壱
ある時代、雪という名の美しい女が居た。
雪は家柄もよく、また器量もよい男たちの憧れの的であった。
男たちは誰が雪を嫁に取れるかを常に話題にしており、両親もそんな自分たちの娘をいかにいい男のもとに嫁がせるかに粉骨砕身していた。
しかし当の本人には既に想い人が居た。両親のお眼鏡にかなうもの……そうではなくとも、少なくとも人間であれば問題はなかったかもしれない。
しかしあろうことか、雪の想い人、恋人となった男は鬼であった。
雪も少なからず、両親に見つかってしまっては今この幸せな関係が壊れてしまうということを悟っていたのだろう。
毎度それらしい理由を取って付けては、隠れて鬼と逢引きしていた。
だが隠し事はいつかばれるもの。娘の行動を不審に思った両親は娘の後をつけていき、その現場を見つけてしまった。
案の定両親は烈火のごとく怒り狂い、鬼にやるくらいならと、雪を納屋の中に閉じ込めてしまった。
自分一人ではどうしようもない娘は納屋の中でひたすら泣き続け、情け容赦なく日は上り、そして沈むを繰り返した。
あまりにも長い間約束の場所にやって来ない恋人を心配し、鬼は雪を探してさまよい、最終的に今までの雪の話を頼りに彼女の家にたどり着いた。
「申す申す、雪に会わせてはもらえぬか」
戸を叩き、両親を怖がらせないよう可能な限り優しい声で距離も取りながらそう尋ねた鬼を見て、両親はまず慌てて戸を閉めた。
そして両親は玄関でこそこそと話し合いを始めた。
「おまえや、ワシらが知る鬼とは全く違う鬼が来たぞ」
「ええ、随分優しそうな鬼ですこと」
「あれが雪の恋人か」
こちらのことも気遣っているし、思っていたよりもいい鬼なのではないか……そう考えていたが、二人はあることを思い出した。
「だが、雪に会わせてしまえば、雪は鬼のもとに嫁ぐのだろうなぁ」
「それはいけませんよ、雪はしっかりしたお家柄の長男に嫁いで幸せになってもらわなくては」
「鬼に嫁いで幸せになどなれぬし」
「どうにかして諦めさせなければ」
そうして両親は、交換条件を出すことに決めた。そしてそれは言うまでもなく鬼と雪を引き裂くためのもので、無理難題以外の何物でもなかった。
父親はがらりと扉を開き、喜色満面で揉み手をしながら鬼に話しかけた。
「鬼さん鬼さん、聞きたいことがあるのです」
「聞こう、いったい何用か」
「あなたは娘と交際している、それは本気なのですか?」
迷うことなく鬼は即答した。
「本気だ。私は雪と幸せに暮らしたい」
その言葉を聞いて、父親はにやりと笑った。鬼は父親と距離を取っていたし背が高いので、父親の表情に気が付かなかった。
「それならば、証を見せていただきたいのです」
「良かろう、私は何をすればいい?」
「鬼以外の生き物の赤子を、私たちの前に連れてきていただきたい」
「……なんだと?」
「鬼以外の赤ん坊をここに連れてきていただきたい。勿論暴力も脅しもなしで」
考えるまでもなく、無茶ぶりであった。生来鬼とは力と悪の権化、生き物は鬼に対し本能的に嫌悪と恐怖を抱いてしまう。
そんな鬼の交渉方法は、もっぱら脅しと暴力である。それが一番確実であり、手っ取り早いからという理由もあるだろう。
だがそれ云々以前に。それを使わなければ、鬼は交渉の席にすら座ることを許されていないのだ。
要するに交渉もまともにできない状況で、その生き物にとっては命に代えても守るべき存在を一時的に借り受けてここまで連れてこいと言っているのだから、鬼は思わず聞き返してしまった。
だが両親はその輝夜姫も驚くような無茶ぶりを覆すつもりなど毛頭なかった。
娘と鬼を無理矢理引き離すために言っているのだから当たり前ではあるだろう。
「あなたが娘と結ばれたいのなら、私たちに貴方が赤子の命を尊べる優しいお方だと示していただかなくては」
「……分かった」
鬼は、ゆっくりと重い足取りで山へと引き返していった。諦めたわけではない、しかし可能性が限りなくゼロに近いと分かっているせいで、鬼の足は鉛のように重かった。