その参 信長
仲と二人の幼い姉弟は織田信秀が東尾張に普請したばかりの真新しい那古野城の城下に連れて来られた。
これより姉は日秀、弟は日吉と新しい名を与えられ過去と決別した。
仲は信秀の茶道でもある同朋衆の竹阿弥と夫婦となり、日吉は初めて父親というものを得た。
仲と竹阿弥との間にはすぐに男子が授かり小竹と名付けられた。
日吉は皇女に仕えるほどの宮廷女官だった仲から読み書きはもとより宮廷行事や宮廷作法のあらかたを伝授され、すでに並々ならぬ才能を芽生えさせていた。
竹阿弥は多芸な文化人で歌や茶や座敷飾りなどの風雅を日吉に授けた。
特に書については日吉の才能を見抜き、すでに十歳で日吉の書の腕前は熟達の僧侶の域にまで達していた。
それに加えて城方の古老が時折訪れては武家の作法や乗馬の技術なども授けていった。
正体は決して明かされぬままに。
皆、信秀が都のおんなとでもこさえた隠し子だとでも思っていた。
日吉は成長しても小柄で体も面相も貧相この上ない少年であった。
しかしそんな日吉がにこにこしながら話をしだすとその飄々とした話し振りに、皆気付かぬうちに虜にさせられているという不思議な力を持ち合わせていた。
そんなある日、日吉が庇護者の信秀に呼ばれて仲と共に登城したとき、一つ年長の腕白そうな少年と引き会わせられた。
日吉は十一歳になっていた。
「これにおるは我が嫡男の吉法師と申す。腕白で手に負えんきかん坊だが見所のある奴だと思うておる。
日吉、そなたにはこやつの右腕として終生傍に仕えてもらいたいと思うておるのだ。
ほれ、そなたの一番家臣じゃ。何とか申さぬか」
信秀に促されて吉法師が口にしたのは。
「おぬし、猿のような顔じゃの。これより"さる"と呼んで遣わす」
「吉法師!」
父に吉法師と呼ばれて少年は不機嫌に答えた。
「父上、その名は幼な過ぎるのでとうに捨て申した、今は三郎とお呼び下され」
信秀はやれやれといった表情で、「嫡男が三郎では格好付くまい、第一そう名乗るならそなたは次郎と名乗るべきであろう」
「次郎や四郎より三郎のほうが語呂が良くて強そうだから三郎にしたのじゃ。些細なことなどどうでもよい」
信秀はげんなりとした表情でお仲に、
「日吉とこ奴とはまるで正反対の性質を持って生まれた。
陰と明。公と武。知と勇。柔と剛。そして寛容と酷薄 ・・・・
こやつらが二枚貝の二身のようにがっちりと組み合わされておる限り如何様な強敵が現れようとも負けることは無かろう。
そしてわしの超えられない一線をも易々と越えて行くだろうて。
それを見させてもらうのがわしの楽しみよ」
「お仲殿、そなたは日吉を良く養育してくださっておる。礼を申すぞ」
「いえ、わたくしは日吉がこの戦国の世を生き延びてくれるようにとの一念で育ててまいっただけにございます」
信秀は厳しい表情で吉法師に向き直った。
「三郎とやら、これよりは名を改めよ!」
三郎は反抗的な目で父信秀を見上げた。
「今日より吉法師改め織田"信長"を名乗れ」
とたんに三郎の目の色が変わった。
「ちと早いが元服を許す」
ここに戦国の覇者、織田信長が誕生した。