その四十 三すくみ
たいへんお待たせいたしました。
いよいよ前半の佳境、桶狭間に入ります。
勿論、前例の無い展開となって参ります。
どうぞご期待くださいませ。
当初義元には尾張にまで支配を広げる気や、まして上洛を果たして天下に君臨する野心など微塵も無かった。
周辺国の北条、武田、織田との均衡を保ちつつ、大国として横綱相撲をしていれば領国の安泰に不安は無かった。
"金持ち喧嘩せず" である。
若い頃に都で僧として学問を積んだ義元は優れた統治能力を発揮して今川家を立て直した。
朝比奈泰能や太原雪斎ら勇猛、知略で知られる家臣団は強い結束でそれを支えた。
他国との交易路としての海路が喉から手が出るほど欲しい武田晴信(信玄)にとっても磐石の体制の今川と事を構えてまで南進する危険は冒せなかった。
越後の虎、長尾景虎がそれを許すはずがなかった。
自然武田は今川と手を結ぶ道を選んだ。
義元の妻は晴信の姉でありその父の信虎は故あって今は今川の客人である。
今川が国力をたのんで尾張に本格侵攻すれば尾張と同盟関係にある美濃は黙っていないし、もし紛争が泥沼化すれば今度は北条や武田がこれに乗じて攻めてくるであろう。
要は三すくみ、四すくみ、五すくみである。
戦国の世とはそもそもそういったもので悪戯に相手構わず戦ばかりしていたわけではない。
三河はなにかと小競り合いが絶えない尾張との緩衝地帯として有効に機能していた。
道三が生きている間は ・・・・
道三がその子義龍に殺され美濃と尾張の同盟関係が解消されるとにわかに尾張、三河国境の雲行きが怪しくなり始めた。
尾張の若き当主はようやく尾張八郡をまとめ上げた矢先であった。
誰の目にも尾張の若き当主の危機に見受けられたが ・・・・ 実は危機を装って梃子でも動かぬ義元を焚き付けているのは他ならぬ尾張の織田上総介信長本人であることを知る者はこの時代に於いても極僅かの者に限られた。
三河との裏工作を担った梁田政綱。
信長の父信秀の仇であった叔父の信光を、信長の密命により元主君織田信友の仇と称して討ち、亡命の大義名分を携えて今川に潜入し尾張の偽情報を義元に流す役目の坂井大膳。
そしてかつて義元に上洛への野心の芽を植え付けた藤吉郎である。