その壱 誕生
洛中。
禁裏。
天皇が暮らす清涼殿から更に渡り廊下を奥へ奥へと進んだ先に姫宮御殿はある。
夜明け前の御殿の奥から、ときおり若い女の苦しそうな声が漏れ聞こえていた。
断続的なそれは、だんだんとその間隔をせばめていくようであった。
誰の耳にも産気づいた妊婦の声であると察せられたが、静まり返った御殿の中に騒ぎ立てる者は皆無であった。
声の主は相当に身分の高い姫君のようである。
にも関わらず出産の介添えには女官が一人付き添うだけであった。
「永寿様、お気を強く」
「はあ、はあ、お仲、子を授かるとはかくも苦しいものなのか。そなたもこのような苦しみの果てに子を産んだのか?」
仲と呼ばれた女官は正直に首を横に振った。
「永寿様は相当に難産な方にございます。まだお子を産むにはお若すぎたのか、あるいは ・・・・ 」
仲はそこから言葉を濁した。
「あるいは何じゃ、禁じられた御子を宿したせいだとでも申すのか」
「いいえ、けっして ・・・・ 」
難産に喘ぐ姫君は在位中の後奈良天皇の皇女、永寿女皇であった。
まだ十七の若さである。
破水してから、すでにふた時以上経過していた。
現代であればとっくに帝王切開で取り出していなければならない頃である。
やがて未明の姫宮御殿に永寿の絶叫が響き渡った。
永寿は苦しみの果てにほとんど気を失いそうになりながらもおのこを産み落とした。
薄れそうな意識の中で、永寿は産湯をくぐった我が子を見た。
菜種油で灯る燭台が照らし出した赤子はひどい未熟児であり、その皮膚はしわくちゃであった。
「生まれたばかりの赤子とは、みなこのように猿の如く醜いのか?」
「 ・・・・ はい、たいていは左様にございます」
永寿はふと赤子の糸みみずのように細い手の指を数えた。
右の手は五本、左の手には六本の指が認められた。
「ああ、お仲 ・・・・ ここに禁じられし御子の印が ・・・・ 」
お仲は露ほども表情を変えずに永寿に言った。
「これしきのこと何程でもございませぬ。もう少し大きゅうなられたら、幼子のうちに切り落としてしまえば傷跡も残さず癒えまする」
それを聞いた永寿はほっとした顔をして目を閉じた。
永寿皇女が再び目を開けることは二度となかった。
天文四年(1535年)、関ヶ原から遡ること六十五年前の出来事にございました ・・・・