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その二十七 町屋

家督を継いで間もない信長に美濃の斎藤利政(後に道三)から会談の要請がきたのは帰蝶が尾張に嫁いで四年目の天文22年(1553年)のことだった。


この頃の信長は藤吉郎と清洲の織田信友の排除に陰謀をめぐらせていた頃である。


「領主となった娘婿に一目会いたい」、という(しゅうと)からの申し入れでは断るわけにもいかなかった。


尾張と美濃の関係は帰蝶の輿入れ以降安定しており、ともに国内に不安定要素を抱える両国にとって縁戚関係を維持することは重要であった。


なかなか子が出来ない信長と帰蝶の夫婦関係に美濃側が神経を尖らせるのも無理からぬことだった。


それに相手は何しろ美濃の蝮である。


もしかしたら信長と帰蝶の不仲を口実に無理難題をねじ込んでくることも考えられた。


信長は最近では帰蝶とはすっかり没交渉となっており、その後ろめたさも手伝ってこの時期に義父と会うことには気乗りがしなかった。


いつの時代も嫁の父親というのは、夫にとって不得手な存在である。


つまらない理由で帰蝶を美濃に返せなどと言い寄られては面倒だ。


信長にとって今、美濃の後ろ盾を失う事は許されない大事な時期である。


信長は生前の父の言葉をかみしめた。


「よいか信長、大国の美濃を戦で切り取るは難儀なことだ。たとえ力で奪ったとしても気難しい美濃衆を手懐けるのはさらに困難を極めるだろう。頑固で気位が高い美濃者は美濃の血にしか従わぬ。これは三河者にもそのまま当てはまる。われらがこの尾張の地から天下を望むのなら美濃と三河の二つは是が非にも遺恨を残すことなく味方に取り込まなくてはならぬ。銭ばかり喰う都など後回しでよい。まずは美濃と三河と縁戚を結んで味方とするのだ・・・・」


そのことは信長自身もよく理解をしていた。


帰蝶との夫婦関係についても信長なりに努力はしてきたつもりである。


しかし信長の気性を考えれば気の進まぬ相手と仲睦まじい夫婦を演じ通すなどどだい無理な相談であった。


それにそもそも信長はおんな(・・・)に対する興味が希薄だった。


仮に帰蝶が母親に似て絶世の美女だったとしても、心から愛せたかどうかは疑問である。


犬千代(利家)と床をともにした方がよほど心安らいだからだ。


信長は今で言う両性愛者(バイセクシュアル)だったのだろう。


やや同性愛寄りの・・・・


気のすすまぬ利政との会談場所は帰蝶が尾張への輿入れの前の日に宿とした国境の正徳寺が選ばれた。


信長は利政に尾張の国力を見せ付けるべく七百余りの部隊を率いて北上した。


信長を待ち受ける利政という男は己の目に絶対の自信を持っていた。


取り繕った対面の場の前に素の信長をその目で確かめておきたいと考えた。


美濃に入ってすぐの町屋が立ち並ぶ街道脇に古びた民家を一軒借りさせてて、やがて差し掛かる信長一行を間近から見届けようと目論んだ。


予定通りの刻限に現れた織田の一行を小窓から盗み見る利政とその側近たちはその装備の異様さに目を奪われた。


三間はあろうかという物干し竿のような槍を抱えた二百名を先頭に、弓衆が二百名、最後に三百丁余りの鉄砲が鈍い光を放ちながら天を睨んで続いてきた。


鉄砲は当時まだ相当に珍しく、たくさんの鉄砲が隊列をなして進むさまを今まで利政は見たこもなかった。


古老の側近は織田軍を評して、「ふんっ、尾張の弱兵ぶりは相変わらずでござるな。いかにも流れ者の寄せ集めのといった風情だ。槍を長くしてみたり、飛び道具に頼ったところで一発撃ち仕損じればほいほい逃げ出すのが目に見えておる。手練揃いの美濃者の相手にもならぬわ」とせせら笑った。


それを聞いた利政は、「いや、それは違うぞ」と言った。


確かに農民兵主体の美濃兵は強かった。


互いに氏素性が知れた者同士であれば、たとえ旗色が悪くなろうとも互いを見張り脱走など許さぬ仕組みだ。


もし怯んで逃げ出したりすれば、その者は二度と里に帰ることはできない。


この仕組みは農民兵を柱とする限り武田であろうと上杉であろうと、いずこの家中も大体同じようなものだった。


当時はまだ戦闘だけを生業とする職業軍人は一部の侍大将(かぶとくび)に限られ、ほとんどの雑兵は普段は農作業に従事しながら兵役も務める農民兵だった。


それは秀吉が太閤となり石田三成が "刀狩り" を実施するまで日本中で続き、武士(せんとういん)と農民との間に明確な身分の隔たりが生じるのは江戸期以降である。


農民兵の美濃に対して尾張兵は銭で雇われた流れ者や牢人がそのほとんどを占め、彼ら傭兵は少しでも旗色が悪くなるとすぐに逃げ出すのが常だった。


これまでは・・・・


しかし今信長が率いる七百余りの軍勢はかつての弱兵とは勝手が違った。


見た目は相変わらずの寄せ集めの寄り合い所帯であっても内容が異なっていた。


尾張兵を変えたのは "鉄砲" だった。


利政の頭の中では美濃が誇る熟練兵達が、尾張の傭兵が操る鉄砲の前にばたばた倒れる様が思い浮かんだ。


熟練の農民兵には限りがあり失い続ければ兵力も国力も傾く。


一方の尾張はといえば銭で鉄砲も射撃手もいくらでも集めてくることができる。


槍や弓の使い手と違って、鉄砲の射ち手にはそれほどの熟練は必要としない。


・・・・知略と謀略で国を手に入る時代は終わったのかもしれぬ・・・・


・・・・これからは金持ち(けいざいこうりつ)がものを云う時代になるということだ・・・・


利政は他国に先んじて信長に鉄砲を与えた信秀に感心するとともに、それを使いこなす信長という跡継ぎを遺した信秀に羨望を覚えた。


ひるがえって己が嫡男の凡庸さが歯がゆかった。


さてその信長はというと鉄砲隊の真ん中あたりで噂どおりのいかれた格好で馬の鞍にもたれ掛かるように揺られていた。


その見事な軍容と信長のいでたちとの不釣合い具合は利政ほどの人物眼をして信長という男を推し量ることを躊躇(ためらわ)させた。


それにしても信長の格好は奇異であった。


髪はちゃせんのような(まげ)をぴんとそびえ立たせ、ゆかたの方袖をもろ肌脱いで、柄にぐるぐると縄を巻いた太刀を肩に乗せ、太縄の腰紐に火燧袋にひようたんをいくつかぶら下げ、虎革と豹革を交互に張り合わせた派手な半袴をまとっていた。


贔屓目に見ても山賊か野伏せりの頭領といったところがせいぜいである。


利政の側近達が怪訝な顔を見合わせる中、当の利政だけは娘婿の奇行を愉快そうに眺めていた。


・・・・これはうつけの評判もだいぶ怪しくなってきたわ・・・・


利政は娘婿との会見が急に待ち遠しくなったかように気ぜわしく裏へ飛び出して馬に飛び乗った。


"客" を待たせぬためには遠回りの道を飛ばさなくてはならぬ・・・・

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