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その五十八 おけはざま山

一年間連載がストップしてしまい大変申し訳ありませんでした。


この一年、原発事故、オリンパス騒動の真相究明に没頭しておりました。


しかし、関が原の真相に迫る考察はいつも頭の片隅においておりました。


全体の構想もほぼ構築することがきました。


投稿済みのお話にも少し修正を加えながら壮大な物語をつづってまいりますのでこれからもお付き合いお願いいたします。


"極秘情報の99パーセントは公開情報のなかにある!"


熱田神宮で織田勢の戦意が最高潮に達していた頃、今川軍の中で輿に揺られる藤吉郎はゆるい坂をのぼり切った峠のようなところに差し掛かっていた。


さらに道なりに西に向かえば織田軍が気勢を上げている熱田神宮までは二里のところである。


この峠らしい高台には二つの社が並び立っていた。


どちらも当時すでに相当の歴史をきざんでいると見受けられる相生山神社と徳林寺である。


これらの敷地や裏手の山林は、すでに今川方の斥候によって織田が潜んでないかは検められていた。


この峠から今川軍は街道を逸れ、見晴らしの良い丘陵地帯の尾根筋をゆるゆると大高方面に南下する路を選んだ。


本来、鬱蒼とした原生林に覆われているはずのこの丘陵地は、しかし地元民の手によって一本残らず樹木が切り出され、秋には下草も焼かれ、初夏のこの時期にも腰丈のくさ原になっていた。


見晴らしはすこぶる良い・・・・


さきほど通り過ぎたばかりの徳林寺からは九つを知らせる鐘がこだましたが、その間隔がいつもより間延びしていることに気付くことはよそ者(・・・)の今川軍には不可能であった。


緩やかな昇り下りを何度かこなしながら半里ほど下ると東尾張一帯が手に取るように望める丘の上に出た。


地元民はこの丘のことをおけはざま(・・・・・)山と呼んでいた。


この一帯には豊富な湧き水を湛える池が多数点在し、その池(桶)の狭間にある丘ゆえに桶狭間(・・・)と呼ばれるようになった。


ここは四方見通しが利き、敵の奇襲の心配もないので大所帯での休息にはもってこいである。


ここまで来ると目的地の大高城も、最前線の鳴海城も眼下間近にうかがうことができた。


万一、織田に不穏な動きが見えれば即座に対処できる。


今川軍は自慢の一千丁の鉄砲でぐるりと陣を組み、従軍する農民兵らに握り飯を配った。


従軍する農民兵にとっては一番の楽しみである。


彼ら農民兵は稲作に従事しているにもかかわらず、普段銀しゃり(白米)にありつくことなど皆無であった。


正月でも雑炊に米粒が浮く程度であった。


そんな彼らも合戦に動員されたときに限っては、混じりっけ無しの銀しゃりが振舞われるのが昔からの今川家の習わしであった。


特に戦闘に巻き込まれる心配もない此度の行軍は、彼ら農民兵にとって御馳走つきのピクニックのように楽しいものであった。


荷役の労苦も忘れて口いっぱい握り飯をほおばった。


しかし、多くの者にとってこれが人生最後の食事となろうことなどこのとき到底知る由も無かった。


握り飯を雑兵や足軽たちに配りながら、鉄砲隊の組頭が兵たちに注意した。


「握りめしに夢中になって火縄を絶やすでないぞ。くれぐれもここが敵国であることを忘るるなよ」


そう言って兵たちの気の緩みを引き締めて回った。


陣の中心に張られた陣幕の中では、輿から降りて地に足をつけた藤吉郎にも弁当がすすめられたが輿に揺られたせいで具合が悪いとそれを断った。


それにもう、"事" が始まるまでいくらもない。


そ知らぬ顔を貫き通してはいても、とても飯が喉を通るはずが無かった。


ちょっと風に当たってくると言い置いて陣幕から出た。



そこにはすでに先客があり、その人物は義元だった。


義元はくさ原に突っ立ったったまま西の方角を見ていた。


その目にはまもなく手中に収める東尾張を傲慢に眺める様子は無かった。


むしろ一抹の後悔とも取れる不安の色が滲んでいた。


・・・・ もしや何か悟られているのでは? ・・・・


藤吉郎が義元の視線の先を追うと緩やかに続く草むらのはるか向こうには鬱蒼とした熱田の鎮守の森が見えた。


そしてそのすぐ右側には信長と藤吉郎が少年時代を過ごした那古屋城が、さらに奥の方には信長とともに謀略を尽くして奪い取った清洲の天守がもやに霞んで伺えた。


・・・・ やれやれ、今日は生きてあそこに帰ることができることやら ・・・・


そんなことが心に浮かんでは消えた藤吉郎に気が付いたらしく義元の方から声をかけてきた。


「藤吉郎様、昼餉は召し上れましたかな?」


藤吉郎は不安を気取られないように胃の下を押さえながら、「揺られて些か心持ちが悪う御座います。とても飯が喉を通りませなんだ」


「さも御座ろう。だからはじめからお得意の馬をお勧め申したものを・・・・」


藤吉郎は手を左右に振って大丈夫という素振りをした。


朱塗りの輿(・・・・・)とともにあることこそが今回の藤吉郎の最大の任務である。


「ところで藤吉郎殿、織田はなぜかくのごとく無価値な丘をわざわざ手を掛けて丸坊主に刈っておるのでござろうな?」


藤吉郎は首筋に冷や汗がつたうのを感じたがそ知らぬ顔で、


「さあ、信秀様の代のことでありますゆえよく存じませぬがこれだけ見晴らしも良く、また水の便も良いところですからいずれ城でも建てるおつもりだったのではありますまいか」


「ふむ・・・・」


義元は藤吉郎にはなんら疑いをいだいてはいないようだった。


「実は・・・・某はこう考えておりまする。このきれいに刈られた丘こそは亡き信秀殿が(それがし)を誘い出すためにこしらえた罠であったのではないかと・・・・」


藤吉郎の心臓はばくばくしだした。


「わ、罠でござるか?」


「左様、信秀殿が亡くなられるやいなや、あれに見える鳴海城と大高城、そして今朝出立してきた沓掛城とが示し合わせて今川に寝返ったのはご存知ですかな?」


「・・・・」


藤吉郎は動揺を隠すのに些か苦心した。


ふーと大きな溜息をついた後義元は。


「領地と言うのはただ単に広ければ良いというものでは御座いませぬ。あくまで国境(くにざかい)の安定こそが大事にございまする。国同士の境があいまいでは紛争が絶えず、人手も銭も無駄に浪費せねばなりませぬ。今川は東の北条と国境の問題を抱えて長年もめておりましたが先頃ようやく講和を結んで安定を手に入れ申した。北の武田とは晴信殿の妹御を我妻とすることで盟約を結び、武田の嫡男には我が娘を嫁がせておりまする。そのようにして隣国同士、不可侵の同盟関係を築いてはじめて平穏無事の毎日が送れるのでございます。ところが ・・・・」


「ところが織田は勝手がちごうたたのでございますな」


平静を取り戻した藤吉郎は義元の苦労話に相槌を打って調子を合わせた。


どうやら義元は信長の陰謀までは見抜いている訳ではないらしかった。

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