壱日目
爺さんの死に際を時折夢に見る
ばあちゃんが手を握りその傍に親父が寄り添った。母さんは目を手で覆い泣いていた。
まだ幼かった俺はそれを少し離れていたところから見つめている
爺さんとの思い出はあまり無かったがこのときのことをよく覚えているのはきっと人の死というものに触れるのがはじめての体験だったから
いいや、違う
きっと最後に爺さんが残した言葉が忘れられないから
「私は次にどこに行くのだろう。」
痴呆の入った爺さんは最後にそう言い残して目をつぶり二度と開けることはなかった
カタンっ、と郵便受けに物が入る音で目が覚める
効きすぎたクーラーが少し肌寒い
窓を開けると騒がしい蝉の鳴き声と夏日が部屋に飛び込んだ
時刻は十二時過ぎ、普段なら慌てて支度をし家を飛び出るところだが今日は必要ない
なぜなら今日から大学の夏休み期間に入ったのだから
ゆっくりと伸びをしポットの湯を沸かす
悠々自適な怠惰な生活、残り1ヶ月近くもある休みをいかに過ごそうかと思いに更ける
だが妄想の時間は長くは続かなかった
先ほど届いた郵便物に目を通すと我に返る
父、危篤と赤いカタカナででかでかと書かれた大袈裟な葉書
送り主は見なくてもわかる、一人しかいない
俺こと東郷善次の母である東郷美代だ
簡単な推理をしよう
現代文明の利器である携帯電話を使わずわざわざ葉書で連絡してきたところを察するにまず間違いなく父、東郷優心は危篤などではない
きっとこれは母の実家に帰ってこいという催促の葉書だろう
となるととるべき行動は決まったも同然、これから始まる怠惰な夏休みを守るべく無視をする一択だ
葉書をごみ箱に放り込み夏日を背に朝のコーヒータイムを満喫する
いつもは煩く聞こえる蝉のざわめきすら今は心地のよい子守唄のようだ
まったく夏休み様様である
しかしまたもや安らかな時間は長くは続かず、今度は携帯の着信音によって強制的に我に返させられる
見計らったかのように送られてきた母からの文面は「この夏の仕送りはないと思え。」だった。
だがたったこの一文による俺の生活への影響は凄まじく、先月車の免許を得たばかりで金欠の俺にとっては致命的な一撃だった
こうして悠々自適な怠惰な生活を送るという夢は出鼻を挫かれたのである
仕方なく実家に帰るべく支度を始め、なけなしの金を使いレンタカーを借りる
時刻は昼の半ばを過ぎる頃
今から出たのでは着くのは夜中頃になるだろうか
明日の朝から家を出る選択肢もあるが一分でも早く実家に帰り一秒でも早く夏の怠惰を満喫したかった俺は矢継ぎ早に家を飛び出した。
実家は周りを山に囲まれた僻地にある
交通の便も悪いし娯楽施設等といったものは当然ない、あるのは畑に田んぼ、小中まとめられた小さな学校が一つ、少し離れた町に高校があるがいるのは顔馴染みばかり
俺はそんな故郷が嫌で大学は一人暮らしができる離れた場所に決めた
何だってあんなところに家を立てたのか、とつくづく思うが死んだ じいさんがどうしてもと言って家の裏にある山ごと買ったのが俺の実家にあたる
今ではそこで仕事を退職した親父と母が二人仲良く畑を耕している
じいさんのことをあまりよく覚えていない
ああ。でも、じいさんが死んだときのことはなぜか鮮明に覚えている。
時折ふとあの日の情景を思い出す。
そういえば今朝もあの日の夢を見ていたような。
……やめだ。今は運転に集中しよう。
夏は日が長いとはいえ夜九時を回ると流石に日は落ちきり辺りは闇夜に包まれる
夜間に走行する講習も受けたとはいえ灯りも少ない田舎道、新米ドライバーが車を走らせるには少し困難、というか自分に自信がない
ちょうどよさそうな広場を見つけ車を止めた
どこか見覚えのあるその場所に何かを思い出しそうになるが眠気が邪魔をしてかよく思い出せない
座席を倒し眠れるスペースを確保する
慣れない長距離運転で疲れていたのか案外すんなり眠ることができた
翌朝の目覚めは早かった。
辺りで鳴いている蝉の煩ささがそうさせた、わけではない。
窓を少し開けていたとはいえ車の中は蒸し風呂にいるかのような熱気で暑くなっていた。
それに窓を開けていたのも失敗だった。
山の虫の多さを舐めていたわけではないがせめて虫除けなりをしておくべきだった。
体中虫に刺されたのかやけに痒い
そのせいかどうかは知らないが体も固まって動けないくらい痛い
時刻は朝の五時過ぎ、なにもなければ今頃は家で寝ていたはずだったのに…
早く顔を見せて即家に戻ろう、今一度強く決意する
車を走らせ半時もしないうちに見 慣れた懐かしい景色が見えてきた
いや、懐かしくもないか
思い返せば年末にも同じような感じで強制的に呼び戻されたような。
その時にじいさんとばあちゃんの墓参りもしていたはず、だとすると今回呼び戻された理由はなんだ?
なぜか嫌な予感がする。
あえて遠回りをしうちの畑から離れた道を通る。
懐かしくもなんともないが半年ぶりの実家、案の定親父がいつも乗っている軽トラは見つからない
やはり今はそういう時期か
早く帰ろう
鍵のかかっていない戸を開け駆け上がるように玄関を通りすぎる
紙を机の上におきペンで帰ってましたと文字を書いたら任務完了
帰ってこいと言われたとおりに一度は確かに帰ったのだからこれで文句は言わせない
急いで実家を飛びだし車に乗ってその場を離れた、あとは見つからずに帰るのみ
ばあちゃんの墓が見えた直後、俺は咄嗟に階段の影に身を隠した
ばあちゃんの墓の前に誰かが立っている
母…にしてはやけに身長が小さい、 ばあちゃんの知り合いだろうか。
墓の前に立つ女性は白い長髪を風に靡かせ両手一杯に白い花束を抱え佇んでいる
このままこそこそと隠れ覗き見ているのは流石にばつが悪いと思い、階段を上がりきり意を決しゆっくりと墓の方へと歩み寄る
距離が縮まるににつれ女性の正体が鮮明になっていく、が不可思議だとも思うようになる
墓の前に立つ少女はばあちゃんの 墓に向かって何かを話しかけているようだった
あんな小さな少女がばあちゃんの知り合いだったんだろうか?なぜこんな場所に一人で?何を話しかけているのだろうか?
不思議だという思いは積もるばかり
訳を聞こうにもあと少し、というところで流石に気づいたのだろう
こちらに振り向き少し驚いたような表情を見せ花束を墓に置き少女は走り去っていった
一体今のはなんだったのだろうか
その不思議な一幕に目を釘付けにされ時が止まったように体も停止する
「あら?善次?」
聞き覚えのある聞き慣れた声に我に呼び戻される、と同時にしまったと冷や汗が吹き出した
母、こと東郷美代の登場である
「もお、帰ってきたのなら連絡ぐらいしてくれればいいのに。」
「あー…えっと、ただいま。母さん。」
少しひきつった笑みで振り向く
この瞬間に当初の目的であった早く帰郷、早く帰るという計画は頓挫したのである
「それにしても嫌々帰って来たくせに一番にお義母さんのお墓参りをするだなんて、感心するわぁ。」
…良心が痛む。心臓を杭で刺されたようだ。
ひきつった笑みは未だ健在
「まぁ、これ善次が飾ってくれたの?」
「あ…いや、それは…。そうだ、母さん。ばあちゃんに女の子の知り合いっていたりしたっけ?」
「なぁに、いきなり?」
「いや、その花。さっき小さい女の子が置いていったんだ。ばあちゃんの知り合いか何かかなって。」
「さぁねぇ。お義母さん、亡くなるまでの数年間はずっと畑と家の往復しかしてなかったはずだからいないとは思うけど…。」
「そっか…。」
母さんでも知らない、か
「親父なら何か知ってるかな。」
「かもしれないわねぇ。家に帰ったらお父さんに聞いてみなさい。」
「そうす…。」
出かけた言葉は途中で途切れはっ、と不味いことを思い出す
「待って、今親父家にいんの?」
「車で先に家に戻ったからもう着いてる頃じゃない?」
不味い、非常に不味いことになった
家の机には今あの書き置きが残したままだ
親父が見る前に回収して母に書き置きの存在を知られる前に破棄しなければ
「そっか…。じゃあ、俺は親父にも会いたいし先に帰るわ。」
「あっ、待ちなさい善次。」
明らかに先ほどとは母の声のトーンが違う
「今、お父さんから面白い写メが届いたんだけど…。これどういうことかしら?」
母の携帯には書き置きの写真が写してあった。
こうして俺が画策していた全ての 目論みは終わりを告げたのである
車を再び実家の方向へと走り出させる
助手席に座った母は怒りと不満爆発の大嵐、だがそれよりも実家についてからすることを想像すると気が重くなる
ああ、俺の怠惰な日常はどこへいってしまったのか
実家に戻ると荷台からはみだすほどの量の野菜を詰んだ軽トラが置いてある
やはりか、とため息をこぼす
「おお、善次。帰ったか。」
車庫の奥から父、こと東郷優心が顔を出す
「じゃあ早速野菜を降ろすのを手伝ってくれ。」
挨拶もそこそこに親父は軽トラから荷を次々に降ろす
「親父、俺は夜通し運転して今こっちに着いたばかりなんだぜ?そんな息子に休息を与えるという考えはないのか?」
「お前こそ、半年も顔を見せない息子のためにこうしてわざわざ交流の場をつくってやった両親に報いようという考えはないのか?」
「ないね。交流の場とか都合のいい言葉で息子に重労働をさせようとする両親に対して報いようなんて気持ち、一切一分たりとも思ったりしない。」
しん、と辺りは静まりかえり夏日が雲に隠れ辺りを暗くした
…流石に言い過ぎたか
大学にも通わせてもらって貰って、一人暮らしをしたいという無理なお願いを母を説得までしてくれて通わせてくれた父だ
もしかすると俺がいなくなって本当は寂しかったのかもしれない
「……おや――――。」
謝ろう、と口を開けると同時に親 父はうつ向いたまま右の指をこちらに指してくる
「善次、お前今…。流石にいいすぎたかな?謝ろう…。と思っただろ。」
顔を上げ満面の笑みで見つめてくると大口を開けて大笑いをする父
その笑い声は辺りの山に跳ね返り閉めきった体育館で大声を出したときのように反響する
「あー、笑った。善次、お前はやっぱり名前の通りいいやつだ。」
本当にこの親父は…。
恥ずかしさと少しの怒りが押し寄せるが決して表情には出してやらない。
まともに取り合ったらいつもの父のペースだ
「…わかった。手伝えばいいんだろ、手伝えば。」
俺は顔をひきつらせてそう言った。
荷台から野菜を次々に降ろす
荷台になにもなくなったら親父は他の作物を取りに畑に戻る、その間に俺は作物の袋詰めや箱詰め、形の悪いものは家の分や近所に配る分に仕分けをする
単純作業だがそれゆえの独特の辛さがある
作業は辺りが夕日に染まるまで続いた
「だぁー、しんど。なんか去年よりも量が多くないか?」
「今年はうちから祭りに出す分もあるからな。そら量も多くなる。」
「…その話聞いてないぞ。」
「当たり前だ。言ったらお前、帰ってこなかっただろ。」
「だろうな。でも何でそんな事引き受けたんだよ。いつもはうちじゃねえだろ。」
「今年担当の一条のじいさんが腰を痛めちまってな。そんでうちに話が回ってきたんだよ。」
「回ってきた、じゃなくて親父のことだからどうせまた安請け合いしたんだろ。母さんがさっき愚痴を言ってたぞ。」
「うへぇ、かあちゃんまだ怒ってるのか。」
口ぶりから察するに親父はもう母さんにこってり起こられたらしい
それにしても祭りか、最後に行ったのはいつだったっけか
帰って来たついでだ、久々に見て回るのも悪くはない
「あ、そうそう。明日父さんの墓参り行くからな。運転よろしくぅ!」
「はっ!?運転よろしく、って俺夜通し運転してきてあんまり寝てないんだぞ。無理言うなって。」
「お前がどのくらい運転が上手いか見てみたいんだよぉ。」
親父は腰をくねらせねだってくる
正直言ってかなり気持ちが悪い
うわぁ、と声に出してしまいそうだ
「うっわぁ…。いくら言われても無理だって。」
「じゃあ、こうしよう。今夜将棋をして父さんが勝ったら善次が運転する」
「…俺が勝ったら?」
「母さんに内緒で小遣いをやろう!」
「…親父、俺がどのくらいの歳に見える?そんなことで簡単に釣られる訳がないだろ。」
「そうか?昔は簡単に釣られてくれたのになぁ。だったらこれでどうだ?」
親父は手をパーに広げこちらに向ける
「……百?」
「いや、千。」
「乗った。」
食いぎみに返事をする
「じゃあ、勝負は晩飯を食べ終わった後にな。逃げるなよ?」
「誰が逃げるかよ。今のうちに無くなる五万に別れを言っとけよな。」
親父と共に家の中に入る
母さんの作った料理の匂いが玄関まで漂ってきた
「きっと母ちゃんのことだ。善次が帰って来たからご馳走を用意してくれているぞ。」
「たっだいまぁ!」と勢いよく居間に入る親父
「お帰りなさい。ちょうどご飯ができたところよ。」
居間に入りテーブルに並べられた料理を目にして親父と同様に金縛りにあったかのように体が固まった
「かっ母ちゃん、これは…いったい?」
「善次のことだから向こうではどうせカップ麺とか栄養の偏ったものしか食べてないんでしょう」
そう言って母が用意した晩飯は気味が悪くなるくらい緑色だった
お察しの通り向こうでは料理するのが面倒で不健康な食事を繰り返していたがこれは…
これには親父も高角をしきりにひくつかせる
「さぁ、食べましょう?」
そう言った母さんの顔はとても穏やかなもののように見えたが、うっすらと開けられた目には畏怖を覚えた
斯くして、顔も見せずに実家から逃げようとした息子と祭事を安請け合いしてきた夫に対する復讐は果たされたのである
「「ごちそうさまでした。」」
「はい、お粗末様でした。」
うっ、息を吸い込むと口の中のありとあらゆる野菜の匂いが鼻につく
昨日はあまり眠れなかったし眠気も限界に近づいていた
「俺、もう寝るわ。」
「あらそう?きちんと歯磨きしないさいね。」
「…わかった。」
そう言い残して居間を後にし自室へと向かう
「…あの子、何かしら限界が近づくと素直になるわよね。」
「そうだな。いつもそうだともっと可愛げがあるのにな、もったいない。まぁ、いいか。これで父さんの不戦勝だ。」
「あら?何か勝負でもしてたの?」
「いやなに、善次と明日の運転をするか小遣いを渡すかで将棋で勝負をする約束をしていたんだ。」
「へぇ…そう。小遣いをね。あなたこの前新しい釣竿が欲しいとかで私にお金を借りたわよね。どこにそんな余裕があるのかしら?」
「あ、いや…その。」
階段を上がり懐かしの自室へと入る
母さんが布団を干してくれていたのか太陽にあてられた布団はふかふかですぐに眠りにつけそうだ。
下の階で親父たちがなにやら揉めているようだが、どうせ親父がまたしょうもないことをして母さんの逆鱗に触れたのだろう
何かを忘れている気もするが…ああ、もう…限か、い――――zzz
「――――!」
…誰だ。
「――なさいったら!もう朝よ!」
母さんの声で目を覚ます。
…見慣れたようで見慣れぬ天井
ああ、そうだったな
俺は今、実家に帰ってきてるんだったな
懐かしい感覚だ。昔はよく母さんに叩き起こされていたっけかな。
ゆっくりと伸びをして、
「つっ!よく寝だぁ!?」
なんだ!?
背筋に鋭い痛みが走る
まだぎっくり腰になるような歳でもないぞ?
腰、だけではない。
伸ばした手も開けた口も、体の全体指先に至るまでどこも動かない
「善次!起きてるの!?入るわよ!」
母さんの声が聞こえると固まった体は自由を取り戻す
「おっ、起きた。今起きた、けど。」
「起きたなら早く顔洗って準備をしてね。もうあなた待ちよ。」
「…わかった。すぐ行くよ。」
一体今のはなんだったのか。
とりあえず出掛ける支度だけでも済ませてしまおう。
なんだったのかはわからないが朝から酷い目にあった。
コーヒーでも飲んで気分を入れ換えるとしよう
「ようやく起きたか、この寝坊助め。」
「あ、うん。…おは、よう?」
居間に入り椅子に座った親父を見て目をぎょっとさせた。
「親父…それ、なに?」
「なに、って。ただのコーヒーだぞ。」
「いや、いやいやいやいや。違うよ。その周りの!変なの!」
親父は不思議そうに首を傾ける
見えていないのか!?
わざと見えないようにしているのでもあるまいし
「なぁ…親父。俺、今起きてるよな。」
手で目を覆いうなだれる
「んん?なに言ってるんだ、善次。目を開けて自分の足で立ってる、それに会話が出来てるなら起きてるってことでいいんじゃないのか?」
「ああ…うん。そうだな、俺は起きてる。目を覚ましている。」
「あ、あと善次。昨日の将棋は父さんの不戦勝だからな。今日は運転頼んだぞ。」
「ああ、うん。わかった。大丈夫。」
「…本当に大丈夫なのか?本当に無理なら無理って言っていいんだぞ。」
「いや、大丈夫。目が覚めてる確認ができたからもう大丈夫。」
目は覚めている、夢でないことは確か。
だが、どうしてだろう。
…悪夢が覚めてくれない。
親父の周りを走る奇妙な生き物たち
まるで子供が粘土遊びで適当に作ったような白い人形の何かがてちてちと何匹も走っている
これは夢だ、まだそう言われるほうが用意に受け入れられる
その時、家の呼び鈴がなった
「善次、代わりに出てくれないか?父さんは今、朝のコーヒータイムでな。」
「ああ、わかった。親父は今、動かないほうがいいと思う。」
現実から目を背けるようにしてその場を離れる
「…やけに素直だな。昨日の晩飯に何か悪い物でも入っていたか。」
「あら、昨日の夜ご飯が何ですって?」
「あ、いや…母ちゃん。それはその…。」
居間を後にし戸の前に立つ
深く深呼吸をし、ふと考える
戸を開けたら寝ている状態から目を覚ます、なんて漫画でありそうな展開が起きたらな
なんて妄想をする
だが、現実はもっとありきたりでそしてかつ予想外なものだった
戸を開き玄関の前に立つ人物を見て面を食らう
そこには昨日、ばあちゃんの墓の前にいた少女が立っていた
長い白髪につり目、青瞳。
どこか人間離れした風貌をもつ少女は首を傾げてから訝しげそうな顔でこちらの顔をじっと見つめてくる
呼び鈴を鳴らして呼んだのは君の方だろうという思いをねじ伏せ、どちら様でしょう、と出かかった言葉を生唾と共に飲み込んだ
心臓がばくばくと音を鳴らし奇妙な緊張感が押し寄せる
昨日初めて出会った、言葉すら交わしていない少女になぜこんな懐疑的な目をされ見つめられなければいけない
いっそのこと戸を閉めて今起こっているこの出来事を全てなかったことにしてしまいたい、そう思いすらする
雲に隠れていた夏日が姿を現し煩かった蝉が泣き止む頃、少女はようやくその重たい口を開いた
「お主、優心か?」
「え?いや、違います。」
動揺しつつも咄嗟にでた否定の言葉は普段の話声より大きく向かいの山に木霊した
声に反応したのか再び鳴き出した蝉は先のやり取りを嘲笑うかのように一層煩さを増す
口を開け、呆けた顔をしてお互いの顔を見たまま固まった
きっとこの時から悠々自適な怠惰な生活とはかけ離れたこの不思議な少女との忙しくも騒がしい夏物語が始まっていた