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その六十二 膠着

大田又助(牛一)の弓衆は今川の鉄砲隊を相手に善戦していた。


天空に向けて発射された矢は強まりだした海風に乗って今川方まで易々と届いた。


放物線を描いて降り注ぐ軽い矢には、さほどの殺傷能力はないのだが弾を撃つ度に銃身を掃除して次弾を込める鉄砲の射手達にとっては次々と矢が降り注ぐ中での弾込め作業は連射速度でますます不利とならざるおえなかった。


「退け、退けー、矢の届かない所から撃てー」


たまらず(・・・・)井伊直盛が後退を指示して弓矢の届かない所から射撃を試みるも、今度は威力と命中度が落ちてなかなか佐々隊の戦力を削げずにいた。


意外にも、鉄砲 対 弓矢の勝負は持久戦の様相を呈して来た。


桶狭間山の高みから戦況を見ていた義元も、


「ほう、これはこれは、まだまだ弓矢というものも捨てたももではござらぬな」


そう言って義元は弓を使った佐々の戦い方を余裕たっぷりに褒めた。


義元は渡来したばかりの鉄砲が一寸もある板や甲冑を簡単に打ち抜くのを目の当たりにして、自軍の兵装をどこよりも早く鉄砲主体に切り替えていた。


それ自体は間違いではない。


事実、戦国中期以降は足軽鉄砲隊の優劣が戦局を支配することになるのは周知の事実である。


だがしかし、


そもそも種子島(てっぽう)というのは野戦向きではないのだ・・・・


弓矢のように走る馬上から撃つことなど不可能であるし、次弾の装填に手間取るので突撃(・・)にも向かない。


連射速度では弓矢に及ばないし実質的な射程距離は弓矢とトントン。


何にも増して、雨の日(・・・)にはまったく使い物にならない。


それでも戦国時代に鉄砲が量産された理由は、"誰でも"、 "すぐに"、"熟練兵" に仕立て上げることが出来るからである。


刀や弓や槍の修練には年季と素質と体力が要る。


ところが鉄砲であれば弾を込めて狙いを付けることが出来ればそれこそ女子供であろうと農民であろうとすぐに戦力化できる。


歴戦の武者(高給取り)が農民兵が撃つ一発の弾丸の前に倒れるのである。


経済効率がいいのはどちらなのか答えを待たない。


では、そんな野戦には不向きな鉄砲が、もっともその威力を発揮するのはどういう戦い方なのであろうか?


それはずばり、"籠城戦" である。


強固な石垣が積まれた城砦の物陰から、高度差を利用して直線的な弾道で突撃してくる敵兵を高い命中率で "無力化" する。


この "無力化" というところも肝であるので是非記憶に留め置かれたい。


鉄砲傷を負った兵には "外科手術" が必要である。


急所ではないからと放っておけば鉛中毒で死に至る。


容易に戦線復帰できずに、攻城戦が長引けば長引くほど攻め手は消耗していく。


そこに頃合を見計らって無傷の城兵が撃って出れば一気に形勢は逆転する。


後に信長に十五年間包囲されながらついに落城しなかった石山本願寺は秀吉の時代に大坂城に生まれ変わる自然の要害である。


そして石山本願寺の城壁を支えたのは紀州雑賀衆の数千丁の鉄砲だった。


このような後手必勝の戦法がこの物語でもこれから何度か出て参ります。

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