その十五 斯波氏
蜂須加小六と前野将衛門は遠江で死んでなどいなかった。
自分達の装束を背格好が似た身代わりに着させた後、首なし死体にして置いてきたのだった。
当時の検視では指紋もDNAも調べないので死体の替え玉など簡単なことである。
特に首なし死体は ・・・・
藤吉郎と小六、将衛門ら一行は織田大和守信友によって清洲城に飼い殺しとなっている斯波義統を信長の名代として跡目相続の挨拶に訪れていた。
義統は実権こそ奪われていたが、名目上は尾張の国の守護職である。
今川義元や武田信玄らと同格、いやそれ以上の名門である。
由緒正しき源氏の末裔にして足利将軍家の一門に列したその人と成りは、落ちぶれたとは云え高い教養と類い稀な文化人であることでは人後に落ちなかった。
義統との会見には藤吉郎が相対し、小六と将衛門は後ろに控えて訪問団の主が一番年若の藤吉郎であることを表した。
先ずは藤吉郎が口上を述べた。
「本日は織田上総介信長様より、お近づきの御挨拶を持参して参りました。先ずはどうぞ、こちらの品をお納め下さいませ」
藤吉郎が義統に差し出したのは、たいそう珍しい明の茶碗であった。
義統は見たこともない珍品に目を丸くして喜んだ。
「信友に実権を奪われ、今では訪れて来る者も失せた某に斯くもお気遣い下さるとは、信長という御仁は人心を心得たる相当の人物と推察仕った。器は父親の信秀殿以上であろうか」
「如何にも、亡き大殿も信長様の器量には大いに期待されており申した。ゆく先を見届けられず身罷られたことは、さぞや御無念であったろうと推察致しまする」
小六が恭しく答えた。
義統は、「さもあろう、さもあろう」、と首を何度も縦に振って信秀を偲んだ。
信秀は生前、義統を金銭的な後ろ盾として支えていた。
"明の茶碗" には信長に世代替わりしても、支援を続けていくという意味が込められていた。
兵力はともかく財力で信秀、信長親子に敵う者は尾張の国はもとより、日本国中探してもそうはいなかったはずである。
"金山" を持つ武田と上杉を除いては ・・・・
「さて、信長殿も歳若くして当主となられたが、御使者を務めるそなたも随分お若くお見受け致す。
さては信長殿の小姓衆ででも御座ったのかな?」
義統の何気ない問いに、前野将衛門が待ってましたとばかりに進み出て、藤吉郎に代わって答えた。