その十三 喪失
駿府の義元の下に敵国尾張の織田信秀の訃報と前後して藤吉郎行方不明の知らせも之綱からの使いによってもたらされていた。
「藤親王様が連れ去られただと・・・・ 」
「ははっ、織田の仕業に間違いないものと思われまする」
「本当に拉致なのか、まさか本人の御意思で今川を見限られたのではあるまいな?」
使者の答えは義元の疑念を否定した。
「居合わせた屋敷の使用人は無残に殺され、藤吉郎様配下の蜂須賀殿と前野殿の首まで持ち去られておりました ・・・・ 、当主を失った織田が、この機に今川に攻め込まれぬ為の人質を取ったのでありましょう」
「おんのれ、うつけの小倅めが。そのぐらいのことでわしの腰が引けるとでも思うておるのか。
尾張一国まとめられぬ織田如き今すぐ踏み潰してくれる」
普段沈着冷静な義元ですらその怒りは収まらなかった。
「殿、今は織田征伐の好機では御座いませぬ」
そう義元を諌めたのは軍師の雪斎であった。
「御正室の定恵院様が身罷られ、義父の武田信虎様も出奔された今、駿府を留守にいたさば即座に武田が攻め込んでくるは必定。
武田と北条と新たな講和を結ぶまでは迂闊に尾張征伐など叶いませんぞ」
「 ・・・・ 」
「慌てることは御座いませぬ。何にしても織田の跡目はあのうつけの若造に御座いますれば信秀亡き後の尾張は必ず乱れまする。
内輪もめで消耗させてから三河者にでも出張らせれば難なく尾張は手に入りまする。
そのときの為に、あの松平の小倅を手懐けておくので御座いますゆえ。
尾張征伐の折にはかの者を先陣に立たせれば三河者が我らの代わりを務めまする」
「 ・・・・ 」
義元はまだ納まらないようであった。
怒りや焦りや野心といったものは、日頃は論理的な思考をする人間からも理性を奪うものである。