その四 竹千代
日吉は十四歳になっていた。
まやかしの親兄弟との生活でも、日吉は結構幸せであった。
この頃すでに日吉は、竹阿弥は勿論、仲も実の母ではないことを知らされていた。
仲は日吉が物心付く頃より出生の秘密を明かし、いつ自分の手元から引き剥がされようとも日吉が道を誤らないような心積もりをさせていた。
左手のことも、たとえ他人から何を言われようとも自棄になって切り落としてはならないと戒めた。
それが御所と日吉を結びつける何よりの"印"であることとともに。
世間の学問をも広く知るために近所の寺の住職の元に通うようになると、体が小さく貧相なのが災いして近所の悪たれにひどくいじめられることもしょっちゅうであった。
しかしそれぐらいのこと、日吉にとっては何でもなかった。
自分はゆくゆく信長様の一番家来になることが約束されているのだ。
そのときお役に立てるように今は世の中を広く知る時なのだ。
そう心に秘めていた。
一方、その頃の信長はというと、与太者のような風体で領内を練りまわしていたが日吉が暮らす城下のはずれを訪れることはほとんどなかった。
正月気分も抜ける頃、竹阿弥と仲に伴われて信秀への年始の挨拶に登城を許されたとき、久方ぶりに信長と出くわした。
「さる、ちょっと来い」
日吉は久しぶりに会った信長が、まるで昨日も会っていたかの様な気安さで自分を"さる"と呼んでくれたことがたまらなく嬉しかった。
信長は日吉を裏庭に連れ出した。
「あいつを見ろ」
信長が指差した方には年の頃六、七歳の目のぎょろっとした童がお付きの者と遊んでいた。
・・・・ 誰だろう、身分の高そうな装束を身に纏っているが ・・・・
日吉の疑問を察した信長が小声で囁いた。
「松平の人質の竹千代よ」
「まつだいら?」
「おうさ、一応三河の主よ。今は今川の属国だがな。いつか俺の子分にしてやろうと思っておる。
まあ、三河の田舎なんぞはぜんぜん欲しくないが三河の兵は強い」
そう言って信長は日吉に向かってにやっとした。
「安心致せ。俺の一番子分は貴様と決めてある。ただし、これは俺とお前の二人だけの秘密だ。誰にも悟られてはならぬぞ」
それは信長の父信秀からも竹阿弥からも仲からもきつく戒められていることでもあった。
日吉は信長が自分を忘れずに家来と思っていてくれただけで充分幸せだった。
・・・・ このお方にどこまでもついて参ろう ・・・・
日吉はその小さな胸に固く誓うのだった。
信長はもう一度にやっとすると日吉を残し、ぱっと竹千代と教えた童の方に飛んでいった。
遠くに信長の嬌声と竹千代の泣き声が聞こえた。
何か悪戯を仕掛けたようだ。
いずれ順繰りに天下を支配する三人のそれぞれの少年時代がこんなところで交差していた。
しかしながら日吉の満ち足りた尾張での生活はそれほど長くは続かなかった。