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だるまの左腕  作者: 風呂蒲団
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第一話 フィルム

 日曜日を楽しむ人々で賑わう表通りに比べて、湿度と陰気が賑わう場所。

 そんな裏路地を、なんとも元気いっぱいに闊歩する男が二人。

 いや、闊歩しているのは、体格の良い男が一人。

 もう一人は、車椅子に乗り苦言を呈していた。

あゆむ。時間に遅れる。もっと早く押すんだ」

「うるせぇなぁ。誰のせいで遅れてると思ってんだよ。このスカトロだるま。てめぇのおしめも変えられねぇ奴は黙ってろよ」

「変えられない過去を責め立てるな。俺は未来の話をしている」

「こいつ……。はぁ。我慢だぞ、俺。我慢ができる人間が大人だ」

「歩。さっきの道、右だぞ」

「だああああぁぁぁ! 死ねえええぇぇ!」

 振り上げた拳を全力で振るう。

「お前なんか! 俺の前ではサンドバックなんだよ!」

 無抵抗の相手でも構わず連打。

 蹴りも加えてフルボッコである。

「おい、歩……」

 拳が赤く染まって、歩は少しだけ落ち着いた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「おい、歩」

 男の口調は、変わらず冷静だった。

「そんなことしている時間はない。早くしろ」

「うるせぇえ!」

 散々殴った電柱を横目に、歩は車椅子を乱暴に押す。

「歩、しっかりと手当てをしろ。血が出ている、心配だ」

「あ? なんだよ、急に」

「俺の大切な相棒だからな」

「……あぁ、わーったよ。お前、俺の事そんな風に――」

「耐えられないんだ、車椅子が汚れるのは」

「……死ねよ」




「歩、ここだ」

 車椅子の男が口を開いたのは、洒落たカフェの前だった。

「待ち合わせにカッフェを選ぶだなんて、最近のガキンチョはマセてんな」

 扉の引手に手をかけると、男はもう一度口を開いた。

「依頼人の前では、その態度は控えろよ。か弱い女学生は、歩を怖がるだろうからな」

「おめぇのが怖がられるわ」

 カフェの中にお客は3組。

 カウンターに座るスーツ姿の男女。

 窓際で読書を嗜む初老の男性。

 店の一番奥で俯く若い女性。

「彼女だ」

「見りゃわかるよ」

 二人を視界に入れた客は、虫を見るような視線を向ける。

「いらっしゃいませ……」

 近寄る若い店員から戸惑いの空気が溢れる。

「に、2名様で、よろしいですか?」

「お構いなく、待ち合わせだ」

「アイスコーヒー二つ。あ、ストロー付けてください。こいつ用に」

 歩は車椅子の男に指をさす。

 店員は目線を逸らし、そそくさとバックヤードに下がって行った。

 店員を見送りながら、車椅子を転がし店の奥へ。

「片桐さんだね」

「え、え、あ、はい……」

「何でも屋『だるま』だ」

「……」

 片桐は、唖然という表情で固まった。

「遅れちゃってごめんねぇ。いやぁ、こいつの着替えに手間取っちゃって。ホントごめんね」

「いや、歩が道を間違え続け、電柱を見るたびに殴っていたのが原因だ」

「おい、その説明だと俺が馬鹿みたいじゃねぇか」

「馬鹿ではないのか?」

 ピキッ。歩の頭で何かの音がした。

「……元はと言えば、てめぇができもしないおしめの交換を自力しようとしたのが原因だろ。スカトロだるまぁ!」

「いつまでも下の世話をさせるのが申し訳なくてな。それに、チャレンジ精神はいくつになっても持っておくべきだ」

「家出る10分前に発揮してんじゃねぇ!」

「ねぇ!」

 片桐は始まりかけの喧騒に割って入った。

 目の前の現実に比べれば、遅刻の言訳など、何も大したものではなかった。

「あなた達、本当に何でも屋なの?」

「勿論だ。ホームページの顔写真とも、何もたがわないだろう? こうして現れたのが何よりの証拠だ」

「本人かどうかを聞いてるんじゃない! ヤバい奴じゃないかと疑っているの!」

「だ、大丈夫だって! 俺達、怪しい組織とかじゃないから!」

「だって!」

 片桐の口調は、さらに熱を増した。

「あなた、手足が無いじゃない!」

 車椅子の男、通称だるま。

 彼は、都市伝説に出てくるような『だるま女』と同じく、両手両足が根元からなかった。

「はぁ」

 だるまは深く溜息を付く。

「これだから健常者は。外見で俺を判断し、疑いたいのなら勝手にしてくれ。依頼を取り下げるのも自由だ」

 片桐は伝票を握りしめ、鞄を持って立ち上がった。

「帰る。時間の無駄だった」

「そうか。残念だよ、あなたの悩みが解決しないことが」

 片桐は足を止め、だるまを鋭く睨んだ。

「警察に行く。最初からそうすれば良かった……」

「警察ではなおさら解決しない」

「不安させて、足止めしようたってそうはいかない! 何も知らないくせに、適当なこと言わないで!」

「証拠、ないのだろ?」

 だるまの言葉に、片桐は言い返すことができなかった。

「依頼内容を見れば、警察に相談するのが普通だ。だが、それをしないのは証拠がないから。そして、あまりにも馬鹿げているから」

「行ってみないと、わからないじゃない……」

「いいや、わかる。馬鹿な話だと足蹴にされ、むしろ薬物の使用を疑われるだろう。あなたが以前行った、探偵事務所と同じようにね」

「ど、どうしてそれを……。探偵事務所に行ったことなんて、依頼のメールには書かなかったのに……」

「その依頼のメールでわかった」

 だるまの目くばせを受け、歩は背負っていたリュックサックを降ろす。中からノートパソコンを取り出し、メールを開いた。

 メールには、片桐の個人情報と、依頼内容が事細かに記されていた。

「これの、どこで……」

「詳細過ぎるんだよ。気持ちが悪い程に」

 だるまは、まるで汚物を見るかのように顔をしかめた。

「依頼のメールなんて大抵は大雑把だ。今日のように実際に会って話す方が伝わりやすいからな。だが、あなたのメールには日時、被害状況、行った対策まで書かれてた。まるで、こちらの質問を先読みしているかのように」

 だるまの話を聞き入る中で、片桐は何度も唾を飲んだ。

「幾つも探偵事務所を回り、同じような問答を繰り返したが解決には至らなかった。そこで我々の所にたどり着いたのだろう? でなければ、何でも屋にストーカー被害の依頼はしない」

 片桐は鞄を置いて椅子に座った。

 伏し目がちに細く息を吐いて、また唾を飲んだ。

「……どうして薬物を疑われたことまでわかったの?」

「メールを受けた時点で、周囲の探偵事務所を調べたんだ。その時にブログを見つけてね」

 ブログは事件簿と日記を混ぜたようなもので、中には『探偵の心得』なるものもあった。

「内容は酷く読めた物じゃないが、要約すると『若い女がストーカーの幻覚を見て依頼に来た』というものだった」

 片桐は奥歯を噛んだ後、少し笑った。

「ははっ。どこの事務所か見当付くわ。話してる時も態度悪かったし。心療内科への通院を進めてきたりさ。……あなたも同じように思ってる?」

「全て信じよう」

 だるまの眼差しに、一切の嘘はなかった。

「誰にも信じられなかった、誰にも解決できなかったあなたの悩み。我々が必ず解決する」

 目に見える事など、大したものに過ぎない。

 両手足のない男と体格の良い雑用。

 この二人に、何ができるのか。

 否、この二人だからこそ成し遂げられることがる。

「聞かせていただこうか、透明人間の話を」

 だるまの言葉に合わせて、歩はメモ帳を開いた。

「俺もあんたを信じる。解決に向けて、色々聞かせてもらうよ」

 二人を見て片桐は深く頭を下げた。

「よろしく、お願いします……!」

 片桐は、久方ぶりの信頼に心を委ね、静かに泣いた。

 決して哀ではない涙。

 それでも、止まるのに僅かに時間を要する涙。

「お待たせいたしました……。アイスコーヒーでございまぁす……」

 二人は、片桐を急かすことはなく、運ばれて来たコーヒーで喉を潤し時を過ごした。




「すいません……。もう大丈夫です」

 鼻を噛んだティッシュが机の上に転がっている。

「では、始めようか。まず、容疑者とのやりとりを見せてくれ」

「向こうのアカウントが消されちゃってるので、スクショになるんですけど……」

 片桐が受けているストーカー被害は、SNSから始まったものだった。

『投稿いつも楽しみにしてます!』

「この投稿って言うのは?」

「ただの写真です。出掛け先とか、ネイルとか」

 何気ないDMをいくつか繰り返した所で、相手の発言に人間味が生まれた。

『今日服すごく似合ってるね』

『夜は冷えるから、もう少し厚着した方が良いんじゃない?』

『こんな彼女が居たら、すごく幸せなんだろうなぁ。会いたいなぁ』

『最近忙しいのかな? 返信なくて寂しいよ』

『投稿減ったね。他の子にフォロワー数負けちゃうよ?」

『大丈夫? 何かあった? 心配だよ』

『僕がこんなに君を思っているのに、どうして君は僕を愛してくれないの? こっちの気持ちにもなってよ。君は人の気持ちを考えられない最低な人間だよ。殺してやる』

 それを最後に、DMはパタリと止んだ。

「これなら脅迫罪になる。何故警察に行かない」

「私もそう思ったんですけど、親がネットに理解がない人で……。一人で行くのも不安で、そんな時にこれが……」

 片桐は鞄の中からクリアファイルを取り出し、挟んであった物を机に置いた。

「こんなの自作自演にしか見えないじゃないですか。友達に相談しても『話題用のネタでしょ』って信じてもらえなくて、より行き辛くなっちゃって……」

 それは、ビデオカメラで使われている16㎜フィルムだった。

「なるほど、確かに室内だ」

「これが、ポストに?」

「はい……。無地の封筒に入ってました」

 フィルムに映っていたのは、片桐の入浴姿だった。

 窓の外からでは不可能な、浴室内でしか撮れない画角。

「私実家暮らしだけど、誰ともお風呂には入らないし、隠しカメラとかも見つからなくて……」

「それで透明人間か」

「でも、カメラまで透明にできんのかな?」

「できるのだろうな、これが撮れるという事は。……どうした?」

「いやぁ、別に。いつまで見てるんだろうなと思って」

 だるまは、歩のにやけた顔に言い知れない苛立ちを感じた。

「まさか歩、俺が女体を見たがっていると思っているのか?」

「えぇ、そんなこと考えてもなかったぁ」

「俺はただ違和感を……いや、良い。しまってくれ。次は、防犯カメラの映像を見せてくれるか」

「あ、はい。ちょっと待ってください」

 片桐は、透明人間を証明するために防犯カメラを玄関に設置していた。

 扉や窓が独りでに開けば、証拠になると思ったのだ。

 カメラの映像は、データを移していたスマートフォンで再生した。

 カメラは、庭全体から自宅前の道路までを捉えている。

「ここ! 砂利が鳴っているのわかりますか?」

 音はテンポ良く三回鳴り、間を開けてもう三回鳴った。

「これ、防犯砂利に気付いて帰ったってことないですか?」

「そう見えるな。砂利が僅かに動いている」

「これ以外にも音が聞こえたことは?」

「何度かあります。帰り道、足音が聞こえて振り返ったのに、誰もいなかったり……」

「よし、後は誰が透明人間か、だな」

 二人が素直に受け入れるのを見て、片桐は少しだけ疑問に思った。

「あの、どうしてそんなに信じてくれるんですか? 透明人間だなんて、超能力みたいなこと」

「そんなものは簡単だ。俺も超能力者だからだ」

「……は?」

 片桐の二人への信頼は少しだけ傾いた。

「簡単に証明しよう。歩」

「はいよ」

 歩はだるまを抱え、日の光が当たる場所に座らせた。

 日光に照らされ、だるまの影が伸びる。

「……どういうことなの。腕が……」

 だるまの身体に異変はない。変わらず手足はないままだ。

 それなのに、影はだるまの手足をはっきりと映した。

「この影は超常の証明、そして、能力者の証明だ」

「信じらんないかもしれないけど、種も仕掛けもないよ。能力者は、決まって体の形と影の形が違うんだ」

 片桐は、戸惑いながらもだるまの腕に手を伸ばす。

 自身の手に落ちる存在しない腕の影。

「……信じるわ。あなた達が私を信じてくれたように」

「理由はわからないが、太陽光でないと影は正しく映らない。つまり、日光を嫌う人間は能力者である可能性が高い」

「日光……」

 片桐は顎に手を添え傾ける。

「知り合いにいない? 例えば、年がら年中日傘を差している奴とか」

「あ、いる! 大学に!」

「じゃ、今すぐ会いに行こう……ってどこいるかわかんねぇや」

「私バイト先知ってる! 日曜入ってるって言ってた!」

「では行こうか」

「俺、会計してくるよ」

 歩が二つの伝票を持って行った時、片桐は「あ、でも……」と顔を曇らせた。

「もし、本当に透明人間だった場合、どうしよ……」

 超能力を裁く法律はない。

 証拠もなく、本人が認めなければ、おかしい事を言っているのはこちら側。

「安心しろ。手はある」

 何の根拠も見えない自信を、片桐はそれこそ何の根拠もなく信頼した。

 だるまが言うのなら正しいのだと、片桐は自分でも気づかないうちに、そう確信していたのだ。

「よっしゃ、行こうか」

「あぁ」

 だるまを車椅子に乗せ、歩はリュックサックの荷物を整える。

「あ、あの……!」

 締め付ける表情の後、片桐は深く長く頭を下げた。

「さっきはごめんなさい! あなた達の事悪く言って……」

 頭は決して上げない、許してもらえるまでは。

「……歩」

 だるまの声、リュックサックを背負い音。

 車椅子は転がり、搭乗者は息を吸う。

「気にするな」

 また少し、奥歯を噛んだ。




 大通りをしばらく歩き、住宅街に一歩入った所。

「あの人、癖ッ毛の人」

 容疑者のアルバイト先、そこはパン屋だった。

 容疑者である田中と片桐の出会いは、新入生歓迎会。

『男性で日傘を常備しているの珍しいな』という簡単な動機で話しかけたのが始まりだ。

 片桐は一人で店内に入り、何やら機嫌よく話してから駆け足で戻って来た。

「作戦成功……!」

 パン屋は入り口に階段があり、車椅子では入れない。

 片桐が『一人では持ち上げられないから手伝ってほしい』と頼み、田中を日の下に連れ出す。

 影を確認し、能力者か判断する作戦。

 ちなみに歩は待機。

「お待たせ、車椅子ね……」

 だるまの姿に、田中は少し驚いた様子を見せる。

「ごめんね~。一人じゃ流石に無理でさ」

「良いよ、バリアフリーじゃない店が悪い」

 いつもと変わらない態度なのだろうと、容易に想像できる切り替え。

 軒先の影を越え、日を浴びる田中に注目が集まる。

 影は、何も異常がなかった。

「よいしょっと。じゃあ出る時、また声掛けて」

「ありがとう、助かった」

 田中は超能力者ではない。それは片桐にとって、不安が消えることであり、不安が続く事でもある。

 容疑者探しは振り出しに戻り、収穫は焼き立てのパンだけになってしまった。

「一度、私の家に行きませんか? パンも置きたいし、現場検証? も兼ねて」

「そうするかぁ。手掛かりもないしな。だるまも良いか?」

「あぁ、行こうか」

 三人はバスと電車に乗り継ぎ、30分程かけて片桐の自宅へ。

「あの、親には友達って伝えておいたので、そんな感じでお願いします」

「あぁ、りょーかい」

 家に着く寸前に面倒な事を、と二人は顔を見合わせた。

「あれが防犯カメラです」と玄関の上へ指をさす。

 足元には防犯砂利が敷かれている。

 ザッザッと爪先を鳴らす歩は「いくらしたんだろ……」と心の中で呟いた。

 玄関から廊下が伸び、奥に階段が続く。

「おかえり」

 片桐の親と思われるマダムが落ち着いた声で出迎える。

「ただいま」

「お邪魔します」

「あら、男の子が来るなんて珍しいわぁ」

 明らかに娘より年齢層の高い顔つきだが、マダムは懐の深さですべて受け入れた。

 目線を下げ、だるまと目が合う

「失礼する」

「……やんちゃな年頃だもんね!」

「ちょっとお母さん、あっち行ってて……。私の部屋二階なんで、行きましょ」

「あ、お茶とか、お菓子は?」

「良いから!」

「あ、そうだ。あれがあった!」

「良いって!」

 娘の言う事も聞かず、軽やかな足取りでリビングへ向かうマダム。

 賑やかな母娘を見て、心穏やかな二人。

 戻って来たマダムは、手に何かを持っていた。

「これ知ってる? ポストに入っていたんだけど」

「あ、これ……」

「触るな。歩」

「はいよ。ちょっと失礼」

 歩は手袋をはめ、マダムから受け取る。

 それは、封筒だった。

「同じものか?」

「うん、同じ……」

「部屋で開けよう。ここでは調べられない」

「……それ、なんなの?」

 マダムの顔にも少し不安が伺える。

「遊びだよ! 友達と集まってさ。お互いに暗号出して宝探ししてんの」

 二人が、なんと誤魔化そうか言いあぐねていると、片桐は笑顔で当たり前のように嘘を言った。

「さ、部屋行こ」

 車椅子は玄関に置き、だるまを抱えて階段を上る。

「すげぇな、お前」

「家族は、巻き込みたくないんで」

 二階一番奥、片桐の部屋。

「これ、どうぞ」

「あぁ、ありがとう」

 片桐は座椅子を用意し、だるまはそれゆるりと腰掛けた。

「じゃ、開けるぞ」

 封筒の端をカッターナイフで切り開き、歩が中を覗き見る。

「フィルムだ……」

 滑らせて出したフィルムには、カフェで話す三人の姿が映っていた。

「嘘、でしょ……」

「おいおいおい、あの場所にいたってことかよ」

 二人が反射的に身を逸らす中、だるまだけはフィルムを覗き込んだ。

「……片桐、さっきフィルムを出してくれ」

「え……」

「早くするんだ」

「あ、あ、はい!」

 焦り覚束ない手元で、机にフィルムを並べる。

 だるまは一つ一つを凝視して、見比べて、瞼を閉じ、そして嗅いだ。

「……だるま、何かわかったのか?」

「あぁ、わかったよ」

 息を吐き、だるまは虚ろに呟いた。

「俺は間違えていた」

「なにを、間違えたの?」

「どういうことだ? ちゃんと説明しろ」

 だるまの表情が綻び、穏やかに耽る。

「行こうか、話を聞きに。説明は道中しよう」

 三人は再び街へ。

 ある建物へ。

 そして、とある人物へ。

「お越しいただきありがとうございます。そちらに掛けてください」

 さわやかで通る声、卸したてのようなスーツ、整えられた髪。

 机に置かれた名刺にも、煩くないデザインが施されている。

 中村健太、そういう男の名前だ。

「本題に入る前に、どうして当事務所を選んでいただけたのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 二人がいるのは、探偵事務所だった。

 出されたティーカップから、芳しい紅茶の匂いが漂っている。

 だるまの指示で、片桐は外で待たされた。

「ブログを拝見しまして」と、だるまは不慣れな敬語を使う。

「あぁ、ありがとうございます」

「探偵の心得、読みました。随分とこだわりがあるんですね」

「えぇ、自分中のルールを破るのは、昔から耐えられなくて」

「へぇ、あのカメラもですか?」

「まぁ、そうですね」

 事務所には、いくつもの防犯カメラが設置されており、どこにも死角がなかった。

「ただ、動画を撮るのは、しっかりと記録を残すという意味合いもあります。写真だと、どうしても断片的になりますから」

「確かに、それは素晴らしいお考えだ」

 心の籠っていない言葉に、中村は「いえ」とだけ返した。

「では、そろそろ本題に。本日はどういったご依頼でしょう」

「友人の自宅に不審な物が届きまして」

「これです」

 隣に座る歩が、最初に届けられたフィルムを中村に見せる。

「あぁ、これですか……。憶えてますよ。その方なら、以前この事務所にもいらっしゃったので」

「そうでしたか。その後何か進展は」

 だるまは意地悪のつもりで聞いたのだが、中村は笑顔を崩さず答えた。

「申し訳ないのですが、お断りさせていただきました。その時は、依頼が立て込んでいたので。代わりと言っては何ですが、知り合いの事務所を勧めさせていただきました」

「ほう、特異な繋がりですね。探偵事務所が、心療内科を勧めますか」

 中村の呼吸が止まる。されど笑顔は保ったまま。

「時々いるんですよ。明らかに捏造した証拠を持って来て、調べてくれって言う方が。そういう方には、厳格な対応をさせていただいております」

「だからと言って、薬中扱いして追い返すのは違うでしょう?」

 笑顔が、消える。手の平を擦り合わせ、目を細める。

「それに関しては、言葉選びを間違えました。撤回いたします。ですが、嘘に付き合ってはいられません」

「彼女は嘘を付いていない」

「……確かに、幻覚を見ている人間からすれば、真実なのかも知れませんね」

「幻覚も見ていない」

 中村は眉間にシワを寄せ、正すように息を吐いた

「何が言いたい? その依頼なら受けませんよ」

 だるまは顎を一つ前に弾き、フィルムを差す。

「これを撮ったのは透明人間ではない」

 中村は鼻で笑う。

「あなた方もわかっているじゃないか、これは彼女が自分で撮ったものだ」

「違う。先程、別のフィルムが届けられた」

 カフェの三人が映るフィルムを提示する。

「この瞬間、誰かからカメラで撮られている様子はなかった」

「あんたら、俺の仕事を邪魔したいのか!」

 中村は急に立ち上がり、口調を荒げる。

「それも作った物だろうが! 透明人間が風呂場に入ってカメラを回した? 馬鹿馬鹿しい。そんなことはありえない!」

「そう、ありえない」

 だるまは至極冷静に返す。

「透明人間には侵入すら不可能だ」

「だったら――」

「このフィルム、コーヒーの匂いがしないんだよ」

 だるまは二つ目のフィルムに目を向けていた。

「一つ目のフィルムには、カフェで飲んだコーヒーの匂いが付いている。だが、同じ時間同じ場所に存在していたはずの二つ目のフィルムからは、紅茶の匂いがするんだよ」

 中村は自身で差し出した紅茶を見る。

「それが、なんだと言うんですか……」

「偶然なのか、この紅茶と同じ匂いなんだよ。こだわっているんだろう? 紅茶も」

「俺の事、疑っているんですか? そんな事で」

「それだけではない。このフィルム、再生して確認したことはあるか?」

「……いえ」

「そうだろうな。でなければ、二度もこの方法は選ばない。何故なら、正しく再生できないからだ」

「そんなはずはない! 俺は……」

 中村は思わず口を滑らせる。

「初めに見た時から違和感はあった。記録されている速さが不規則なんだよ」

 中村はフィルムを凝視する。しかし、そのわずかな歪みに気付けるのは、だるまの能力によるものだった。

「フレームレートが低く、動きにカクつきが出ようともそれは均一だ。透明人間がカメラを使って撮影したのなら、こうはならない」

 だるまの間違い。

 それは、能力を透明化として疑わなかったこと。

「フィルムの届け主の能力。それは、千里眼+念写だ。そうだろう? 中村」

 フィルムを机に置き、ソファに深く腰掛ける中村。溜息を付き、頭を掻く。

「映写機はなかなか手に入らなくて、やっと見つけて、明日届くんですよ……。上手くいかなかったかぁ」

「16㎜フィルムは、1秒24コマ。その速度で、正確に念写するのは不可能だろう。その考えに至らない程、お前は馬鹿じゃないはずだ。何故、写真にしなかった」

「こだわっている……いや、もはや捕らわれているんですよ。そういうへきなんでしょうね」

 上体を起こした中村の表情は、清々しいものだった。

「彼女に謝りたい。数々の無礼を……」

 中村の言葉に、二人は顔を合わせ頷いた。

 歩が、胸ポケットに仕込んだスマートフォンに呟く。

「片桐、入ってくれ」

 事務所の扉が開き、不安な面持ちの片桐が入室する。

「……」

「初めから通話していた。話は伝わっている」

 中村は立ち上がり、深く頭を上げた。

「申し訳ありませんでした。SNSであなたを知り、ストーカー行為をしました。自分の行いを隠すために、あなたを罵倒しました。本当に申し訳ありませんでした」

 片桐は一つだけあった疑問をぶつける。

「……どうして、私だったの?」

 中村は依然頭を下げたまま答える。

「……探偵とは、人の粗を探す職業です。僕含め、どんなに上辺を取り繕っても、心根は腐っている人間ばかりです。でも、あなたは違った! あなたは、心の底から美しい人です」

 芯の通った強い声。

 三人は、ようやく中村の本心を見る事ができたと確信した。

 青年のような姿も、口調を荒げる様も、全て自分を隠すための手段だった。

 自分が一番、自分の醜い所を知っているから。

「……そんなことない、です。私だって、あなたのDM無視したり、人の事悪く言ったり……そんな良い人間じゃないです」

 中村は頭を上げ、すかさず否定する。

「そ、それは、僕がストーカー行為をして、あなたを苦しめたからで、元々のあなたは――」

「だから、許します! ……謝ったら許す、それを教えてもらったので!」

 片桐は、だるまの方に少しだけ目線を動かした。

 自身が許してもらえたように、誠意の籠った謝罪があれば許すと、初めから決めていたのだ。

「……自首します。盗撮と言って信じてもらえるか、わかりませんけど……」

「ここからは、俺の仕事だな」

 歩はパンツのピスポケットに手を入れる。

 取り出したのは、財布でもハンカチでもない意外な物だった。

「警視庁異能犯罪対策係、鈴宮歩だ」

 仰々しい文言と共に、歩は警察手帳を提示した。

「え……あなた警察だったの?」

「騙して悪かった。けれど、簡単に公にできる事じゃないんだ。口外しないってこと、後でサイン貰うからね」

 リュックサックから契約書を引っ張り出し、机にいくつも並べた。

「……超能力者を逮捕できる機関があったとは、思いもよらなかった」

「影を見ればわかる。そんな単純なものを、お国が対策しないわけないでしょう」

 二人を簡潔にあしらい、歩は言葉を続ける。

「護送車が来る前に、一つ確認したい。中村、お前はどこでその能力を手に入れた」

 歩の表情に最大限の力が入る。それと同時に、中村は自分が何を語らなければいけないのかを理解した。

「……闇市で、買いました」

 言葉とは、記憶を呼び覚ますもの。

 歩は、たまらなく憤慨していた。

「……売人の名前、特徴、なんでも良いから教えろ」

「……わかりません」

「ふざけるな!」

 歩は中村に跳びかかり、今にも殺しそうな剣幕で迫る。

「お前、そいつに会ってんだろ! 見た事全部話せ!」

「ないんです! あいつには、姿形がない……。透明人間なんです……」

 その時、何の前触れもありはしなかった。

 目の前で必死に訴える中村が、突如発火したのだ。

「きゃあぁぁ!」

 絶叫と絶叫。

 中村の叫びと片桐の叫びが折り重なる。

 歩は瞬時に炎から逃れ、消火器を持って噴射した。

 事務所内が一気に白く染まり、視界が失われる。

 炎が消される頃、中村はもう声を上げなくなっていた。

「中村ぁ!」

 歩は床に転げる中村に覆いかぶさる。口元に近づけた耳は、消え入りそうな呼吸音を微かに捕らえた。

「護送班! 被疑者火傷により重体! 急げ!」

 スマートフォンを握り叫んだ後、すかさず周囲を見渡す。

 片桐は腰を抜かし、ただひたすらに泣きじゃくる。

 だるまは目を瞑り、全神経を耳に集中させていた。

「歩! 3時の方向、外だ!」

 強引にブラインドを引き剥がし、歩は外を覗く。

 そこには、手袋があった。

 手首から先、親指を掲げたサムズアップが、宙に浮いている。

 歩は窓ガラスを突き破り飛び出す。

 その手袋には確かに厚みがある。

 透明人間が、そこに。

 伸ばした手、指先が微かに触れる。

 握る瞬間、手袋は萎れた。

 いなされた勢いをそのままに、歩は地面に衝突する。

 押し出された肺の空気が戻らない。

 腕力の一つだけで起き上がる。

「だるまぁ!」

 歩は手袋を持ち、事務所内へ駆ける。

 だるまの脅威的な嗅覚で追跡しようと考えたのだ。

 それに応えるように、だるまも身を乗り出す。

 紅茶、煙、消火剤、様々な匂いが混ざるこの空間で、手袋の匂いを嗅ぐには、寸前まで近づく必要があった。

 だるまが吸い込むその時、悲劇はまた訪れる。

 発火。

 手袋は猛火を上げ、完全に焼失した。

 だるまの鼻先は焦げ、歩の右手も重度の熱傷を負った。

 護送車から駆け付ける隊員、耳障りな野次馬の声、遠くで聞こえるサイレン。

 何よりもだるまの耳に残ったのは、歩の悲痛な泣き声だった。




 一週間後。

 重傷の三人は病院に搬送され、今も入院している。

 中村も一命は取り留めたものの、未だに意識は戻らず危険な状態は続いている。

 事件は、被疑者意識不明で幕を閉じた。

「よっ」

「あぁ」

 それだけを交わし、二人は黙々と同じ景色を眺めた。

 お互いに責任を感じているからだ。

『俺があの時、透明人間を捕えていれば……』

『俺に手足があれば……』

 沈みゆく夕陽が燃えるのを見て、二人は同時に息を吐いた。

「……その包帯、いつ取れんの?」

 歩はだるまの顔に巻き付いている包帯を指さした。

「しばらくは取れないそうだ。……歩の方はどうだ」

「俺も同じ。治るまで、仕事中はグローブしないと……」

 二人は、また同じ息を吐いた。

「……片桐の様子はどうだ」

「大分落ち着いたらしい。というか、心ここにあらずって感じだな。心の傷は、残るだろうな」

 ストーカー被害に続き、あのような惨劇を目の当たりにして、片桐の心は瓦解してしまった。

 今は精神科に入院し、面会もできずにいる。

「透明人間は、どうして片桐の家に行ったんだ……。面会できれば、手掛かりを掴めるかもしれないってのに……」

 歩の頭の中には、一つ残り続けている考えがあった。

 片桐は、初めから透明人間と顔見知りだったのではないか。

 何かを、隠しているのではないか。

「奴はまた現れる」

「根拠は?」

「恐らく、リストがある」

「……! 客のリストか!」

 中村と同じく闇市で能力を買った人間のリスト。

 超常を売買しているのだ。顧客情報を契約書代わりに押さえておくのは不思議ではない。

「リストの能力者に会っているのだとしたら、理由は口封じか、共謀か」

「異能犯罪が組織化する……」

「闇市を開催できる程だ。もうすでに、集結している可能性はある」

「……その中で、組織にとって不利益な人間は消される……」

「中村が襲われたのは、自分の正体に近づかれることを恐れたからだろう」

 人数が増すことで組織は強大になる。しかし、同時に足取りも掴みやすくなる。

 透明人間は、リストを元に能力者を審査をしているか。それとも。

「片桐も、そのリストにいると?」

「それで説明は付く」

 リストは実在しないかも知れない、組織化は起こらないかも知れない。

 しかし、だるまの言葉が現実だった場合、被害は未曽有のものになるだろう。

「だったら、何故片桐は殺されなかった? 目撃者で、防犯カメラに映像も残っているのに……」

 証拠隠滅の為、自ら出向くようなリスクを冒す。

 そんな奴が、目撃者という存在を許すだろうか。

「俺達、生かされたのか……」

「挑発してんだよ」

「!?」

「奴は俺らを煽ってんのさ……。ここに居るぞって、見つけてみろ、捕まえてみろってなぁ!」

 歩は自分の中に眠る、だるまに対する恐怖を思い出した。

 その表情に、怒りと憎しみに溢れる、人ならざる形相に、笑顔を見たからだ。

「……顔怖ぇぞ」

「あぁ? ……すまない、つい……」

「お客の前で、そんな顔すんなよ。お前がまともで、俺が町のヤバい奴。それがお上の指示だ。これからも頼むぞ」

「わかっている」

「それならよし! 流石は、俺の相棒だ!」

 だるまが見たのは、歩の紅潮した頬だった。

「ふっ。そうだな、相棒。俺たちで必ず奴を捕まえよう」

「おう!」

 夕焼けに染まる中、歩はだるまの肩を小突いた。

 拳を合わせることはできずとも、二人は心を合わせてどこまでも駆けて行く。

 透明人間と、歩のなくなった左腕の影を探して。

連載するかもしれないし、しないかもしれない。

書くのにすごく体力を使う。

ネタはもう切れている。

でも、書いてて楽しい。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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