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その二十五 婚礼

話はとんとん拍子に進み、帰蝶は年明け早々にも輿入れするはこびとなった。


冬枯れの木々に新芽が膨らみ始める二月の小春日和の日に生まれ育った稲葉山城(後の岐阜城)を出立した婚礼の行列は国境(くにざかい)の正徳寺を目指していた。


稲葉山城から那古屋城までの道のりは十里ほどもあり、婚礼行列の足取りでは丸二日を要した。


婚礼行列は途中、正徳寺で一泊して婚礼の支度を整え、翌日に清洲の城下を素通りして信長親子が待つ那古屋城を目指す行程と相成った。


父親の利政(道三)は未練たっぷりに正徳寺までを付き添い、長年敵国だった尾張に嫁ぐ最愛の娘を見送った。


同行していた美濃兵の大半は利政と共に稲葉山城に引き返し尾張領の護衛は信秀が寄越した平出の隊が引き継いだ。


行列は前日よりかなり短くなった。


その婚礼行列苦々しく清洲城の天守から見下ろす人物があった。


信長に謀られて落命する前の守護代織田信友である。


「ふんっ、蝮め。戦に明け暮れて散財した挙句、娘の嫁入り支度までけちりおったか」


確かに国守の娘の輿入れにしては質素な婚礼行列であった。


しかしそれは道三の側で信秀が尾張の守護代や小守護ですらないことを気遣ってのことであった。


他の織田一族から僭越過ぎるとの謗りを受けないためである。


しかしながらそれは杞憂であった。


そもそも美濃の蝮の娘を、しかも一番器量の悪い長女の帰蝶を嫁にしようとする信秀、信長親子をやっかむ者など尾張にはいなかった。


他の織田一族は、それぞれ立場が悪くなった信秀と斎藤の双方が苦し紛れに和平を取り結ぼうと画策したとしか見なさなかったのである。


このとき信長は十六歳、帰蝶十五歳であった。


当時の習いとして嫡男が正室を迎えるには順当な年頃であった。


那古屋城に到着して出迎えの衆が見守る中、輿から降り立った帰蝶は父親譲りの受け口で入念に婚礼の化粧を施されているにもかかわらず生来の貧相を包み隠すことは出来なかった。


たいていの娘はこの年頃ともなればいくらかは華やぐものなのだが、帰蝶はそういった華やぎは無縁であった。


出迎えた者達は皆、信長に同情した ・・・・


・・・・ 男前の若殿とは不釣合いこの上ない姫君だ ・・・・


・・・・ 織田弾正忠家の美形の血筋もこれまでか ・・・・・


・・・・ あれでは立つものも立たぬであろうに ・・・・


いやはや散々な云われ様である。


容貌においては全く見るべきものが無い帰蝶ではあるが、父親から受け継いだその()は実は内なる処に宿っていた。


それ(・・)によって日本史上最大級の事件が引き起こされるのはだいぶ先のことになります。

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