その五十五 ばくちく
卯の刻(午前6時頃)に僅か六騎でひっそりと清洲を発した信長一行は美濃路を那古屋城に向け東進した。
清洲城から那古屋城までは僅か一里、一駆けの距離だ。
那古屋城の城代はあの林秀貞である。
信長の父・信秀暗殺に弟美作守とともに関わった仇である。
信長は暗殺の首謀者だった叔父の信光と美作守は討ち取ったが、父の暗殺に消極的だった秀貞は許した。
その貸しを返してもらう時が来た。
一行は四半時ほどで那古屋城の城門に着いた。
「城門をあけよ!我が殿の御成りぞ!」
小姓頭が腹の座った声で門兵に命じるとそそくさと城門が開いた。
開きかけの城門に馬を滑り込ませた信長達は、本丸の玄関先まで馬で乗りつけると慌てて飛び出してきた林に馬上から檄を飛ばした。
「林!借りを返してもらうときがきたぞ。貴様の役目は勢子役よ。鳴り物を山ほど持って行け。鉄砲は十丁もあれば充分。残りはすぐに熱田で待つ一益に預けよ。出撃は昼の風雨を合図とする。雨支度を怠るなよ。あとはこ奴等から聞け」
それだけ言うと信長はあっけに取られる林と小姓を二人残して次なる目的地の熱田に向かって駆け出した。
この突然の出撃のことは、勿論林には事前に知らされてはいなかった。
しかし林は昨夜の軍議での信長らしからぬ態度から、ある程度予想はしていた。
小姓が補足して林に述べた。
「林殿、殿の申されたとおり那古屋城からは目立たぬよう城兵だけの人数で充分にございます。我らの役目はあくまで勢子にございますゆえ。今川の退路を遮るように北側の山間部に潜伏いたし申す」
林は小姓がすでに今川軍を追撃する段取りの話していることに驚いた。
「殿は本気で勝つおつもりなのか?」
小姓は自信満々に頷いた。
「勝てるか?ではございませぬ。どう勝つかにございます。思い出してくだされ。いままで尾張領内での戦で殿が負けたことがございましたかな?。こたびも尾張から無事に逃がれられる今川の兵は僅かでありましょう」
「しっかし今川の鉄砲は千丁を下らぬと伝え聞いておる、鉄砲十丁とはいくらなんでも・・・・」
「それもご心配には及びませぬ。ほれ、これがございます」
そう言うと小姓は馬の背の荷袋からなにやら小さな筒の束を取り出して林に見せた。
「殿が明の"爆竹"を真似て作らせた、竹筒に火薬を詰めた大きな音を鳴らすものにございます。これだけで敵に数十丁の鉄砲が一斉に火を噴いたのと同じような効果を発揮いたしまする」
林はあっけにとられた。
・・・・ そんなまがい物で今川の鉄砲に立ち向えというのか ・・・・
「まだ心配なご様子でございまするな。さきほど殿は"雨支度を"と仰せでございました。つまり、今川の鉄砲が何丁あろうともずぶ濡れになっては役に立たないということにございまする。まったく撃ちかえせないなかで一方的にこちらからの射撃を受けて逃げ惑う今川には、もう本物か偽物かなどと区別がつこうはずがござらぬとは思いませぬか?」
つい先ほどまで焦燥しきっていたはずの林の中にめらと火が点った。