最終回 その腕の中が帰る場所だから
海底神殿は、相変わらず青い光と静寂に包まれていた。
「師匠さん……本当にここに」
「もう一つあったんだけど、どこかの誰かが無理やり閉じて壊してしまったから」
ちらりと、犯人を盗み見る。
私を守るためとはいっても、どうやって閉じたというのだろうか。
無茶をしたに違いない。
「アイリス……望むならここの扉を俺が、破壊する」
「根本的な解決にならないうえに、フェリアス様、命がけですよね? 結構です」
図星だったらしいフェリアス様が、私から視線を逸らした。
いくら、大魔道士を襲名したからって無理はいけません。
「アイリス……ここに扉があるの」
そこには、空になった透明の箱が残されていた。
それは、いつか見たリーティアさんが眠っていた場所で。
「――――ここで、守っていたんですか」
「そうね。できれば、影響は少なくしたかったから」
ほほ笑むリーティアさんは、私とそっくりの見た目だから、まるでお姉さんみたいだ。
きっと、ロイがなつくに違いない。
「――――じゃあ、扉を出現させるから」
進み出たまーくんは、いつになく真剣な表情だった。
その顔は、覚悟がにじみ出ている。
「なあ、アイリス」
「――――まーくん?」
「ロイには、うまく言っておけよ」
「え……?」
その瞬間、青い光を塗り替えてしまうような、紫色の光が神殿内を満たした。
その光のせいで、まーくんの姿はかき消えてしまう。
「えっ? どうして」
「アイリス……元の世界に帰るだけだから」
「えっ?!」
フェリアス様に助けを求めるのに、すでに予想していただろう苦々しい表情が見えただけだった。
ロイの顔が浮かぶ。
「――――あいつは強いから、平気だ」
「そっ、そんな」
まーくんの覚悟を予想できていなかった私は、バカだと思う。
周りを見渡してみても、その覚悟を理解していなかったのは私だけだ。
「まぁ。もともと、リーティアを探しに来ただけだ。目的は達成したからな」
まーくんは、そのアメジストみたいに輝く瞳を細めた。
だからって、あんなに二人はいつも一緒にいたのに。
扉が現れる。
「そんなに持たない。早くしろ、アイリス」
「でっ、でも!」
「フェリアスに任せるか? お前だけだ。無傷に扉を開くことができるのは」
「……ふぇ」
私は泣きながら、全力で金の魔力を使って魔法を使い扉を開く。
「――――ラウル」
「ああ、行こうかリーティア」
「ええ、あの世界なら、少しは長く一緒にいられるわ」
「それは……最高に幸せだな」
扉が開いた瞬間、一番近くにいたまーくんの姿が朧げになる。
「……ロイ」
まーくんが呟いたのは、たぶん友人であり、大事なその名前。
「――――僕も行く」
その瞬間、私の後ろにいたのは、かわいい弟だった。
「え?」
フェリアス様が、苦笑いしている。
「ごめんね、アイリス。でも、やっぱり……」
「ロイを……呼び寄せたんですか」
「――――ごめん、また沈んでしまうな」
師匠さんとフェリアス様の魔法は、この神殿を沈めてしまう。
あっという間に、海水がひざ下まで満たされる。
「――――ところでさ」
ラウル師匠が、その蒼い瞳を三日月に細めた。
そして、まーくんのことを勢いよく突き飛ばした。
「愛しいリーティアとの逢瀬に、義弟はちょっと邪魔なんだよね?」
「……あっ、ラウル、お前っ!」
前のめりになったまーくんの手を、ロイの小さな手がしっかりとつかみ取る。
「――――僕を置いていくなんて許さない。ずっと、手伝ってくれるって言ったよね? マーリン」
「ちっ……、やっぱりどこかアイリスの弟って感じだよな」
振り返ると、笑った師匠さんが私に手を振った。
「俺は、リーティアと一緒にいられるだけの時間しか必要ないから」
「――――師匠さん」
私には、それを止めることができない。
だって、もしも同じ状況だったら、私も迷わずその選択をしそうだから。
「なあ、今度は許してくれるだろう? 一緒にいたいんだ……リーティア」
「仕方のない人ね。私たち姉弟が元の世界に戻れば、それで済むのに」
「無茶な魔法を使ったって、きっとリーティアに残された時間くらいは、俺にも残るから。一緒にいさせてよ……」
「――――ええ。今度こそ、最後まで」
二人の笑顔を見ながら、私は始まりの扉が閉まっていくのを見た。
それと同時にほどけていくのは、私をとらえていた鎖。
その瞬間、たしかに悪役令嬢アイリスの存在は、私の中で確かな記憶に置き換えられていく。
その中にいた時間が、私の過ごした時間であるように。
「フェリアス様は、私が変わってしまっても、好きでいてくれますか」
「――――どんなアイリスのことも愛しているよ」
「よかった」
前世の記憶が、今の記憶の中に消えていく。
私は、確かに公爵家令嬢アイリスだ。
そして、目の前にいるこの人は……。
「ずっと、好きです。大好きな私の」
そう、目の前にいる人は、やっぱり私の大好きな、婚約者だった。
抱きしめられる、温かい腕の中に、たぶん私はようやく本当に帰り着いたのだから。
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