第1夜 出会い
「・・・であるからして、我が社の業績はまだまだ回復途中ではありますが・・・」壇上での演説はまだまだ続きそうな勢いだった。
「はぁっ、いつまで続くんだ?もう20分も喋ってるぞ」松岡 修二はけだるそうに声を上げていた。
「本当、新しく社長になったから張り切っているんだ」修二の隣で同僚の隆も目の前に並んだご馳走を恨めしそうに眺めながらそう言っていた。
不景気のあおりを受けて2年ぶりに開催された忘年会で、今年から新しく就任した社長の挨拶はすでに25分が過ぎようとしていた。
「えぇ~、はなはだ簡単ではありますが、これで私の挨拶は終わります。来年も皆さんがんばっていきましょう。」社長が満足そうにそう話を締めきると、「それでは、乾杯の挨拶を伊藤専務お願いいたします」司会の声がそう告げた。
「やっと乾杯だぜ」隆が修二のグラスにビールを注ぎながらそう言った。
「そうだな」修二も隆のグラスにビールを注ぐと、グラスを手に持った。
その後修二たちは更に10分そのグラスを持ち続けることになっていたが、無事乾杯が終わり参加者はやっと食事に有りつけることになっていた。
宴会も進み、当たり障りのない行事も滞りなく進みその日の忘年会もついにお開きとなった。
「おいっ、この後予定あるか?」隆は帰り支度を進める修二にそう声を掛けた。
「いやっ、特にないけど」修二の言葉に、「良かった、この前いい店見つけたんだ」隆はそう言って修二の腕を取ると、「行こうぜっ」そう言って歩き出した。
「おい、待てって」修二の言葉に耳を貸すことなく隆は歩き続けていた。
小雨が降りだす中、隆は修二を連れてビルの中に入って行った。
「ここだっ」隆は扉の前で修二を見るとそう言ってそのドアを開けた。
「イラッシャイマセェ~」中に入った二人を甲高い声が出迎えていた。
「アラッ、オ久シブリ」ホステスが隆に愛想笑いをふりまきながら、「コチラヘドウゾ」そう言って席に案内した。
「久しぶりって、2日前に来たばっかりじゃん」隆は腰をおろしながら笑みを浮かべていた。
「エェ、2日前カラ、久シブリ」ホステスは片言の日本語でそう言いながらおしぼりを隆に手渡すと、「コチラハ、初メテネ」修二に笑顔を向けておしぼりを差し出した。
「ありがとう」修二は戸惑いながらおしぼりを受け取ると、酒の準備のためホステスがカウンターに戻ると、「おいっ、ここって」修二は隆に耳打ちしていた。
「ああ、フィリピンバーだ」隆は修二の問に涼しそうにそう答えると、「でもっ、結構安いんだぜ」そう言って目の前に置かれたグラスを手に取っていた。
「イラッシャイマセ」修二の隣に、先ほどとは違うホステスが座ると、修二にグラスを差し出していた。
「ありがとう」修二が手渡されたグラスを手に取ると、「じゃあ、乾杯」隆が修二のグラスに、グラスを当て口を付けた。
「ああ」修二もグラスを口に付けてそれをテーブルに置くと、「ワタシモ、頂イテイイデスカ?」修二の隣のホステスが、修二にそう聞いていた。
「ああ、いいよ」修二がそう答えると、そのホステスは「アリガトウ」そう答えて席を立つと、グラスにビールを注いで席に戻ってきた。
「頂キマス」ホステスがグラスを割きだすと、「んっ、乾杯」修二はそう言ってそのグラスに自分のグラスを当てた。
「カンパイ」ホステスはそう言ってグラスに口を付けてテーブルに置くと、「私、あきデス」ホステスはそう言って≪アキ≫と書かれた名刺をテーブルに置いた。
「俺は、修二だ」修二がアキと名乗ったホステスの顔を見てそう言うと、「シュウ・・?」アキが首を捻った。
「しゅ、う、じ、修二だ」修二はゆっくりともう一度名乗っていた。
「シュウチュ?」アキはどうも修二の名前がうまく口にできないようだった。修二が呆れたように「シュウでいいよ」そう言うと、「ハイ、ヨロシク、しゅう」アキは嬉しそうにそう言うと、もう一度グラスを差し出していた。
「こちらこそ」修二もグラスを手にすると、二人は再びグラスを当てて口にした。
隆は最初のホステスとすでにカラオケを歌いだし、二人で楽しんでいるようだった。
アキは修二の顔を見ると、「しゅうモ、何カ、歌ッテ」そう言って、カラオケの端末を修二の目の前に差し出していた。
「俺っ、歌苦手なんだけどなぁ」修二はそう言いながら、その端末を操作しはやりのグループの歌を入れていった。
隆の歌が終わると、次に掛ったのは修二の入れた歌だった。「あっ、俺だ」修二がそう言うと、アキがマイクを持ってきた。
「はい」アキがマイクを差し出すと、「ありがとう」修二がそれを受け取った。
イントロが終わり修二はまずますの出だしで歌を歌い始めた。
修二が歌い出すと、アキはその体を修二に寄せ、修二の膝の上にその手を乗せてさするようにしていた。
修二が歌を歌いながら片手をアキの手の上に乗せると、アキは頭を修二の肩に乗せ甘えるように修二の顔を見ていた。
たとえそれが営業上の物でも修二も悪い気もせず、一晩の恋人のようにアキの顔を眺めては歌を歌い続けていた。
アキは修二の顔を見つめながら、もう一方の手を修二の背中に回すと、そのまま腰に回していった。
修二がアキの手の上に置いた手を離し、腰にわ舞われた手の方に持っていくと、アキはその手を掴んで指をからませていった。
傍目には二人は前からの恋人のように見えるほどべったりと寄り添っていた。
修二の歌が終わるとアキは「しゅう、歌上手ネ」修二の顔を見つめながらそう言うと、膝に乗せた手でマイクを受け取っていた。
その後も修二は何曲かカラオケを歌い、その日は客も少なくアキは修二にべったりと付きっきりだった。
「しゅう、今日ハ忘年会?」アキは笑顔を修二に向けて聞いていた、「ああ、平日だって言うのに、こんな日にやるんだから」修二は不満そうにそれに答えていた。
そんな修二にアキは「しゅう、明日モ仕事?」再びそう聞いていた。そんなアキに「ああ、もちろん、うちは休みは日曜だけなんだ」修二がそう答えると、「私モ休ミ、日曜日、コノオ店月曜日カラ土曜日マデ、8時カラ1時マデ、日曜日ハオ休ミデス」アキはそう言っていた。
アキはそう言ったあと、「しゅう、電話ハどちも?」突然そう聞いていた。修二が「ああ、そうだよ」そう答えると、アキは自分の出した名刺を指差しながら、「コレはーどばんくノ番号ネ」そう言うと、名刺を裏返し、ボールペンを取りだすと、名刺の裏に電話番号を書き込むと「コレどちも」そう言って修二に笑いかけた。
修二はアキの名刺を手にすると、「ふ~ん」その番号を眺めると、「ちょっと待って」そう言って懐から携帯電話を取りだすと、アキの書いた番号を自分の携帯でプッシュした。
するとアキの手にした携帯電話が鳴り始めた。修二は携帯電話を手にしながら「これが俺の番号」そう言って携帯電話を切っていた。
アキは表示された携帯電話の画面を見ながら「アリガトウ」そう言うと、それを携帯電話のメモリーに登録していた。
修二はそれを見ると、自分も先ほど押した番号をメモリーに登録していた。
二人が携帯電話の番号を交換し終わったころ、「おい、修二、ぼちぼち引き揚げようか?」隆が腰を上げた。
そんな隆に修二は顔を上げると「あっ、あぁっ」そう返事をすると続いて腰を上げた。
修二が立ちあがると、アキも席を立ちあらかじめ預かった修二のコートを持ってくると、修二に着せていった。
「ありがとう」修二はコートに腕を通しながら礼を言うと、「ご馳走さま」そう言って二人は店を出た。
二人に続いてアキも店を出ると「マタ、来テネ」修二にそう言った。
修二は振り返ってアキを見ると、「ああ、また来るよ」そう言うと二人は外に出た。
通りに出ると隆がタクシーを止めて乗り込むと、修二は中の隆を覗き込みながら「先に帰ってくれ、俺は歩いて行くわ」そう言った。
「なんだよっ、乗って行けよ」外に立つ修二に隆がそう言うと、「酔い覚ましに歩いて行くよ、近いし」修二がそう言うと、「分かった」隆はそう答えてタクシーを発車させていた。
隆の乗ったタクシーが出ていくと、修二はゆっくりと歩き出した。修二は道沿いにあるコンビニに入ると店の中をぶらぶらと物色していた。
店の中を歩きながらも修二はアキのことが頭から離れないでいた。
特に美人でもない、愛想がいいのも営業スマイルなのは分かっている。それでも修二の頭からアキが離れなかった。
修二はコンビニを出ると、もと来た道を引き返していた。
修二は歩きながら携帯電話を取りだすとアキに電話を掛けていた。「もしもし、あっ、俺だけど、今客は多い?」そう聞いていた。
電話の向こうではアキが「ウウンッ、アンマリ居ナイヨ」そう答えると、修二は「もう少し飲みたいんだ、今から行くよ」そう言って電話を切った。
修二が店のドアを開けて中に入ると、「しゅう、イラッシャイ」アキがそう言って出迎えていた。
修二が席に着くと「しゅう、何飲ム?」アキはそう聞いていた。
さっき来た時は隆のボトルで飲んでいたが、さすがに隆抜きでそのボトルに手を出すことはためらわれたので、修二は「水割り頂戴」そう言っていた。
「分カッタ」アキがそう言ってカウンターに準備しに行くと、店のママが来て「イラッシャイ、デモウチ後、1時間ダケド、イイ?」そう聞いていた。
「分かってる」修二がそう答えると、ママは「OK、ユックリシテイッテ」そう言ってウインクすると、修二の前から立ちあがった。
ママと入れ替えに席に戻ったアキが修二のグラスを準備すると、「私モ、モラッテイイ?」修二にそう聞いた。
「ああ、いいよ」修二がそう答えると、アキはビールを注いだブラスを持ってきて「ソレジャァ、乾杯」そう言ってグラスを差し出した。
修二はそのグラスに、自分のグラスを当てると「乾杯」そう言ってグラスに口を付けていた。
修二がグラスに口を付けていると、「しゅう、歌、歌ッテ」アキがそう言ってカラオケの端末を差し出していた。
「ああ」修二はそう答えると、バラードを選択して端末に入力した。
すぐに修二の入れた歌が掛ると、アキは修二に抱きついてその歌を聴いていた。
修二が歌い終わると、アキが「しゅう、くりすます何シテル?」そう言うと、「くりすます、ぱーてぃーアル、しゅう来ル?」そう聞いていた。
「クリスマス?」修二はそう言うと、「考えておくよ」そう言ってグラスに口を付けていた。
やがて時間が来ると、「スミマセン、モウ閉店デス」ママが申し訳なさそうにそう言ってきていた。
「帰るよ」修二がそう言うと、「マタ来テネ」アキがそう言うと、「ああ、また来るよ」修二がそう言って店を出ると、また雨が降り始めていた。
アキは外の雨を見ると、「しゅう、チョット待ッテ」そう言って店に戻ると、傘を持って修二のもとに戻ると、「コレ使ッテ」そう言って傘を差し出した。
「ありがとう」修二がそれを受け取ってそう言うと、「しゅう」アキは修二を呼び止めてその口にキスをした。
そして顔を離すと「気ヲ付ケテ帰ッテネ」そう言って修二から離れた。
あっけにとられた修二は「あっ、ああっ、また来るよ」そう言って傘をさして家路についていた。