その三十七 和解
母の願いを知った信長はいとも簡単に村井長門、島田所之助の両名を和平の使者として末森城に派遣した。
信長は自身が母から愛されていないことを知っていた。
しかし、母は母である。
悲しむ様子を見聞きするの偲びがたかった。
それに信長は実に兄弟思いの兄でもあった。
特に同腹の弟の信行と、お犬、お市の二人の妹達のことは小さい頃から大変に可愛がった。
信長がまだ家督を継ぐ以前にはこんなことがあった。
取り巻きを従えて領内の地形の検分に弟や妹達が暮らす末森城の近くまで遠乗りをしたことがあった。
当時には珍しい菓子を土産に携えて幼い妹達が遊ぶ城内の庭先にぶらっと現れた。
お犬とお市はきゃーきゃー言いながら兄にたぐりついてきた。
「そんなにぶつかってきては美味い菓子が粉々になってしまうぞ」
そう言いながら信長が懐から和紙で包んだ焼き菓子を取り出すと二人の妹達は目を丸くして菓子に魅入った。
「それ、口に入れてみよ」
そう言われて二人は恐る恐る見たことも無い焼き菓子を口にした。
たちまち二人の姉妹ははじけるように、「あっまーい」、「おいしー」、と叫んだ。
「さあ、もっと食え」
信長は二人の妹達の喜ぶ顔を見るのが何よりの楽しみであった。
「信行はどうしておる?」
信長がそう尋ねると姉のお犬が、「兄上はいつも書院に篭もって書ばかり読んで私達とちーとも遊んでくださいません」
とふくれて見せた。
「ちーとも」
お市も姉を真似て続けた。
「やれやれ、相変わらず書の虫か ・・・・ 」
しかし信長はそんな弟信行のこともゆくゆくは誰よりも信頼できる家臣として遇するつもりでいた。
それなのに、気前の良かった父信秀時代を懐かしむぐうたら家臣共に担がれて兄弟の仲は修復不可能なまでに決裂してしまった。
・・・・ この機が最後である ・・・・
そう固く念を押して信長はこれを許した。
それを受けて信行は柴田権六に付き添われ坊主の墨衣で清洲城を表敬し許しを乞うた。
もしかして信長に命を奪われるのではと案じた土田御前も一緒に清洲を訪れ二心無きことを確約した。
謀反の首謀者の林美作守の兄の林秀貞は、かつて那古野城に於いて美作守が信長の暗殺を企てたのを寸でのところで思い留まらせたことをもって許された。
信長は後世言われるほどには血も涙も無い冷血漢ではなかった。
よく怒り、よく笑い、よく謡い、よく踊り、すぐに人を信じるお人好しの部分も多分にあったのだろう。
それが彼の寿命を縮める事変に結びつくのは、これより三十年のちの天正十年(1582年)のこととなる。