その八 寿桂尼
「義元殿、そなたはあの若い公家に何を感じた?」
野良着から着替え終えた義元にそう問い掛けたのは生母の寿桂尼であった。
「およそ公家らしからぬ気さくな御仁であると ・・・・ 」
寿桂尼はうなずいてから、「わたくしは彼の者の足をすすぎ、手を清めながらこれまで生きた痕跡を探りました。
かの者は右手にしかたこがなかった。あれは筆だこであろう。両手で弓や刀を専ら扱う武家の者でもなければ、ましてや鍬や鋤を手離せぬ農民上がりでもない」
「しかし馬の扱いは武家の子弟顔負けの熟練振りでござった」
「左様、筆まめが出来るほどの教養を持ち、武家さながらの乗馬術をあの若さで身に付けているは只ならぬ生い立ちと見るべきであろう」
「面相となりは貧相この上ないのにでござるか」
寿桂尼は我が子を諌めるように諭した。
「人物を面相や見た目で判断してはならぬ。もし織田が公家に化けた間諜を仕込んで遣すならもそっと見てくれの良いものを使うはずでござろう。
かの者のように見た目に精彩がないというのは逆に本物である証とも取れる。それに ・・・・ 」
寿桂尼は一旦言葉を切ってから話を続けた。
「かの者の左手じゃ」
「手が何か?」
「指が六本あった ・・・・ 」
「 ・・・・ たまにはおりましょう」
「稀には生まれもしようが、あの年まで切り落とすこともせず成人させるのはどんな貧乏人でもありえまい」
「 ・・・・ 然り ・・・・ 」
「あの者、歳は十五〜六であろう。その頃禁裏で何があったか、都にいたそなたなら知っていよう」
「 ・・・・ 確か皇女が一人身罷っております。方仁親王の妹皇女にござる」
「時期が重なる。左手は印としてわざと残されたものだとしたら」
「 ・・・・ 」
「方仁親王の御即位はまもなくであろう。親王様にはいまだ皇子はおらぬ」
「 ・・・・ 」
「義元殿、かの者のこと、心して見極めよ。今まで散々はずれを掴まされて来たが、今度ばかりは今川家にとんでもない福をもたらす福神かも知れぬぞ」
次の天子様の御烙印 ・・・・ 義元の頭にむくむくと野心の芽が膨らみ始めた。