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その五十四 輿の中

砦を二つ落されても清洲に動きが無いことから、今川は沓掛城から大高城への進軍を開始した。


清洲の動きを用心深く見極めていたため、出発時刻は大軍勢を進めるのには異例に遅い巳の刻(午前10時)であった。


日が高くなっての出立だったため、藤吉郎が乗る輿の中は蒸し風呂のように暑かった。


義元は藤吉郎が馬術にも長けていることを承知していたので、馬上を勧めてくれたのだが藤吉郎はそれをやんわり(・・・・)辞退した。


藤吉郎は輿からも義元からも離れるわけにはいかなかった。


藤吉郎の任務は義元の居場所を織田軍に特定させる役目だったからだ。


色鮮やかな朱塗りの輿は土埃と硝煙に包まれた戦場でも絶好の目印となるであろう。


しかし義元は藤吉郎があれこれ用向きを作って引き止めるまでもなく、常に藤吉郎の傍近くにあって警護に当たった。


沓掛城に入って以来、藤吉郎は本当にこのまま義元と共に御所に駆け上がるのだと自分自身に言い聞かせていた。


人を欺くのは難しい。


まして聡明な義元を欺くなど至難の技である。


そこで藤吉郎は、義元を騙すのではなく己を騙すことにした。


自己暗示を掛けて義元に担がれ上洛を目指す"親王"に成り切ろうとしていた。


もし、このまま義元が上洛を果たして自分を次の天皇に据え新しい幕府政治を打ち立てたならば、それは諸国民にとって混乱しきった現状よりも遥かに幸福をもたらすはずだと思った。


通行や交易を国主や寺社から開放し地場産業を発展させ、武家には勉学を奨励し茶道や和歌や芸能、建築などの文化芸術を全国に行き渡らせることだろう。


駿府の開放的で明るい城下をつぶさに見てきた藤吉郎は、義元には天下万民を治むるに足る才覚があると認めざるを得なかった。



或いは信長よりも ・・・・



蒸し暑い輿に揺られながら、藤吉郎は己が両の掌を見た。


右手には五指、左手には六指あった。


親指が二つに割れて二本になっているのだ。


生まれつきの奇形である。


外側の指の方が僅かに小さかった。


この小さい方を赤子のうちに切り取っておれば、今頃は誰にも悟られぬ程に矯正できていたのだろうと思った。


切り取らずに残したのは育ての母の仲の計らいだった。


いずれ御所に誘われしときの証として残そうと決めたのだ。


たとえどんな貧乏百姓の家でも小刀や鎌ぐらいはある・・・・


普通であれば、子を不憫に思い赤子のうちに余分な指を切り取るのが当時の習いであった。(現代でも同じである)


成人するまで切らずに残したということは自ずと意味(・・)を持つ。


藤吉郎が幼い頃、仲はよくこの左手を優しく両の手で包んで言い聞かせた。


「日吉よ、この左手を大切にいたすのです。これこそがそなたが御所の主にもっとも(・・・・)相応しき濃ゆい血筋を持つ者の証なのですから」


幼い日吉は母の言葉を理解することはできなかったが、たとえ近所の悪がきどもにどんなにいじめられようともこの指が嫌だと思ったことは無かった。


やがて輿が後方に少し傾き揺れが大きくなってきた。


道が緩やかな昇り坂に差し掛かったようだ。


藤吉郎は胡坐を崩して前かがみになって体のバランスをとった。



いよいよである。

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