その三十五 粛清
尾張守護職の斯波義統を利用して主筋にあたる織田信友を謀殺し、ついに尾張下四郡を支配下に収めた信長ではあったが、織田禅正忠家は信秀から信長に代替わりした後も家臣の多くは信秀に仕えていた顔ぶれのままであった。
当然、信秀のときと同じような処遇や待遇に甘んじられると思う者が多かった。
要は既得権益である。
信長が生涯に渡って嫌悪し続けたのが前例踏襲と既得権益に胡坐をかいて甘い汁を吸い続ける領主と寺社仏閣であった。
信長は他国を切り取りに行く前に先ず、国内の患部を切り取る外科手術に手を付けた。
担当執刀医は秘密裏に味方に取り込んだ柴田権六(勝家)が務めた。
取り除くべき患部は、筆頭家老の林兄弟とその一派。
特に反信長の急先鋒である弟の林美作守さえ排除すれば後は烏合の衆となる。
ただ単に排除するだけなら暗殺が容易いが、信長はは美作守を餌に家中の不心得者を選別する罠を仕掛けた。
信長と権六は示し合わせたとおり稲生村のはずれの街道で向き合った。
柴田軍一〇〇〇、対する信長の精鋭は七〇〇。
林美作守は柴田軍と共に信長を挟撃すべく南側のあぜ道から七〇〇で信長軍へ向かってきた。
林軍が罠にかかったのを見届けたそのとき、信長軍の三〇〇丁の鉄砲が柴田軍に向かって火を噴いた。
未だかつて誰も聴いたことが無いような大音声を合図に柴田軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
見たことも無い鉄砲の一斉射撃と柴田軍の退散を目の当たりにした林軍は浮き足立ってこちらも退散しようとしたが、いつの間にか後方を信長の別働隊にふさがれ逆に自軍が挟撃の最中に取り残された。
退路を奪われた林軍は信長の鉄砲隊の放つ矢玉に次々と倒れたちまち半数を失った。
覚悟を決めた林美作守は一人前に出ると大声で名乗りを上げた。
「われこそは尾張那古野城城代林秀貞が弟、林美作守である」
まるで室町以前の鎌倉時代の一騎打ち気取りである。
「半平、相手をしてやれ」
信長は黒田半平とうい名の練達の士に林との一騎撃ちを命じた。
二人は両軍が見守る中二度三度と太刀を打ち合わせた。
息も上がっった頃、林の振り下ろした太刀が半平の小手に入り、手首ごと半平の太刀が飛んだ。
疲れ切ってがっくりと膝を突いた林のもとに信長の駆る駿馬が飛び込んだ。
馬から飛び降り際信長は手槍で林の脇腹を一突きしてそのまま押し倒した。
「父の仇、思い知れ」
長刀を抜くや兜の下に潜り込ませ地べたごと美作守の首を斯き切った。
信長は自らの手で父の仇を討った。
信長が冷徹な面持ちのまま兜に付いたままの美作守の首を敵方に晒すと、残った敵兵は皆降伏した。
首からは鮮血が滴り落ちていた。
敵も味方も信長の冷血に心底震え上がった。
尾張下四郡に信長に逆らう者はいなくなった