その九 義元
いかにも京風の趣向を凝らした庭園を眺める奥座敷で、義元との会見が行なわれようとしていた。
義元の隣には玄関で日吉の手足をすすいでくれた尼僧姿のおんなが座っていた。
親しげな様子から義元の母の寿桂尼であろうことは日吉にも察せられた。
義元の配下で同席を許されたのは重臣の朝比奈野秦能と太原雪斎だけであった。
床は板張りが当たり前の当時、この家の座敷には畳が敷きつめられていた。
羽振りの良さでは織田に及ばないものの、文化水準は今川の方が勝っていると日吉は思った。
固い空気の中、日吉は義元に請われるまま己の素性とこれまでの経緯を包み隠さずに話した。
自分が禁裏の奥深くに露と落ちし禁じられた血を引く者であること。
母の永寿は自分を産んですぐに身罷り、そのため自分は忌み子として御所から遠ざけられたこと。
母の女官だった仲が自分を引き取り育ての母となってくれたこと。
育ての母は戦国の世でも一人で強く生き延びられるように公家と武家の両方の教育を授けてくれたこと。
その母は自分のことを厩皇子の生まれ変わりだと固く信じ込んでいること。
自分の存在を知った尾張の織田信秀に多額の献上金と引き換えに人身売買の如く売り渡されたこと。
信秀は日吉の名誉回復など眼中になく、"うつけ"との悪評高い嫡男の信長に終生家来として仕えることを命じたこと。
余りの扱いにたまりかね、新たな庇護者を求めて信頼できる衛士を伴いこうして駿府まで足をはこんできたこと。
そして最後に、もし駿府で庇護を断られたときには甲斐の武田晴信か越後の長尾影虎を頼るつもりなので道案内を頼みたいとも付け加えた。
日吉が義元に述べたことは全て真実そのままであった。
真実だけが持つ現実感に義元と母の寿桂尼は微塵も疑うことなく日吉を信じ、その境遇に涙した。
一通り話し終えると日吉は義元に筆と紙片を所望した。
義元の眼前ですらすらと書状にしたためる日吉の字は、諸事芸事に秀でた義元ですらかつて目にしたことがないような達筆であった。
〜〜〜 われは方仁親王と永寿女王との間に授かりし、天皇家の濃ゆい血筋を受け継ぎし御子にて日吉皇子である。
かかる今川治部大輔義元は我を奉じて御所に誘う忠義の者なり。
それを邪魔立て致すものは御所に弓引く逆賊として天皇の名に於いて必ずや成敗されるものなり 〜〜〜
これに及んで義元は感極まって日吉に平伏し、いつの日にか必ずこのお方を御所に誘い、親王として名誉を復活させることが己の天命であると確信した。
日吉の任務は難なく達せられた ・・・・