女の後をついていくことにした。
♢
「どこに行くんだろ」
『わからない。だが少なくとも良い場所ではないだろうな』
見た感じセシルと似ている服装と雰囲気。
しかも初対面の人にいきなり「面貸せ」なんて。
切羽詰まった事態なのか、言葉一つ話さず前を歩いていく。
無言のまま着いていくこと数分、目の前に広がって見えてきたのは闘技場だった。
観客席に人はおらず平らに整えられた地面に足跡一つない。
「何をボーと立ってんだ、さっさと歩け」
睨みがすごい効いてる、とはこのことなのか?
闘技場の中央に向かって歩いていき足を止めて静かにこちらへ振り向いた。
「さて、ここでなら思う存分暴れても構わねーからよ。てめぇもその気みてえで安心したぜ」
「い、いや暴れるとか、まるで戦うつもりで持ってきたわけじゃないからっ」
「あ? じゃ、なんだお前、あれか? ただ話をしにこんな広い場所にきたとでも? 冗談だけならオレのオヤジにでも勝てるな」
「そもそも戦う理由なんて」
「いいか? オレの嫌いなモノは長話と言い訳と男のメソメソした話し方なんだよ! わかったらさっさと構えろ、オレに二度も言わせんな。腹が立ってくる」
この高圧的な言い方、見覚えのある顔が頭に浮かぶ。
背格好や見た目じゃなくこの身体に沁みた感覚。
僕が『異世界』に逃げることになった原因と似てるんだ。
『さっきから聞いていれば言いたい放題とは生意気なガキが! おいシエル、こいつの言うことを鵜呑みにする必要なんて』
「ごめん、リゼット。……ちょっとだけ黙ってて」
「はっ、やっとやる気を出したかよ。言っとくがオレは手加減しねえからな。骨の一本や二本折れたぐれえで泣くなよッ!!」
正面から振り下ろされるハンマーによる打撃。
さっと右に避けて魔剣を構え一気に───。
相手は、人間。生きてる、このまま振り下ろしたら。
「オラァ!!」
「ガハッ!?」
容赦ないハンマーによる打撃が腹部に直撃。
素手による殴打よりも遥かに強く鋭い一撃。
受け身も取れず、そのまま壁に背中からぶつかった。
「案外、大したことないな? せっかくのチャンスも迷って見逃してオレの攻撃を直撃なんてよ」
「くっ、ぅぅ……まだだ」
「そうこないとな!」
なんとか立ち上がって全速力で走る。
迷ってどうする? 相手から仕掛けてきたんだぞ。
でも、相手は生身の人間。魔獣じゃない。
一撃でも当たれば出血して、最悪の場合は《死》。
「オラァッ! オラオラ、どうした!? 口先だけの男がよ!」
モグラ叩きのような連打での攻撃が地面を叩く。
ただがむしゃらに打つのではなく、一撃が重く避けにくい。
しかも軽々と持ち上げてからの俊敏な動き。
見た目に反して重量のあるハンマーが生き生きとした感覚を感じる。
「僕にあなたと戦う理由はない! それにあなたは人間だ、僕が本気で切り付けたら最悪の場合──」
「それがどうした、あぁ? お前まさかじゃねーが怖いのか? 自分が相手に怪我を負わせたらどうしようかなんて、大層な余裕があって羨ましいぜ」
「怖くないんですか? もし自分が万が一にも人間を殺してしまったらとか、思わないんですか!?」
「……チッ、うぜえ。気に食わねえ言い方ばかり、理屈ばかりこねまわして何が面白いんだあ? オレが楽しんで人殺ししてると思ってんのか? ったく、期待外れにも程があるってもんだろ。いいか? てめぇは『傷つく』ことが怖くて逃げてるクソ野郎だ! 自分が『傷つく』覚悟を持たねえヤツが一人前に剣なんて握ってんじゃねえよ」
──そっか、僕は自分のことしか考えてなかったのか。
「今、降参するってんならオレの顔に免じて逃してやる。だがこのまま戦うってんなら……その両手、オレと《ミョルニル》が二度と治らないように砕いてやる!」
あの時の戦いにおいて、足りなかったのは僕。
リゼットは上から目線なことが多いけど間違いはなかった。
自分が逃げるためだけに同情を求めた。
また僕は逃げるのか? 『異世界』に。
まだ逃げたままなのか? こんなに言われて。
「どうなんだ? はっきりしろ!」
「逃げたく、ない」
「あ?」
「僕はっ、僕は、もう逃げたくない! 輪廻天生!」
眩い光に包まれて姿が変わっていく。
髪は伸びて銀色に、白と水色のラインが入ったドレスが身を包み、黒い刀身を神々しい輝きを放つ。
光が収束していき右翼が空へと伸びる。
「ごめん、リゼット。冷たい言葉を吐いちゃって、都合よく言えた義理もない僕だけど、お願い力を貸して!」
『全く本当に自己都合だな。だが、それがお前の選択なら私も一緒に戦ってやる! いくぞ、シエル!』
「やっと本気ってわけか。ミョルニル、あの男を叩きのめす。力を貸せ!」
僕はもう逃げない。
周りを気にすることも、隣ばかり気にすることも。
自分が『傷つく』覚悟も、相手を『傷つける』覚悟も。
全部、背負って生きていく!
「きやがれ、クソ野郎!」
「行くよ、リゼット!」
『あぁ!』
両手でしっかりと握りしめて正面へ。
自分が前へと進むための確かな一歩を力強く踏み締めた。




