その七 今川
駿府の今川屋敷は平城と呼ぶよりはまさに大きな寺院の様な威容であった、周囲は形ばかりの浅い堀と板塀に囲まれているだけでひどく無用心にも見えた。
しかしそれは東部と北部の国境と内政が安定していることの裏返しであり、謀反や裏切りの心配が全くないことの現れでもあった。
城をそびえさせ、堀を廻らせるのは、敵から身を守るだけでなく身内から身を守るためでもあるからだ。
門前で待つ、日吉と蜂須加、前野らの一行の前にそびえる分厚い楢の木で出来た大手門が、"ぎい"と重々しい音をたてて全開になった。
当主の出陣か婚礼のとき意外、大手門が全開になることは稀である。
政務で屋敷内に居合わせたであろう老臣や重臣達が総出で出迎えに現れるなか、日吉は騎乗したまま敷地内に足を踏み入れた。
怪しい素振りを見咎められれば、いきなり切り殺されても何らおかしくない状況の中で、日吉は鋭い疑念の目を差し向けて来る重臣達をにこにこと見下ろしながら玄関に向かって歩みを進めた。
小六と将衛門の両名はさすがに肝が縮み上がっていたのだが、そんなことはおくびにも出さずに悠然と日吉の側を固めた。
屋敷の玄関先まで来ると、日吉は介添えの手も借りずにすらりと馬の背から地面に降り立った。
今川の小者がおずおずと進み出て手綱を受け取ろうとすると、日吉は両手で丁寧に手渡し爽やかに「世話になる」、と告げた。
小者が下働きの下僕にしては妙にきれいな手だったことまでは、日吉は気付かなかった。
すぐに馬は厩に誘なわれていった。
そのまま広い板張りの玄関に足を踏み入れ、立派な一枚板の框に腰掛けると、今度は老年の尼僧姿のおんながぬる湯で日吉の足をすすいでくれた。
次いで桶を代えて両の手もすすいでくれた。
右手をすすぎ、次に左の手をすすぎ清めた。
日吉の左手の指が多いことにも気が付いたはずだが何事もないかのように仕事を終え下がっていった。
小六と将右衛門は大刀は勿論、脇差も取り上げられた上で、一行は長い廊下の奥の方に設えられた接見の間に通され、当主の駿河の国の守護、今川義元のお出ましを今か今かと待ち構えた。
日吉の小さな胸は少しだけ普段より強く、そして早く鼓動を刻み始めていた。