筆頭魔術師の決意
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すべてを思い出すと同時に、頭痛も消えてなくなる。
「自信があったんだけど。大魔導士の魔法を自力で解くなんて、本当にアイリスは底が知れないな……」
「フェリアス様……どうしてですか」
「俺にはアイリス以外は、本当にどうでもいいんだよ。でも、アイリスが守りたいものなら……俺はどんな手を使っても守るって決めてるから。たとえそれでアイリスに嫌われても、泣かれても」
それだけ言うと、フェリアス様は私に背を向けた。
「ずっと思っていたんですけど……どうして、私にそこまでしてくれるんですか」
「この前も言ったよね?婚約者になってくれたら答えてあげるよ……いつかね」
私は、その背中を思わず抱きしめる。
このまま、フェリアス様を行かせてしまったら、もう会えなくなるような気がしたから。
「──それなら、今から私をフェリアス様の婚約者にしてください」
「……アイリス。そんなことを一時の感情で決めてはいけない。アイリスはこれからいくらでも幸せになれるんだから」
一時の感情なんかじゃない。それは間違いない。
だって私はずっと、フェリアス様に会う日だけを待ち焦がれていた。
いつの間にか、悪役令嬢という運命から逃れるよりも、自由に動ける時間にフェリアス様と過ごすことができる方が私の中で重要になっていた。
「ずっと、好きでした。フェリアス様に会えることだけが、私が生きている中の救いだったから」
「アイリス……初めて会った日を君は覚えていないのだろうけど」
でも、たぶん私はその答えに行きついている。
だって、私が自由に動ける場面にはいつも、フェリアス様がいたのだから。
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7歳になった私は、すべてを諦めて過ごしていた。
生まれてすぐに、私は自分が悪役令嬢アイリスとして転生したことに気が付いた。
でも、自由に動くことができず、ただ決められたとおりに動く身体。それをただ眺めるだけの日々だったから。
まるで、目の前で起こっていることを画面を通してみているように感じていた。
だんだんと、世界は色を失っていった。
そんなある日、私は婚約者である王太子に会いに行くため一人馬車に乗っていた。
道路の端に、黒い髪をした一人の少年がうずくまっている。
それを見た時、今までにないくらい心が揺れ動くのを感じて、私は思わず御者に馬車を止めるように命じていた。
思った通りに声を出すことができたのも、思った通り動くことができたのもこの世界に生まれて初めてのことだった。
御者が止めるのを振り切って、私はその少年のそばに近寄る。
少年の周りには冷たい冷気。地面には霜が降りている。以前に私が陥った魔力暴走にとてもよく似ていた。
「危ないです。離れてください……」
熱に浮かされたように潤んだ瞳の少年は、それでもはっきりと私に言った。
こんなときに普通なら人を案じる余裕なんてないことを、動くこともしゃべることもできなくても実際に経験している私にはわかっている。
私は、自分がその状態になった時に来てくれた魔術師をまねてその少年の頬に手を当てる。
目を瞑ると、はっきりと魔力が少年の体の中で渦を巻いて荒れ狂っているのがわかった。
私の周りには強い魔力を持つ人が多い。それでも今までこんなに強い魔力を持った人を、私は見たことがなかった。
少しずつ魔力を流していく。私の魔力を穏やかに流し込んで、代わりに少年から魔力を吸い取っていく。
「あ……」
なぜだろう。少年の絶望が、驚愕、そしてなにかとても熱い思いが伝わってくる。
なぜだろう。彼をこんなにも救いたいと思うのは。
魔力暴走を抑えるのは、相手の力が大きければ大きいほど命がけなのだと聞いた。それでも、この時の私は命をかけてもいいとまで思っていた。
それに魔術師は言っていた。魔力の親和性が高くなければ弾かれてしまうのだと。
でも、荒れ狂っているはずの、少年の魔力は私の中に入ると、月の映る湖面のように静かに凪いでいった。偶然にも私と少年の魔力の親和性は高かったようだ。
どうして私は、悪役令嬢の中に生まれ変わったのか不思議に思っていたのに。
きっと、今この瞬間のためだったのだとすんなりと信じることができた。
まるで、私と彼の魔力が混じり合って、一つの流れになるような、それはとても不思議な感覚だった。
フードを深くかぶった少年。少しだけ見えている黒髪は、帰ることができない故郷を思い出す色合い。
「名前を……教えて頂けませんか」
「アイリスよ。あなたは?」
「……俺は。ところで、なぜアイリスの存在はそんなにも揺らいで」
「──私、なぜこんなところに。なに?あなた何を見ているの」
あなたの名前はなんていうの。
フードを深くかぶっているから、顔もよく見ることができなかった。
私は、聞きたかったのに。
でも、私はもとの悪役令嬢に戻ってしまった。
興味をなくしたように、馬車へと戻っていく私の体。
彼に危害を加えることが無かったことだけがせめてもの救いだった。
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あのフードをかぶった少年は、フェリアス様だった。
今ならそれがわかる。あれから、あなたは私が自由になる度に、必ず傍にいてくれた。
「なんで……別れ際の印象なんてとても悪かったと思うのに」
「アイリスが言ったのではないことなんて、すぐにわかったよ。アイリスに理由があるだろうことは」
「じゃあ、いつも私が自由になった時だけ会えたのは」
「分かるよ。アイリスの事ならなんでも。君に救われた日から、俺のすべてはアイリスのためだけに存在していたから」
抱きしめていた腕に、そっとフェリアス様の指が絡んだ。
「覚えていてくれてありがとう。これで、心置きなく行くことができる」
「フェリアス様。いったい、何をしようとしているんですか?!」
でも、私にもすでに予想はついている。
だって、私を第一にというのなら、きっとこれからフェリアス様がすることなんて一つしかない。
「アイリス……俺と婚約してくれるなんてうかつなことを言ってはいけない。自分でもどれだけ冷酷で酷い人間が理解している」
「フェリアス様は、初めて出会った瞬間から優しかったじゃないですか」
フェリアス様は、私の腕をそっと外すとこちらへと向き直ると、困ったように微笑む。
頬に寄せられる大きな手。大好きなフェリアス様の魔力。
二人の魔力が、あの時のように混ざり合って一つの流れを作っていく。
「負けたら世界がなくなってしまうけど。それでもアイリスだけは守って見せるから」
「どうしてですか。私さえ役割に殉じれば」
「もう遅い。王太子は廃嫡になったし、あの聖女は修道院へ行った。できればこの後の処理が終わるまでは、思い出さないで欲しかったけれど」
「──え?」
もうすでに、物語はバッドエンドに向けて取り返しがつかないところまで進んでしまっていた。
私が何も出来ない間にまたしても……。
「アイリス……大丈夫。君が恐れているようなことにはならない。だって、そのための力だから。権力に興味ない俺が、なんで筆頭魔術師まで上り詰めたかわかる?」
私は、全身の血液が凍るような感覚を覚えながら、それでも小さく首を振った。
「アイリスがこんな目にあっているのはなぜか、情報が欲しかった。でも、その情報は厳重に秘匿されていて、王家と神殿のごく一部にしか知らされていなかった」
「フェリアス様……」
「魔人がこの世界に来る扉を塞ぐために、神々は最も強く聖なる力を持つ乙女の悲劇的な死を対価に望んだ。歴史の中で何度も繰り返されてきた乙女の選定。ここまでつかむまでに、ずいぶん出世してしまったよ」
聖なる力を最も強く持つ乙女……それって聖女ではないの?
「……扉が開く時期に重ならなければ、聖女に選ばれたのはアイリスだっただろう」
思っていた通り、私が自由で動けず役割を殉じなければいけなかったのも、この世界に生まれたのも、すべてバッドエンドへの扉を閉ざすため。
「すべて、神々が対価に求めたものだったんだろうね……俺はそんなの絶対ゆるさないけど」
「フェリアス様……」
「アイリス。この手を取って俺を選んで?そうすれば魔人は俺が倒してあげる」
私には残された選択肢がない。この手を取る以外の選択肢が。
あなたを先行きの見えない戦いへと向かわせてしまう選択肢しか。
頬に添えられたフェリアス様の手に、震える私の手を重ねる。
「フェリアス様……」
「夢みたいだ……。そうだ、アイリス。今日はこのまま、二人で出かけよう?」
フェリアス様の笑顔は、本当に幸せそうで。
こんなに嬉しそうなフェリアス様を初めて見た。
どうしてそんなに嬉しそうに出来るんですか?
その言葉を飲み込んだ私は、その手に引かれて街へと出かけることになった。
誤字報告いつもありがとうございます!