その三十 平手政秀
舅の斎藤利政との会見を首尾よく乗り切った信長は、強国美濃を後ろ盾にいよいよ尾張統一に向けて動き出すことになる。
話は前後したが、尾張守護職の斯波氏を傀儡に尾張下四郡を支配する織田信友の排除に取り掛かかったのはこの直後である。
正徳時から信長が無事戻るのを待つ平手政秀は一日千秋の思いであった。
もしもの時には人質として帰蝶を残忍な方法で殺めなくてはならないはめにもなるからである。
帰蝶は政秀が骨を折って美濃から貰い受けた姫であった。
その帰蝶を自ら手に掛けるのは平手には御免こうむりたいことであった。
平手の心配も杞憂に終わり信長と精鋭七〇〇名は美濃とのより強固な同盟を手土産に那古屋城に凱旋してきた。
出迎えた平手の顔は明るかった。
「若殿、無事のご帰還何よりで御座います。海千山千の利政様をして高い評価をいただいたと聞き拙者も鼻が高う御座います。正直なところ殿のお顔をこうして見るまで政秀は生きた心地がしませんでした」
信長の守役だった平手政秀はようやく肩の荷が降りた心地であった。
その平手に対して信長は開口一番、「蝮めに一服盛られたわ ・・・・ 」
「はっ!? ・・・・ 」
政秀には何のことか解らなかった。
会談は順調で美濃との同盟は磐石となったはずであった。
「蝮と帰蝶の弟を養子にすることで合意した。その見返りは美濃一国ぞ!」
信長は得意満面であった。
「 ・・・・ 養子?、美濃を譲る?」
このときの信長は迂闊であった。
平出に対してもう少し丁寧に説明するべきだったかもしれない。
「まあよい。今は跡目のことなど二の次三の次だ。先ずは尾張を支配する事が先決。蝮殿の御威光を利用してな」
いつしか政秀の顔は沈痛な面持ちに変わっていた。
それに信長は気付かなかった。
信長は正徳寺で利政に対して返答したように、自分の跡目が我が子であろうとなかろうとそんなことはどうでもよかった。
今は亡き信秀と描いた天下統一の一大事業を自分の代で成し遂げることに邁進することで頭がいっぱいだった。
如何に才気に溢れるとは云え、このとき信長はまだ子も持たぬ十九歳である。
子を愛する親の気持ちも、後世に自分の分身を残す意味すら実感できなくても致し方のないことであった。
しかし、信秀から信長と弾正忠家の行く末を託された平手にとって織田の嫡男に他国から養子を迎え入れることなど到底受け入れられない不祥事であった。