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苦手な方はご注意ください。

BL

こころに隙ができたので

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

「お父さんもお母さんも、もう寝ちゃってるよ」

 二十二時の駅前、スマートフォン越しの姉の声を、俺は絶望的な気持ちで聞く。

「じゃあ、お姉ちゃんが迎えにきてよ」

 姉の運転は荒いのでいささか不安だが、この際、背に腹はかえられない。

「無理無理。あたし、お酒飲んじゃったもん」

 再びの絶望。

「そもそも、あんた、今日は将也くんの家に泊まるって言ってたじゃない」

「いや、うん。さっき説明したけど、今日は急に泊まるわけにいかなくなったんだから。俺だって困ってるんだよ」

「わかった。なんとかする。知り合いに頼んでみてあげる」

「ちょっと待って、知り合いって誰?」

 そう尋ねたけれど、通話はもう切れてしまっていた。

 姉の言う通り、金曜日の今日は、友人である将也の家で勉強合宿という名目で夜通しゲームをする予定だったのだ。実際、すでに家にもお邪魔していた。しかし、夕飯をごちそうになり、風呂までいただいたその後、将也の家で飼っている室内犬が家出した。家族の誰かの不注意で、リビングから庭へ通じる窓が開いていたらしい。将也とその両親が、必死に近所を探しても見つからない。もちろん、俺も探すのを手伝った。途方に暮れて一旦家に戻るも、将也の家はお通夜のような重たい空気になってしまっていた。こんな時にゲームもなにもない。なので、

「あの、今日はなんかアレなんで、俺帰りますね……」

 いたたまれなくなり、俺は誰にともなく意味不明の言葉を口にし、パジャマ兼部屋着のジャージ姿のまま、将也の家を後にしたのだ。

「ああ、うん。なんか今日ごめんな、理人。また今度な」

 将也も引き止めるようなことはしなかった。なので、俺の行動は正解だったのだと思う。しかし、田舎町は終電が早い。終電を逃した俺は、助けを求めてスマホから自宅に電話をかけたのだ。

 四月初旬の夜は、まだ少し肌寒い。しかし、他にどうすることもできず、シャッターの閉まった駅の前で待つこと十五分。青い軽自動車が目の前に停車した。ルーフの部分が白いこの車には見覚えがある。

「こんばんは、理人くん。迎えに来たよ」

 運転席の窓を開け、そう言った人物を見て、

「なんだ、わっくんじゃん」

 俺はほっとして言った。わっくんは、姉の恋人だ。家にも何度か遊びにきたことがある。姉と同じ大学で、同じサークルに入っているらしい。

「お姉ちゃんが知り合いって言うからさ、誰かと思ってたんだよ。俺の知らない人じゃなくてよかったあ」

 言いながら、俺は助手席側に回り、勝手にドアを開けてシートに滑り込む。確かに全く知らない人ではないけれど、姉の恋人という以外、俺はこの「わっくん」のことを詳細には知らない。姉が「わっくん」と呼んでいるので俺も同じように呼んではいるけれど、実は本名すら知らなかったりする。

「ごめんね、わっくん。でも助かった。ありがとう」

 シートベルトをしながら、礼を言うと、

「全然いいよ、暇だったし」

 わっくんはそう言いながら俺の顔をじっと見て、「なんだか、久しぶりだね」と言った。

「そういえばそうだよね。わっくん、最近遊びにこないじゃん」

 俺の言葉に、

「あー、あのね。理麻ちゃんとは別れちゃったから」

 わっくんは言いにくそうにそう答え、前を向いて車を発進させた。

「え、うそ。いつ?」

 驚きの声を上げ、俺はわっくんの横顔を見る。

「三ヶ月ちょいくらい前かな」

 そういえば、わっくんが家にこなくなったのもそのころだったような気がする。

「てことはさ、わっくん、金曜日の夜に元カノの弟をわざわざ迎えにきてくれたわけ?」

「そういうことになるよね」

 わっくんは楽しそうに笑う。

「なに笑ってんの。お人好しすぎるんじゃないの。いや、俺は助かったけどさあ」

「お人好しってわけでもないよ。理人くんに会えてうれしいし」

 わっくんはにこにこしている。俺は、わっくんの横顔をじっと観察する。

 俺のわっくんへの第一印象は、「いい人そう」だった。そもそもわっくんは素朴で柔和な顔立ちをしているので、わっくんの写真を十人に見せれば十人全員が「いい人そう」という印象を持つと思う。本当にいい人かどうかはわからないけれど。

「なんで別れたの? こんなふうにお姉ちゃんの言うことほいほい聞いてさ、まだお姉ちゃんのこと好きなの?」

 わっくんへの気遣いよりも興味のほうが勝ってしまい、俺はずけずけと聞いてしまう。

「確かに理麻ちゃんのことは、いまでもずっと好きだけど、恋愛の好きじゃなかったって気付いたんだ」

「そういうの、俺よくわかんないや。好きは好きなんじゃないの?」

「好きにもいろいろあるんだよ。理人くんは好きな子いないの?」

「いない。俺、男子校だもん。出会いとかないし」

 出会いなんてなくても別に不便や不満を感じてはいないのだけど、友人たちがそんなふうに言うのをそばで聞いていたのでそれを真似て言ってみる。

「理人くん、モテそうなのに」

「中学の時はモテたよ」

「やっぱり。その中の誰かと付き合ってみようとか思わなかったの?」

「思わなかった」

 実際、中学生の時はよく女子から告白された。自分の顔が世間一般的に見て、整っているほうだと自覚をしたのもそのころだった。でも、好きとか付き合うとかよくわからなかったし、俺自身は女子と遊ぶよりも男子の友だちと遊ぶほうが楽しいと思っていたので、俺はその告白を断ってばかりいた。俺のことを好きだと言う女子たちは、ほとんど初対面というくらいの知らない子たちばかりだったし、これから親しくなってお互いのことを知っていって、その上で自分がその子を好きになれるかどうかを真剣に考えなくてはいけないのかと思うと、気が遠くなった。言い方は悪いが、面倒くさかったのだ。

 別に言わなくてもいいのに、俺はわっくんにそんなことをつらつらと話してしまう。今まで、友だちにもこんなことを言ったことなんてないのに。わっくんの放つ、「いい人そう」なオーラがそうさせたのかもしれない。

「好きってよくわかんない。相手のことよく知らなくても好きになれるもんなの?」

「よく知らなくても、一度会っただけで強い印象が残っちゃうことがある。その印象で感情が動くんだよ。そういう意味では、理人くんのきれいな顔は、相手に強い印象を残しがちだよね」

「なんか、わかるような、わからないような」

 さりげなく顔がきれいだと言われたことが照れくさくて、俺は口のなかでもごもごと曖昧な言葉を転がしてしまう。

「顔といえば、理人くんてやっぱり理麻ちゃんに似てるね」

「え、キモ」

 思わず呟く。

「いや、ごめん。他意はないよ。本当に似てるって思っただけで……」

 俺の言葉に少し傷付いたようなわっくんの横顔を見て、俺はすぐに考えなしに口にしたさっきの言葉を後悔した。わっくんは少し焦ったように、だけど静かにいいわけじみた言葉を口にする。俺は、不用意な言葉でわっくんを傷付けてしまったことが気まずくて、努めて明るい声を出す。

「お姉ちゃんと別れたからって、次は俺とかやめてよー」

 場を和ませるつもりの冗談だった。そんなことはありえないと笑ってくれると思ったからこそ、そんな冗談を言ったのだ。軽薄な半笑いで。それなのに、わっくんは顔を真っ赤にして黙ってしまった。

「うそ。マジなの?」

 その不用意で軽薄な問いにも、わっくんは沈黙している。

「ねえ、なんで黙ってんの? それって肯定してるみたいじゃん。ちゃんと否定してくんなきゃ」

「否定はしないよ」

「じゃあ、肯定してることになるじゃん」

 俺のツッコミにもわっくんは黙っている。

「いくらお姉ちゃんに顔が似てるっていっても俺、男だよ。わっくんと同じでチンコついてんだよ」

「理麻ちゃんに似てるから好きになったんじゃないよ」

 わっくんは、もう告白としか取れないような返答をする。

「え、もしかしてさ、別れたのって俺が原因なの? なんで。やめてよ、もう。俺の知らないところで勝手に破局の原因にしないでよ」

 これも、半分冗談のつもりだった。それなのに、わっくんはやっぱり黙るのだ。

「ちょっと待ってよ。本当に俺が原因なの?」

 わっくんの顔を見ることができない。俺は絶望的な気分で運転するわっくんの手もとを見る。車内は気まずい空気でパンパンだ。

「お姉ちゃんは、知ってるの? わっくんが、その、俺のこと……」

「うん。僕が理人くんに惹かれ始めてたことに気付いて、理麻ちゃんのほうから振ってくれたんだよ」

「なにそれ」

 元カレが自分の弟を好きになるとか、滅多にあることじゃないと思う。百歩譲って妹ならまだわかるが、弟だ。それって、普通に考えて感情がぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃないかと思う。わっくんと別れてからもいつもと変わらない姉の様子を思い出しながら、

「お姉ちゃんは、それでよかったのかな」

 俺が口にした疑問は、

「……それは、理麻ちゃんにしかわからないよ」

 わっくんの正論によって軽々と打ち落とされた。

「確かにそうだ」

 その後の車内でのことはよく覚えていない。わっくんはちゃんと俺を家まで送り届けてくれて、「またね」と笑顔で手を振って何事もなかったかのように帰って行った。またねってなんだよ。手を振り返しながら俺は思う。わっくんは、また俺と会う気なのだろうか。



 その予感は的中した。次の金曜日の夕方、わっくんが突然、家に車で迎えにきたのだ。

「ちょっとドライブしない?」

 ちょうど出かけようとしていた俺と玄関先で鉢合わせたわっくんは、そんなふうに軽く言った。家を知られているということは、こういうことが起こり得るってことなのか。そう思った俺は少し驚いていた。わっくんが、こんなふうに積極的な感じでくるとは思わなかったのだ。

「行けないよ。俺、いまから友だちの家に泊まりに行くんだもん」

 あれから将也の家の愛犬は無事に保護されたらしく、元気にしているそうだ。週のはじめあたりまでどんよりと暗かった将也も、すっかり明るさを取り戻した。なので、今日はついにゲーム合宿を決行するのだ。

「電車で行くの?」

「うん」

 わっくんの問いに俺は頷く。

「理人くんがよければ、送って行ってあげるよ」

 わっくんが言った。

「え、本当? やったー、うれしい! お願いしまーす!」

 俺はよろこんで玄関を飛び出し、わっくんの車の助手席のドアを開ける。電車で行くよりも車に乗せてもらうほうが断然、楽だ。

「理人くんはもう少し、僕に対して警戒心を持ったほうがいいと思う」

 運転席に乗り込んでシートベルトをしながら、わっくんが困惑したような表情で言った。

「そんなにあっさり僕の車に乗ってくれるなんて、正直、思ってなかったよ」

「え、なんで……」

 言いながら俺は、自分がわっくんに好かれているということを思い出した。

「そうだった」

 思わず言うと、わっくんは声を上げて楽しそうに笑う。ツボに入ったらしい。

「そんなに笑わなくてもいいじゃん」

「だって、かわいくて」

 わっくんの口からこぼれた褒め言葉が、俺の顔を熱くさせる。

「あのさ。わっくんてさ、俺のどこがいいって思ったの?」

 自分でこんなことを聞くのはどうかと思ったが、気になったので聞いてみる。

「理人くん、理麻ちゃんのこと『お姉ちゃん』て呼ぶでしょ」

「まあ、うん」

 物心ついたころから理麻は姉で「お姉ちゃん」だったので、他の呼び方をしようとも思わなかっただけなのだが、

「『姉ちゃん』とか名前呼びとかじゃなくて、ちゃんと『お姉ちゃん』て呼ぶところが、かわいいなって思ったのがきっかけかな」

 わっくんはそんなことを言った。

「些細すぎる」

 些細すぎるし、姉を「お姉ちゃん」と呼んでいることが急に恥ずかしくなってしまった。

「些細なことかもしれないけど、僕にとっては、それが強く印象に残ってるんだ」

「ふーん」

 やっぱりよくわからなかったので、俺は軽薄な相槌を打ってしまった。

 先週迎えに来てくれた駅までの道しかわからないとわっくんが言うので、そこからは俺が道案内をし、無事に将也の家に到着する。

「ありがとう、わっくん」

 俺はお礼を言って車を降りる。

「今日のお礼に、今度ドライブに付き合ってよ」

 俺といっしょに車から降りたわっくんが言った。わっくんは別に降りなくてもいいと思うのだが、俺を見送ってくれるつもりのようだ。玄関はすぐそこだけど。

「あ、ずるい。最初からそのつもりだったんだ」

「僕に警戒心を持ったほうがいいって言ったでしょ」

「確かに、言ってた」

「いっしょにドライブ行ってくれるなら、明日帰る時も迎えにきてあげる」

「え、本当? やったー! 行くよ、ドライブ。行く行く!」

 帰りの移動手段を確保して俺がよろこんでいると、わっくんはまたおかしそうに声を上げて笑った。

「じゃあ、連絡先交換しよう。連絡くれたら、僕はいつでも駆けつけるから」

「そんなこと言ったら、本当に俺、わっくんのこと便利に使っちゃうかもしれないよ?」

「いいよ、便利に使ってくれて」

 そんなふうに家の前でうだうだやっていたら、将也が玄関のドアを開けて顔を出した。将也はわっくんのほうを見て不思議そうな顔をしながら会釈をする。わっくんも、こんにちはと言って軽くおじぎをした。

「こんにちは。来てるんなら入りなよ」

 将也が言い、

「うん」

 俺はわっくんに「じゃあ、帰るとき連絡するからね! お願いしまーす!」と手を振って将也の家にお邪魔する。

「あの人、誰? 大学生? 送ってもらったの?」

「あー、うん。あれはお姉ちゃんの元カレの大学生」

 将也は俺に姉しかいないと知っているので、兄くらいの年齢のわっくんの存在が不思議だったらしい。

「なんで、お姉さんの元カレが送ってくれんの? お姉さんの彼氏ならまだわかるけど、元カレなんでしょ?」

「お姉ちゃんとは別れたけど、俺とは引き続き仲良くしたいんだって」

 将也の当然の疑問に、俺はわっくんのことを遠回しに説明する。

「なにそれ。理人を懐柔して、お姉さんとの復縁を狙ってんのかな」

 将也が、やはり不思議そうに言う。

「そういう考え方もあるよね」

 わっくんが自分に恋愛感情を持っていると知らなければ、確かに、俺もそう思ったかもしれない。

「そうじゃなかったら、理人と仲良くしてもなんのメリットもないじゃん」

「将也、おまえいまひどいことを言ってるって自覚したほうがいいよ。仲良するって、メリットとかそういうアレじゃないんだよ」

 将也はそう訴える俺を見て笑っている。からかわれたらしい。

 夕飯をごちそうになり、お風呂もいただいた。そして、俺たちは夜通しゲームを楽しんだ。気が付くと、外が明るくなっている。少し眠って、お昼ごろにわっくんにメッセージを送った。

 わっくんは本当に迎えにきてくれた。

「わっくん、ありがとう」

 助手席に座り、俺はわっくんにお礼を言う。なんだか、わっくんの恋心を利用しているような気がしてきて、申し訳なくなったのだ。

「どういたしまして」

 わっくんはにこにこしながら言う。わっくんの話し方は穏やかで静かだ。朝少し眠ったとはいえ、昨夜からの夜更かしが効いてきて、だから俺はついうとうとしてしまう。わっくんに運転させておいて眠ってはいけないと思うのだが、まぶたが重い。結局俺は、眠ってしまったようだった。

「理人、起きな。わっくんが困ってるよ」

 姉の声がしたのと同時に激しく身体を揺さぶられ、目を覚ます。俺は、自宅の玄関前に停められた車の中にいた。

「お姉ちゃん」

「わっくんが、理人が起きないから起こしてくれって」

 どうしてここに姉がいるのかと思った俺の思考を読んだかのように、姉が言った。姉の隣にはわっくんが立っていた。なんだか懐かしい光景を見ているみたいで、少し不思議な気持ちになる。これが本来あるべき姿だったんだよな、と、そんな思いが頭の片隅を過ぎった。

「あんた、わっくんにめちゃくちゃ気を許してるね」

 呆れたような顔の姉が助手席の背もたれに身体を預けた俺を見下ろして言う。そうなのだ。わっくんの車の助手席は、確かに安心感がある。わっくんの運転は姉の運転と違い、丁寧で安全な感じがするし、わっくんの放つ「いい人そう」なオーラも俺の警戒心を薄れさせてしまう。

「わっくん、ありがとね。あ、お昼はカレーだよ。あたしが作ったの。よかったら、わっくんも食べてってよ」

 姉はすごく普通な様子でわっくんにそう言って、さっさと玄関から入って行った。

「なんでわざわざお姉ちゃん呼んだの? わっくんが起こしてくれたらいいのに」

「いや、呼んでも起きないから。僕が理人くんにさわっていいものかどうかわからなくて」

 わっくんは少し照れたように視線を俺からそらして言った。

「なに言ってんの。そんなのいいのに、別に」

 言いながら、そういえばいままで、わっくんにさわったこともさわられたこともないな、と、なんとなく思う。俺はシートベルトを外し、車を降りる。

「カレー食べてくの?」

 そう尋ねると、わっくんは、「うん、遠慮なく」と頷いた。

「理麻ちゃんのカレーはおいしいから」

「でもお姉ちゃん、カレーしか作らないよ」

「そのカレーがおいしいんだからいいじゃない」

 俺は、わっくんのこういうところをちょっと好きだなと思う。でも、それと同時になんだかおもしろくないようなもやもやした気持ちになった。その気持ちがなんだかわからないままに、俺は手を洗って食卓に着く。

 姉と並んでわっくんが座って、その向かいに俺と母が座っている。母は休みだが、父は休日出勤らしい。

「あんたたち、本当に別れたの?」

 空気を読まない母がふたりを見ながらずけずけと言った。

「うん」

 姉があっさりと頷き、わっくんは困ったように笑っている。

「ぎくしゃくするよりいいけど、なんか変なの」

 母の言葉は、俺の思考そのもので、俺はやはりこの人の子どもなのだと変なところで実感してしまう。カレーを食べながら、俺はわっくんと姉を盗み見る。普通にサークルの話をしているふたりはとても自然で、やはりこれがあるべき姿のように感じて、もやもやしてしまう。

「理人くん、ドライブいつ行こっか?」

 ぼんやりしていたら、わっくんが話しかけてきた。とっさに答えられずにいると、

「あんたたちドライブすんの? いいなー、私もお父さんに連れてってもらおうかな」

 母が軽い調子で言う。

「ていうか、理人の送迎してくれてドライブまで連れてってくれるって、わっくんどんだけ運転好きなの?」

 母の言葉に、俺と姉が同時に噴き出した。子どもたちにウケたことがうれしかったのか、母もにやにやしている。わっくんだけが戸惑っていた。

「今度の土曜日がいいな」

 俺はわっくんにそう言った。

「じゃあ、明るいうちに出かけようか。理人くん、どこか行きたいところある?」

「わっくんの行きたいところでいいよ。お礼だし」

「ふたりの行きたいところ、両方行ったらいいのよ。車なんだから」

 母が言う。うるさいな、と思ったが、母の言っていることはもっともだったので、俺はなにも言わない。

「じゃあ、あとでメッセージ送るから、どこ行くか決めよう」

「わかった」

 わっくんが言い、俺は頷く。確かに、家族がいる前でデートの計画を立てるのはなんだか変な感じだ。そう思い、デートってなんだ、と我に返る。わっくんとドライブすることは、デートなのだろうか。一瞬でもそう思ったってことは、俺はデートだと無意識に思っていたということになる。なる、のか? わっくんにとっては? わっくんは俺のことが好きだから、わっくんにとっては俺と出かけることはデートになるのかな。どうなんだろ。

 そんなことを考えながらぼんやりとカレーを食べる。姉の作ったカレーは確かにおいしい。わっくんに言われてみて初めて、姉のカレーをちゃんとおいしいと思いながら食べたような気がする。



「このトンネル、なにかあるの?」

 わっくんが行きたいと言った場所は、隣町の外れにある、もう使われていない古い小さなトンネルだった。土曜日の午前中にわっくんが家まで迎えに来てくれて、俺たちはそのままドライブに出かけた。そして、謎のトンネルに連れてこられたのだ。

「知らないの? このあたりで唯一の心霊スポットだよ」

 わっくんが言う。

「え、幽霊が出るの?」

「そういう噂だね」

「わっくんてそういうの好きなの?」

「理人くん、僕と理麻ちゃんがなんのサークルに入ってるか知らない?」

「あっ、そっか」

 そう言われて、俺はやっと気が付いた。

「オカルト研究会だ」

 俺は、姉の所属するサークル名を口にした。

「そっかそっか、わっくんとお姉ちゃん、同じサークルだったよね。お姉ちゃん、そういう不思議系の話、昔から大好きだもん。幽霊とか異世界とか未確認なんちゃらとか」

 道の端のスペースに駐車して、俺たちは車を降りる。トンネルの周辺はアスファルトが割れて雑草があちこちに生えている。

「理人くんは、そういうの苦手?」

「苦手ってほどじゃないけど、好きってこともないよ」

 実際、自分がすごく怖がりだとは思っていない。人並みくらいだと思う。

「僕はね、オカルト好きだけど、結構怖がりなんだ」

「じゃあ、なんでこんなところにきたかったの?」

「怖いもの見たさだよ」

 わっくんが言う。

「よく晴れた昼間に、理人くんがいっしょなら行ってみたいって思ったんだよね」

「俺、そんな頼りにはならないけど。なにか起きてもなにもできないよ」

「頼りにならなくても、いてくれたらいいんだよ」

 そう言ったわっくんの静かな言葉に、俺は少しどきっとしてしまう。

 雑草を踏み分けて、ふたりでトンネルのそばまで歩く。トンネルの入口にはロープが張ってあり、そのロープに「立入禁止」の札が下がっていた。

「こんなの簡単に入れちゃうね」

 俺が言うと、

「実際入ってる人もいるだろうね」

 わっくんがあっさりとそう言った。

「でも、僕は『立入禁止』って書いてあったら、入らないようにしてる。心霊スポットへの恐怖心のドキドキがすでにあるのに、立入禁止を破ってしまったことへの罪悪感のドキドキまで背負えないから」

「真面目な小心者だね、わっくん」

 俺の不用意な言葉に、わっくんは楽しそうに笑う。

 奥のほうを覗くと、向こう側は塞がれているようだった。光が見えない。真っ暗だ。四月も半ばになり、だいぶあたたかくなってきたのに、トンネル付近の空気はひやっと冷たい。同時に、湿った土のような、カビくさい匂いが鼻をかすめる。

「あっちに大きい道ができたから、このトンネルは必要なくなったみたいだね」

 わっくんが言った。

「手を繋いでもいい? 理人くんが嫌じゃなければ」

「唐突だね」

 わっくんの言葉に、俺はまたどきっとしてしまう。手を繋いだら、このお出かけが本当にデートになってしまうような気がした。

「デートだから手を繋ぐの?」

 言葉が考えなしに口を突いて出た。

「あ、これってデートなの?」

 わっくんは俺の顔を見て少し驚いたような表情をした。それは俺の台詞だ、と思ったが、俺は黙って返事を待つ。

「デートのつもりはなかったけど、理人くんがデートだと思ってくれてたんなら、うれしいな」

 わっくんはそんなふうに言った。

「いや。やっぱり、そういうのよくわからない」

 俺は正直に言う。

「わからなくてもいいよ。理人くんが僕のこと、ちゃんと考えてくれててうれしい」

「わっくん、うれしがってばっかじゃん」

「そうだね」

 声を上げて笑ったわっくんは、

「あのね。手を繋いでもいいかって言ったのは、ちょっと怖くなっちゃったからだよ」

 ばつが悪そうにそう言った。

「怖がりなのに、怖い思いをしにわざわざ心霊スポットに来るなんて。怖いもの見たさっていっても、やっぱ変なの」

 俺自身は怖いと思っていないので、わっくんがなにを怖がっているのかよくわからない。このトンネルの、暗くて湿っぽい雰囲気なのだろうか。

「運動部の部室のすみっことかにさ、誰のかわからないけどすっごく臭い靴下が放置されてたと仮定して」

「なに急に、その謎の仮定」

 俺は思わず笑ってしまう。笑いながら、俺はわっくんの手に自分の手をすべり込ませて、そのまま繋ぐ。

「部員のひとりが、その靴下を面白半分に嗅いで、くっせーって言って楽しそうに騒いでる」

「うん」

 わっくんの言う仮定の光景を想像しながら、俺は頷く。わっくんの手は、ひんやりとしていた。

「すごく臭いってわかりきってるその靴下を、そもそも嗅がない、嗅ぎたくないって人と、どのくらい臭いかちょっと嗅いでみたいって人がいるんだよ」

 わっくんが俺の手をやわらかく握り返してきて、少しくすぐったいような気持ちになる。

「僕は、ちょっと嗅いでみたいほうの人なんだ」

「ああ、うん。わかる」

 俺は納得して頷く。

「俺も、どっちかっていうと嗅いでみたいほうの人だ」

「でも、真っ先に嗅ぐ人ではないんだよね」

「それもわかる」

「理麻ちゃんは、真っ先に嗅いで騒ぎそうだけど」

「めっちゃわかる」

 俺とわっくんは、へらへらと笑い合いながら、手を繋いで雑草を踏み分けながら車へ戻る。冷たかったわっくんの手は、俺と同じ温度になっている。

「今日は、心霊スポットのドキドキが理人くんへのドキドキで上書きされたから、結果的によかったかな」

 運転席に乗り込み、シートベルトをしながらわっくんが言った。

「なにそれ、吊り橋効果じゃないの?」

 俺も助手席でシートベルトをしながら言う。俺の言葉に、わっくんはぎょっとしたように目を見開いた。そして、

「だとしたら、理人くんには効果あった?」

 などと尋ねてくる。

「ないよ。俺は別に怖くなかったもん」

 答えながら、恐怖心のドキドキはなかったけれど、わっくんの言動に普通にどきっとしてしまったな、と考え込んでしまう。

「ああ、そうか。理人くんはあのトンネルのいわくをしらないから、怖いと思わなかったのかもしれないね」

 がっかりしたように、わっくんは言った。

「いわくって? どんなの?」

 興味をそそられて尋ねると、

「まだ話せない」

 スカされた。

「え、なんで。逆にちょっと怖い」

「わからないって怖いよね」

 わっくんはそう言って、本当にトンネルのいわくを話してくれなかった。しつこく聞くのも躊躇われて、俺はしぶしぶ諦めることにする。帰って姉にでも聞こう。きっと知っているはずだ。

「じゃあ、高速乗るね」

 わっくんは、これから俺が行きたいと言っていたサービスエリアに連れて行ってくれるらしい。大幅に改装して、なにやら楽しげな施設になったとテレビのローカルニュースで放送していたのだ。

「お昼もそこで食べようよ。いろいろあるみたいだよ」

 わっくんが言う。

「うん。高速代はんぶんこしよ」

「ETCカード付いてるから大丈夫だよ」

「でも、それってわっくんの家のカードでしょ?」

「そうだけど」

「だったら、やっぱり半分出すよ」

「わかった。ありがとう」

 そんなこまごましたことを話しながら、俺は学校でのことを思い出していた。この前、わっくんが俺が姉のことを「お姉ちゃん」と呼ぶのがかわいいと言ったことが引っかかっていて、俺はクラスの姉がいるやつらに、姉のことをどう呼んでいるか聞いて回ったのだ。その返答は、「そもそも呼ばない」「名前を呼び捨てにしている」「おいとか、ねえとか」「普通に、姉ちゃん」など様々だったけど、「お姉ちゃん」と呼んでいるやつはひとりもいなかった。なので、ますます姉のことを「お姉ちゃん」と呼んでいることが恥ずかしくなった。だからと言って急に呼び方を変えるのもそれはそれで恥ずかしい。姉はきっと気付くだろう。それに、わっくんが「いい」と言ってくれたその部分を果たして直す必要があるのか。そう考えてしまってから、それでは俺がわっくんに好かれていたいみたいじゃないかと、その結論に行きついてしまうのだ。

 サービスエリアには大きなフードコートがあり、名物の屋台みたいなものも並んでいた。目に付いた珍しい豚まんや変な形のメロンパンを食べ、謎のモニュメントのある庭園のような場所をぶらぶら歩き、ドッグランで他人の愛犬の笑顔を眺め、土産物屋をひやかしていたら時間はあっという間に過ぎてしまった。飲食代も自分で払うつもりだったのに、わっくんに押し切られて奢られてしまった。

「今日って送迎してくれたお礼でしょ? これじゃお礼にならないよ」

 俺が言うと、「一応、僕のほうが少し年上だから、格好付けたいんだよ」とわっくんは言う。

「わっくん、楽しかった? なんか俺のお守りみたいな感じだったけど」

 帰りの車内で、俺は気になっていたことを聞いてみる。年上の男の人と遊んだことなんてないので、実はずっと変な感じがしていた。でも、嫌な感じではない。なんだか、むずむずするような、よくわからない感じなのだ。

「楽しかったよ、すごく」

「なら、よかった」

 わっくんがそう言ってくれたので、少しはお礼になったようだと安心する。

「また、こんなふうにいっしょに遊びに行きたい」

 わっくんが、ちょっと強張った表情で改まったように言った。その横顔を見ながら、

「うん、もちろん」

 俺はそう答えた。いま人気のアイドルがテレビ番組で、ファンの要望に対して「もちろん!」と快く返事をしていたのを、感じがいいなと思いながら観ていたので、真似たのだ。わっくんの横顔が笑顔になったので、俺はいまの返事で正解だったんだな、と安心する。



「あのトンネルに、そんないわくなんてないよ」

 姉の言葉を、俺は信じられない思いで聞いた。夕飯前に帰宅して、自分の部屋に戻る前に姉の部屋を訪ねてトンネルのいわくを聞くと、そう言われたのだ。気になるいわくの存在が全否定されてしまった。

「あんた、わっくんに騙されたんじゃないの?」

「え、わっくんってそういうことするの? 人を騙したりするような人なの?」

「あーいや、ごめん。騙すってのはちょっと言い方が悪かった。あんた、からかわれたんだよ。わっくんも人をからかったりはするよ」

「そういうことしなさそうに見えるのに」

「まあ、いい人そうに見えるからね、あの人」

「たぶん、実際いい人でしょ?」

「いい人はいい人だけど、わっくんもそのへんにいる人間と、同じではないけど似たようなもんだよ。あたしたちだってそうだけど、人をからかったりもするし、嘘もつく。心変わりだってする」

 姉がそう言い、俺はわっくんが姉の元カレだったことをやっと思い出した。

「あ、ごめん。なんか俺、わっくんの話とかして……」

「気にしなくていいよ。もうなんとも思ってないし」

 姉はそう言って、自分の言葉に納得できなかったのか、首をかしげた。そして、

「なんとも思ってないは、違うか。わっくんは、元カレで友だちだから親しみを感じてるし、それなりに好きだよ。感謝もしてる。でも、恋愛感情はもうないの」

「好きなのに恋愛感情じゃないの?」

「あんたさ、あたしのこと好きでしょ?」

「えー。別に、まあ、嫌いじゃないけどさ……」

 照れて視線をそらした俺に、「なにもじもじしてんの」と笑い、

「あんたのそれと同じ。そういう感じの好きって言ったらわかる?」

 姉は本題に戻る。

「なんとなく、わかった」

「それに、先に心変わりをしたのは、あたしだから」

「え」

 姉の発言を、俺は再び信じられない思いで聞く。

「あたしたちは、お互い別に好きな人がいる状態で付き合ってた期間が少しだけある」

「なにそれ、フケツ」

「けじめを付けるために話し合ってお別れして、その後、あたしは好きな人にあっさり振られて、わっくんは、あんたも知ってる通り、いまがんばってるところだね」

「なにそれ、オトナ」

 姉の話は信じられないことばかりで、俺の頭は混乱していた。

「そんな何歳も違わないじゃない」

 そう言って、姉は笑う。俺は自分の部屋に戻り、わっくんはどうしてあんな嘘をついたのだろうと考える。いわくが嘘なら、わっくんが怖いと言っていたことも嘘だということになる。もしかして俺と手を繋ぐために、あんな嘘をついたのだろうか。だとしたら、ちょっとダサいな、と思ってしまう。そのダサい計画に、俺はまんまと引っかかってしまったのだ。そう思ったら、めちゃくちゃ恥ずかしい。だけど、

「そっか、わっくんも、そのへんにいる普通の大学生だもんな」

 小さくそう呟いてみる。それなら、ダサくても当たり前なのかもしれない。そんなふうに自分で自分を納得させていたのに、

「ねえ、理人。あのトンネルだけどさ」

 夜、寝る前になって、リビングのソファでテレビを観ていた姉が思い出したように言った。

「いわくはないけど、一応心霊スポットではあるよ」

「待ってよ、なにそれ。いわくのない心霊スポットなんてあるの?」

「心霊現象っていっても、トンネルの中に人影が見えたってくらいのふわっとした地味なやつだから、当然いわくもないし、それらしい噂もないんだよね」

「それって、普通に誰かが中にいたんじゃないの?」

「たぶんそう。だから、心霊スポットではあるけど弱いんだって。でも、いわくの創作、拡散によってこれから大きく強く育つかも。今後に期待」

 姉は心霊スポットに対して審査員のような講評を口にし、テレビを観て笑っている。

 心霊スポットに強いとか弱いとかあるのか、と、どうでもいいことに感心しながら、俺は、やっぱりわっくんの今日の言動が気になってしまうのだ。



 ゴールデンウィークに入って、わっくんにまたデートに誘われた。自分に恋愛感情を抱いている姉の元カレと、こんなに頻繁に出かけてもいいものなのか、俺は混乱してしまう。そして、混乱しつつもまた出かけてしまう。先日のわっくんとのドライブが、実は普通に楽しかったからだ。

「散歩に付き合ってよ」

 わっくんは言った。

「いいけど」

 俺は言い、ふたりでなにもない森林公園の通路をただただ歩く。本当に自然意外になにもない公園だったけど、思ったよりも人が多い。天気はいいし、気持ちのいいあたたかい風が吹いている。桜の季節はとっくに過ぎてしまったけれど、新緑が眩しい。俺とわっくんは、しばらく無言で歩いていた。なのに、全く苦じゃなかった。森林公園までは、やはりわっくんの車に乗せてもらった。入園料は無料なのに、駐車場は有料だったので、俺は料金を半分払うことに決める。そう決めた途端、売店でアメリカンドッグを奢られてしまった。俺が物欲しそうに見ていたせいだ。

「自分で買うのに」

「なにか買ってあげたかったんだよ」

 わっくんは、孫がかわいくて仕方のないおじいちゃんのようなことを言う。

「わっくん、嘘ついたでしょ」

 ベンチに並んで座り、俺はアメリカンドッグ、わっくんはソフトクリームを食べる。

「嘘って?」

「前に行ったあのトンネル、いわくなんてないらしいじゃん」

 俺は気になっていたトンネルのことに触れる。

「やっぱり、ばれちゃったか」

 わっくんは悪びれた様子もなく言った。いい人そうなわっくんが全く悪びれていない様子は、なんだか悪い人のようにも見える。ややこしい。

「ばれるよ。うちにはお姉ちゃんがいるんだよ」

「そりゃそうだ」

 わっくんは笑い、「かっこ悪いんだけど」と切り出す。

「理人くんが言ってたみたいに、吊り橋効果を狙ってた。でも、理人くん、全然怖がらないからさ」

 照れもせず、あっさりと言ったわっくんがなんだか大人に見える。

「なんで俺が怖がることが前提なの?」

「理麻ちゃんが前に、理人くんは怖がりだって言ってたんだよ」

「そりゃ、お姉ちゃんに比べたらだよ。お姉ちゃんに比べたら、誰でも怖がりだって」

「ああ、そっか。本当だね」

 ツボに入ったらしく、わっくんはしばらく笑っていた。

「でも、地元の一応は心霊スポットとして存在している場所に、行ってみたかったのは本当だよ」

 笑いが収まり、わっくんは穏やかにそう言った。

「あと、トンネルを覗いてたら、怖くなったのも本当」

「え、そうなの?」

「僕は閉所恐怖症と暗所恐怖症の気があって、あのトンネルは暗くて狭そうだったでしょ? だから、ぞわぞわしちゃったんだよね」

「怖いもの、多いんだね」

「多いよ」

 わっくんは、いい人そうな顔で微笑む。

「あ、でもね。吊り橋効果ももちろん狙ってたけど、本命は、いわくの創作」

「創作?」

 そういえば、姉もそんなようなことを言っていたな、と俺は思い出していた。

「いわくをでっち上げて理人くんにそれを話すつもりで、いわくがあるっぽく言っちゃったんだけど、やっぱすぐにはなにも思い浮かばなかったんだよね。あの日、いい感じのいわくを思い付いて理人くんに話してたら、理人くんが学校とかで拡散してくれて、あのトンネルは心霊スポットとして少し強くなってたかもしれないね」

 わっくんの言うことは、ときどき姉の言うこととよく似ている。趣味が同じなのでそうなってしまうのか、ふたりが恋人同士だったからそうなってしまったのか、俺にはよくわからない。こういうことを考えると、なんだかもやもやしてくる。

「なにそれ。いい感じのいわくって」

 呆れたふりをしながらも、俺はわっくんが「怖くなった」と言っていたことが嘘ではなかったことにほっとしていた。これが嘘だったら、あの時、素直に手を繋いでしまった俺は、ベタな嘘にころっと騙された馬鹿間抜けということになる。なにより、わっくんがそんなベタな嘘をつくような人でなくてよかったとも思った。

 アメリカンドッグを食べ終え、ふとわっくんの手もとを見ると、わっくんの持っているコーンは斜めに傾いていて、地面にソフトクリームがまるごと落ちてしまっている。

「わっくん、それ……」

 気付いてなさそうなわっくんに知らせようと口を開いた瞬間に、大きな犬が、わっくんの足もとにぬっと顔を突っ込んできた。ハスキーだ、かっこいい、などと一瞬のん気に思っていると、

「ぎゃ」

 驚いたらしいわっくんが変な声を上げた。犬はそれを意に介した様子もなく、地面に落ちていたソフトクリームをベロベロと舐め取ってしまった。

「あっ、あんたまた……こら! だめよ、チビ! だめっ! すみません、すみません」

 犬のリードを引いて叱りながら俺たちにペコペコと謝罪する俺の母と同じくらいの年ごろの女性に、俺は、「大丈夫です」と一応言う。わっくんは大丈夫ではなさそうで、漫画みたいに俺の肩に抱きついていた。

「あんたはもう! 帰ったら歯みがきだからね!」

 叱られながらも、ソフトクリームがおいしかったのか、ハスキー犬は満足そうな表情をして去って行った。

「さっきの話だけど」

 そろりと用心深い動作で俺から身体を離し、わっくんが言った。

「さっきの?」

「怖いものが多いって話」

「ああ」

「僕は、大きな犬も怖いし、理人くんのことも怖いよ」

 大きな犬のことはいまの様子を見ていたらわかるけど、俺のことが怖いというのは理解できない。

「どうして? 犬はまあわかるけど、俺はそのへんにうじゃうじゃ生息してる普通の男子高校生だし、無害だよ。怖くないよ」

「僕にとっては、世界にたったひとりだけの男子高校生だし、理人くんの言動で僕の感情が驚くくらい動いてしまうから、だから怖い」

「世界にたったひとりだけの男子高校生」

 わっくんの言い方がおかしくて、俺はつい笑ってしまう。

「さっきのも、情けなくてかっこ悪いところ見られて、嫌われちゃったかもって思ったら、すごく怖いよ」

「心配しすぎだって。嫌わないよ、あんなことでさ」

「ちょっと安心した」

 わっくんは、恥ずかしそうな、でもほっとしたような、それでいて死にそうな、なんだかすごく複雑な表情をしている。こんな表情のわっくんは初めて見たかもしれない。わっくんは大人だと思っていた。大人で、余裕があるのだと。だけど、違った。それに気付いて、俺は、わっくん対してより親しみを感じてしまう。

「情けないわっくんも、いいと思うよ」

「そう言ってくれるのはうれしいけど、やっぱ理人くん、情けないって思ってたんだ……」

「え、そういうこと言うの? めんどくさー」

 すっかりネガティブになってしまったわっくんを、俺は笑う。わっくんもつられたのか、笑い始めたので、俺は安心する。



 わっくんとメッセージのやりとりをしていて、話しの流れで将也の家に行くと言うと、わっくんは当然のように、「送迎してあげる」と言い出した。そんなつもりはなかった、とは言い切れない。少しだけ、わっくんが車を出してくれることを期待してはいた。そんなふうに期待してしまっていることを、俺は少し申し訳なく思いもする。本当に、わっくんを便利に使ってるみたいだからだ。

「え、またあの大学生に送ってもらったの? 本当に仲良くしてんだね」

 将也が言う。今日は本当にふたりで勉強するために集合したのだけど、テーブルの上に開いた参考書を放置して、俺たちはゲームのコントローラーを握っていた。

「あの、将也にだけ言うけど」

 俺はゲーム画面から目を離さずに切り出す。

「これ内緒な」

「うん」

「誰にも言うなよ?」

「いいから早く言えよ」

「わっくん、俺のこと好きなんだって」

 驚いてゲーム操作が疎かになるかと少し狙っていたのだが、将也は調子を崩すことなく、

「わっくんて、あの大学生?」

「うん」

「好きって、理人の顔がお姉さんに似てるから? なら、やっぱお姉さんのことがまだ好きなんじゃないの?」

 冷静な様子でそんなことを言った。

「俺もそう思ったけど違うみたい」

「へー、物好きだね」

「なにそれ、どういう意味?」

「そのままの意味だよ。お姉さんの元カレなら、女の人も好きになれるんでしょ? だったらわざわざ男のおまえを選ばなくてもって、俺は思うけど」

「なんで?」

「だって、世間とか社会とか、いろいろめんどいし、しんどそうじゃん」

 そう聞いて、俺はもやっとしてしまった。自分自身、将也の言葉に納得してしまったからかもしれない。だけど、そう感じるってことは、

「あれ。俺、わっくんのこと好きなのかな」

 ふと過ぎった言葉を、俺はそのまま口に出す。

「いや、知らんよ」

「お互い黙ってても苦じゃないし、むしろ楽。とにかく、いっしょにいて楽しいしラクチンなんだよね。車も出してもらえるし、いいって言っても奢ってくれたりするし、悪いなと思うけど助かるよね、実際。将也んちまでいつも電車かバスだったけどさ、最近はわっくんが送迎してくれるし、なんていうか、すごく便利。便利って言い方ちょっとアレだけど」

「便利だから好きなの?」

「え、そんなこと……」

 そんなことないと言おうとして、否定しきれないことに気付いた。

「え、そうかも。あるかも。俺、便利だからわっくんのこと好きだって思ってるのかも」

「マジで。冗談だったのに」

「便利だから好きって、そういうのって、じゃあ、好きとは違うよね?」

「そういうのも一応『好き』なんじゃないの。便利なところって、言ってみればその人の長所でしょ? それに、そのわっくん? が、理人に好かれたいからそういうことやってんなら、別にそれで好きになってもいいじゃん」

「それって、わっくんにマメにアプローチされて俺は簡単に落とされたってことでいいの?」

「そうそう。ていうか、おまえ前に、仲良くするのにメリットとかそういうアレは関係ないとかなんとか言ってなかったけ」

「言ってたっけ?」

「言ってたよ。だから、そのわっくんて人が便利じゃなくなっても好きって思うなら、好きなんじゃないの。メリットとかそういうアレじゃないんならさ」

「わっくんが便利じゃなくなる……便利じゃなくなったわっくん……」

 呪文のようにそう唱えていると、

「俺もおまえも結構ひどいこと言ってるな」

 将也が笑い出した。

「本当だ」

「理人は馬鹿だし、世間の風当たりは強い。わっくんさんは、やっぱり物好きだよ」

 将也はそんなふうに言ったけど、その口調はなんだか穏やかだった。

「それはそうと、ナチュラルに俺のことディスったじゃん」

 便利じゃない、かっこ悪いわっくんを、実は知っている。あの日の森林公園でのわっくんの情けない姿を思い出してみる。思い出すと、少し笑ってしまう。それでも、いや、だからこそ、俺はわっくんのことが好きかもしれない、と思うのだ。



「明日の夜、わっくんとドライブ行くから」

 金曜日の夕飯の席で、一応報連相をしておく。夜の外出なので、言っておかないと後でうるさいのだ。

「遅くなるの? ちゃんと鍵忘れずに持って行きなさいよ」

「うん」

「お姉ちゃんの元カレと仲良くなるなんて、変な弟」

 笑いながら母は言った。俺は聞こえないふりをする。

「お姉ちゃん。俺がわっくんのこと好きになったって言ったらどう思う?」

 深夜、両親が寝てしまい、リビングに姉とふたりになった時に聞いてみた。

「別にいいんじゃない」

 姉はあっさりと言う。

「わっくんの努力が実ったんだなーって思うよ」

「元カレと弟の関係を応援するって、どんな感じ?」

 俺は不用意で軽薄な質問をしてしまう。不用意で軽薄だとわかってはいるのだけど、気になるのだ。

「どんな感じもなにも。応援なんてしてないって。でも、別に反対もしてない。わっくんなら知らない人ってわけじゃないし、かわいい弟の相手がわっくんならあたしも少し安心ってだけで、理人がわっくん以外の人がいいなら、それはそれでいいんだよ」

「それだ」

 姉のなにげない言葉に、俺は気付いてしまった。

「え、どれ?」

「わっくんって、知らない人じゃないんだよね」

「まあね。そうだね」

「知ってる人だったからだよ。ちょっと知ってる人だったから、つい気を許しちゃったんだ。知ってる人だったから隙ができた」

「顔見知りの犯行みたいに言わないでよ」

 姉は呆れたようにそう言った。


 そして、土曜日。今夜のドライブは、俺のほうからわっくんを誘ったのだ。誘ったと言っても、「ねえ、どっか連れてって」と、我儘を言ったというほうが近い。それでも、わっくんは、「どこ行きたい?」と即レスしてくれるのだ。

 暗くて真っ直ぐな夜道を、わっくんは安全運転で走行する。

「展望台って、なにがあるの?」

 わっくんが言った。俺が展望台へ連れて行ってほしいとお願いしたのだ。

「行ったことない? 芝生の広場みたいなところに、ちんまりした謎の建物が建ってんの。それが展望台なんだけど。俺は小学校の遠足とかでよく行ってた。遠足は昼間だけど、本当は星がきれいなんだって。でも、夜には行ったことがなくて」

「へえ、僕は行ったことないな。楽しみだね」

 助手席から見るわっくんの横顔は、いつの間にか馴染みのあるものになった。俺は、展望台に着いたら、わっくんにちゃんと気持ちを伝えようと決めていた。だから、少し緊張してしまう。

 たまたまなのか、いつもそうなのか、展望台には誰もいなかった。そのことにテンションが上がって、車を降りた俺は緊張を忘れて芝生の上を突っ切り、ちんまりとした展望台へと向かう。

「誰もいない、やったー!」

 言いながら、ぎゅっと狭い螺旋階段を駆け上がると、展望台の内部で、カンカンと金属音が響く。

「本当だ。星、きれいだね」

 追い付いたわっくんが、俺の隣に立って言う。

「うん。夜景も見えるね。ちょっとしょぼいけどきれいだ」

 思っていたよりもロマンチックなシチュエーションになってしまったような気もする。そのことが妙に気恥ずかしいけれど、言うならいましかない。

「あのね、わっくん」

 俺は口を開く。

「俺、わっくんがお姉ちゃんの元カレじゃなかったら、好きになってなかったかも」

「それは……どう思ったらいいんだろう」

 困惑したようにわっくんは言った。

「あのね。つまり、お姉ちゃんの元カレだっていう安心感があったから、心に隙ができたんだよ。お姉ちゃんが、ヤバイやつと付き合うわけないって思ってるから」

「理人くんの理麻ちゃんへの信頼がすごいってことはわかった」

「わっくんがさ、初対面の、全然知らない人とかだったら、きっとこんなふうに思ってなかったと思う」

 わっくんは知らない人じゃなかったから。知ってる人だったから。だから、安心して隣にいられた。面倒だなんて思わなかった。好きだよ、と言おうとぐっと腹に力を入れた瞬間、

「あれ、ちょっと待って。理人くん、いま僕のこと好きって言った?」

 わっくんが慌てたように言った。

「あれ? 言ったっけ? いつ? 隙ができたとは言ったけど」

 つられて俺も慌ててしまう。まだ言っていないつもりだったのだ。

「その前その前。あまりに自然で思わず聞き流しちゃった」

「待って。じゃあ、それなし。もう一回ちゃんと言う」

「うん、ごめん、お願い。あ、待って。録音したい」

「やめてよ。それは本当にだめ。普通にキモいよ」

「それもそうだ。ごめん、なんかパニクちゃって」

「じゃあ、言うよ」

「うん、はい」

 仕切り直して、俺は呼吸と表情を整える。

「俺、わっくんのことが好きです」

「ありがとう。僕も、理人くんのことが好きです」

「ひえ」

 胸のあたりがむずむず、ひりひりする。思わず変な声を上げてしまった。顔がものすごく熱い。

「こんなこと、初めて言った! この一連のやりとりがめちゃくちゃ恥ずかしい!」

「僕は、理人くんの初恋の相手になれて、すごくうれしい」

「初恋とか言わないで! マジで恥ずいから!」

 ひとしきり騒いだ後、俺は少しだけ気にかかっていたことをわっくんに伝える。

「あのね、わっくん。俺、世間とか社会とか、本当はちょっとは気になるけど、とりあえずいまは自分の気持ちだけを優先させることにした」

「うん」

「だから、周りとの折り合いにしんどくなったら、わっくんにいちばんに話すし、わっくんも俺に言ってよね。俺、そんな頼りにはならないけど」

「いてくれるだけで、心強いよ」

 わっくんはそう言ってくれる。うれしい気持ちでいっぱいになり、

「俺が十八になって免許取ったら、わっくんをいちばんに助手席に乗せてあげる。そうしたら、俺の運転でいっしょに出かけよう」

 俺は未来の話をする。とりあえず、いま俺の見ている未来はきらきらと明るいのだ。

「ありがとう。楽しみにしてる」

「でも、車は貸してほしいな。うちの車、いつもお父さんが乗って出ちゃうから」

「うん、いいよ。安全運転でね」

 わっくんは穏やかに、そう言った。

「こういう場所でいちゃついてるカップルって、ホラー映画の冒頭で殺されがちだよね」

「わかる」

 そんなくだらない話をしながら、俺はあることに気が付いてしまった。

「ところでさ、わっくんて名前なんていうの?」

「名前?」

「ええと、本名っていうか、フルネーム。俺、実は『わっくん』としか知らないんだよね」

「そこから?」

 少しショックだ、と言いつつ、わっくんは改まったように自己紹介をしてくれる。

「僕の名前は、和久峰彦です。どうぞ、末永くよろしく」

「なるほど。その名前は、なんていうか、すごく……わっくんだよね」

 俺の言葉に、わっくんはおかしそうに笑う。



ありがとうございました。

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