その弐 忌子
「如何に御所が落ちぶれようとも、かくも訳ありの出生の子を皇子と認める訳にはまいらぬ。
だいいち方仁親王(後の正親町天皇)とてまだまだお若い故、皇子などこれから幾らでも授かろう」
それが御所の返答であった。
暗に、御所から連れ出して密かに始末せよと命じられたようなものである。
仲は小さすぎて乳すら満足に吸えぬ赤子を抱え途方に暮れた。
困り果てた仲は御所に暇乞いを願い出て実家に戻り、自分の娘と共に永寿の産んだおのこを隠れて養育した。
その子は物心が付くか付かぬ頃から読み書きをすらすら覚えた。
仲はおのこの養育に没頭した。
・・・・ この子は厩戸の皇子(聖徳太子)の生まれ変わりに違いない ・・・・
そう固く信じた。
何度か御所におのこの名誉回復を願い出たが、願いは全く聞き入れられなかった。
しかし、捨てる神あれば救う神あり。
ある日おのこに救いの手が差し伸べられた。
・・・・ 御所のはずれの公家の館に方仁親王の御落胤が隠されている ・・・・
どこから漏れ聞いたのか当時商業地として賑わう、東尾張の羽振りの良い武家筋から、天皇の孫にあたるその御落胤を引き取って養育したいとの申し出がなされた。
それも朝廷への多額の献上金と引き換えに。
朝議の常であれば、訳ありの出生を持つ皇子を他家、ましてや武家に出すなど有り得ぬことであった。
しかし尾張の武家が提示した金額は朝廷の予想を遥かに超える四千貫という大金であった。
すでに財政が破綻している朝廷にそれを拒める道理は無かった。
幼子は見送る者も無いなか、仲と仲の子の姫とともに武家の名代の平手政秀に誘われて東尾張の武家の元に護送された。
仲と幼い子らを大金をはたいてまで引き取ったのは尾張の守護職、斯波氏に仕える織田一族の分家に過ぎぬ織田信秀という武将だった。
後に朝廷と決裂する信長の父親である。