かつて、二人は出会っていた
史実に基づく物語です。
ある秋の日に届いた手紙は、思いがけない相手からのものだった。
面識はある。
むしろ世話をしたといっても良い。
ただ、傲岸不遜な態度に、ジャンはあまり好感情を抱けなかった。
手紙の文章は至って簡潔だ。
彼らしいといえるだろう。
本国きっての微生物学者。
場末の理科の教師に、頭を下げて教えを乞うことは苦しかっただろう。
『蚕の病気は治せるようになりました。不足した蚕の幼虫の代わりにと、日本のショウグンが卵を贈ってくれました。君の指導に感謝します』
ジャンの口元が綻ぶ。
感謝など、彼には似合わないだろう。
彼の業績は、確実に科学史に残るのだから。
ジャンは手紙を引き出しに入れた。
窓の外ではジャンの子どもたちが、騒いでいる。
何かの虫でも、見つけたのだろうか。
ジャンは手紙の送り主のような、先鋭的な研究者にはなれなかった。
だが、子どもらと、好きな生き物に囲まれた生活は、得難いものだとも思う。
科学史に残らなくても良い。
誰か一人でも、自分の書いた本を愛してくれれば。
ジャン・アンリ・ファーブルは、ゆっくりと子どもらが走り回る庭へ向かう。
手紙の主、ルイ・パスツールへの返事を考えながら。
了
ファーブルとパスツール、どちらも好きです。