魔人の姫と悪役令嬢
私たちの様子を、黒いうさぎのぬいぐるみが沈黙を守ったまま見ていた。
いつもだったら、私たちの甘い空気に一言物申すだろうに、今回に限って空気のように一言も言葉を発しなかったから、気がつかなかった。
「まーくん……?」
「俺は、少し出かけてくる。悪いが、ロイにも伝えておいてくれ。しばらく帰れないから、無茶するなと」
「え……どこへ行くの」
「姉と義兄のとこ」
まーくんが、時々話してくれた情報からすると、姉と言えば……。そして、その旦那様と言えば。
「えっ、ちょっとまって!」
転移魔法を発動したらしい光を纏う魔人うさぎの手を思わず握る。
その瞬間、なぜか私まで光に包まれてしまった。
「――――うぇ。ついてくるのかよ……。波乱の予感しかしない」
紫色の光が消えて、気がつくと目の前にラウル師匠がいた。
そして、その腕の中には空色の瞳を開いたリーティア、あるいはレナスが。
「起きている……」
「アイリスちゃん? 良くここまで来れたね。ああ、マーリンが連れてきちゃったのか」
「連れてきたんじゃなくて、ついてきたんだよ!」
「ふーん、ということはもうすぐフェリアスも来るな」
目の前にいる女性は、何度も夢の中で会った人だった。
そして、鏡の中から私に話しかけてきた人。
「――――あの」
ふらふらと、引き寄せられるみたいにその場所へ近づいていく。
「ラウル……起こしてくれてありがとう。でも、起きたからと言って、私にあまり時間がないのは分かっているわよね?」
「っ……本当に、もう手立てはないのか?」
「あの世界の扉、完全に占めるために私は存在するのだもの。もう一度その機会が与えられて、しかもラウルに会えたのが奇跡だわ。……本当は私が、レナスだったら良かったのだろうけれど、レナスは」
「――――レナスとは確かに、婚約者として過ごしていたけれど、俺がレナスのことを愛していると思ったのは、リーティアに変わってからのことだ。俺が愛しているのは、リーティアだけだ」
二人はすれ違っていたのだろうか。
海底神殿が沈んでしまった時も、あんな冷たい瞳をして、それでもリーティアを抱きしめていた師匠さん。
「――――私が、こうやって目が覚めることができたのも、子どもたちのおかげね」
「……あれから、何世代も経っているのに、アイリスは君にそっくりだ」
「そうね、その魔力に引かれて夢の中で何度も会っていた」
私は、リーティアさんのそばに跪いた。
まるで小さい頃に儚くなった、お母さんが目の前にいるみたいだ。
私たちは、淡い金色の髪の毛も、空色の瞳も、そして魔力の色さえも同じで。
「――――レナス、お帰り」
「え……?」
「私が、レナスと一緒に魔人の世界との扉を閉めた時、あなたはほかの世界に飛ばされてしまったの。でも、私にはわかるわ。あなたは帰ってきたのよね」
レナスが、私? えっ、記憶にないですけど?
「あの扉が開くと、魔獣が活性化する。魔人の世界の人間が、全て悪い人というわけではないの。ただ、他の世界とこの世界が混じり合ってしまうから」
「――――だから、私はこの世界に」
「そう、奇跡的にね? たぶんそれは、私たちのもう一人の子どもと出会うためだわ」
そういえば、過去に扉が開いた時に、シェラザード公爵家の令嬢を生贄にするのを良しとしなかった騎士。
二人のその後は、どうなったのだろうか。
私は、思わずシェラザード公爵家の当主と嫡男しか入ることができない図書室の奥で読んだ、魔獣のすべてを屠ったという騎士と公爵家の姫の物語を思い出していた。
「――――え? 市井に降りた二人の子孫がもしかして」
「……白銀の魔力なんて、ラウルから継承しない限りあり得ないわ」
そうだったの……。
だから、こんなに私たちは惹かれあってしまうのだろうか。
そして、どこか懐かしい空気を師匠さんから感じていたのも。
「――――扉を二人で完全に閉めて。このままでは繰り返してしまうから」
「二人で……?」
「あなたたち二人ならできるはず。私たちが力を貸すわ。ねっ、ラウル、付き合ってくれるかしら?」
「――――俺が、君の願いを断ることは出来ないって、知っているくせに」
私は一体、何を見せられているのだろうか。
いつも、私とフェリアス様はここまでは甘くないのだと、そう思いたいけれど。
「姉と義兄の甘い空気は、アイリスとフェリアスで慣れていても、さらに居た堪れないな。俺も協力するからなっ」
いつの間にか、白銀の髪とアメジストの瞳の少年の姿になった、まーくんがそんなことを叫ぶ。
「あら、マーリン。ずいぶん大きくなったわね?」
「――――つい最近まで魔人の世界にいたから、俺にとってはそれほど時間は過ぎてないんだが」
「そう? でも、精神的に成長したみたい。誰か唯一の人でもできた?」
「っ……そんなのいない!」
困ったことに、まーくんの唯一の人が一人しか思いつかない。
まさかね? 私は、その想像を慌てて心の奥底にしまい込んだのだった。
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