婚約解消と謝罪と膝枕
✳︎ ✳︎ ✳︎
王宮では、すれ違う人たちすべてが驚いたようにこちらを見つめ、フェリアス様に睨まれては慌てて去っていくことの繰り返しだった。
断罪されたはずの元公爵令嬢が魔性レベルの美貌の筆頭魔術師を伴って現れれば、誰もがそういう反応をするだろうと私は納得する。
「3秒以上アイリスを見た人間は、絶対忘れない……」
フェリアス様が、冗談なのか本気なのかわからないことをほんのり薄暗い表情でつぶやく。
そんなの気にしていたら人混みを歩くこともできないけれど?
そもそも、今の私はそれどころではない。公爵令嬢としての姿を見てきた経験から前を向いて貴族の笑みを張り付けることができているが、実践は初めてなのだ。フェリアス様のエスコートが無かったら、すぐにボロを出してしまいそうだ。
きっと、私の緊張を解してくれようとしているのねと、私はそう思うことに決めた。
「ああ、そういえば。アイリスをシェラザード公爵家から勘当するって話。あれ、なしになったから」
「え?どういうことですか?」
「あと、王太子と話すなって言ったけど、王太子が謝罪する間だけしゃべることを許すから」
「え?ガイアス殿下が謝罪ってどういうことですか」
王族が謝罪するなんてありえない話だ。それは、そのまま王族の権威失墜につながる大事件だ。
「あんな奴を名前で呼ばないでほしい……」
なんだか実際に周囲の温度が下がって言っている。
魔力が暴走しかけた時の前兆にとてもよく似ている気がする。
いや、そこまでフェリアス様の心が乱されるような発言しましたか私?!
「これからは、名前で呼ぶ男は俺だけにして欲しい。それが嫌なら俺の事をフェリアスと……」
「フェッフェリアス様の事しか名前で呼びません!王太子殿下のことも決して呼びません!」
「──うれしいな。アイリス……」
良かった!周囲の温度が元に戻った。なんだか、フェリアス様の地雷は、簡単に踏み抜ける場所に設置されすぎな気がする。
予想が難しくて避けるのは不可能かもしれない。
「さ、行こうか。本当に誰よりも美しいから自信をもって、アイリス」
その言葉に気を取り直した私は胸を張る。そう、私はそもそも悪いことは何一つしていない。
貴族の責務を正しく遂行しただけ。そしてこれからは、力も手に入れて実行して見せる。
そう、心に決めた私を優しい瞳でフェリアス様が見つめる。それだけで、何も怖くない気がした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
扉が開かれて私たちが入場すると、会場が静まり返った。誰もが、私たちから目が離せない様だ。
いや、めったに公の席には姿を現さないフェリアス様のあまりの美貌に目が離せないのだろう。
それとも似合わないドレス姿だと思われているのだろうか。
「アイリスは誰より美しい、自信を持って」
その言葉で思わず丸めかけた背中を伸ばす。
一歩進むたびに、柔らかな素材を重ねて作り上げられたドレスが揺れる。おそらく身につけられた装飾品も、七色に輝いているだろう。
信じられないとでも言いたそうな王太子と目が合った。そして、ドレスの色が私とかぶっているヒロインのミーナがなぜかこちらを食い入るように見つめている。
王太子が何か言いたそうに口を開きかけた瞬間、フェリアス様が間に入って私の視界を遮った。
「あんな風に今更アイリスの美しさに気づいてももう遅い。あんな奴らには見せたくない。それに、俺以外をあんなふうにじっと見ないで……」
「ふええ?!な、なに言ってるんですか」
その時、国王陛下が会場に現れた。私は慌てて最上級の礼をとる。なぜか、フェリアス様が礼する様子がないのが気になるけれど……不敬だけど大丈夫なのだろうか。
「アイリス・シェラザード、筆頭魔術師フェリアス前に」
まさかの国王陛下の御前に呼び出されてしまった。もう後には引けない。
断罪でも破滅でも、最後に思い出をくれたフェリアス様に感謝して覚悟を決めることにする。
「シェラザード公爵家アイリス御前に参りました」
「……アイリス嬢。此度は息子の不始末を許して欲しい」
「えっ?!陛下!」
なぜか陛下が、玉座から降りて膝をついた。あってはならない展開に、全身の血の気が引いていく。
王族は不用意に謝ってはならない。そんなの当たり前のことなのに。
「筆頭魔術師……いや大魔道士フェリアス殿。どうかこれでご容赦いただけぬか」
「婚約破棄ではなく解消にしてくださいよ?アイリスが許すなら、それで俺には異存はないです。どうする、アイリス?」
ふ……不敬!いや、でも陛下が今、なにかとてつもない単語を発しなかったかしら?
大魔道士……とか。
「あっあの」
「ん?やっぱり王都ごとなかったことにする?」
「ひぇ?!いや、許します!許しますから!!」
「アイリスがそう言うなら許す。俺の手に漸く貴女が堕ちてきたことだし、俺は個人的には感謝しているくらいだ。だが、王太子とその女は別だ」
私は今でも誰かを追い落とすとか復讐するとかしたくない。
私はとても中途半端で、貴族社会で生きていくのは向いてない。
でも、私はきっと、そんなふうに冷たい顔をしたフェリアス様より私の隣で優しく笑っているフェリアス様が好きだ。
「──フェリアス様」
「……そんな目で見ないで。こんな運命はここで終わりにしておいた方が良いんだよ。アイリスがこれ以上危険な目にあわないように」
フェリアス様の体に高濃度の魔力が集まっていく。
こんな濃度の魔力が放たれたら、誰にも太刀打ちできない。
光がフェリアス様の指先にあつまる。
私は防御の術を持たない。少しの回復魔法が使えるだけ。それでも、フェリアス様は私を傷つけないと約束してくれた。
私は王太子とミーナの前に走り込んだ。
「約束通り、私が止めるから!」
時間が止まったみたいに感じた。周りを見ると、実際に誰も動いていなかった。
俯いたままのフェリアス様が、手元にあった光の塊を握りつぶすと、それは弾けた後キラキラ瞬きながら消え去った。
フェリアス様と私だけがその時間の中に取り残されている。
何か言わなくては、と思った途端に時間が動き出す。
「王太子殿下、冤罪の件アイリスに謝罪して頂けますよね?」
「……すまなかったアイリス」
「──いいえ、今までの私にお付き合いいただきありがとうございました。どうかお元気で」
「君はいったい……」
私は王太子からのその質問には答えずに踵を返した。目の前には少しだけ俯いたフェリアス様がいる。
「──ごめん、君を傷つけたくないのに。アイリス」
「フェリアス様を信じていたから大丈夫。……帰りませんか?」
フェリアス様の大きな手が、愛おしいとでも言うように私の頬に触れる。
次の瞬間には部屋に戻り、ソファーに座っていた。
時間停止も瞬間移動も不可能と言われているのに。
「あの……フェリアス様」
「なに……俺のこと怖くなった?でも、逃してあげられないよ」
うつむいたままのフェリアス様。その表情はたぶん……。
「私、逃げません。どうして逃げるって思うんですか」
「俺はアイリスだけいればいい。でも、それが歪んだ感情なことくらいは知っているから」
私は思わず、フェリアス様の頭を撫でていた。
いつかしたように。
……いつか、したように?
「それよりも、立て続けにこんな魔法使って大丈夫なんですか?」
そう声をかけると、うつむいていたフェリアス様がやっとこちらを見てくれた。
その顔色は蒼白だった。さすがに無理があったのだろう。
「……少し眠れば大丈夫」
でも、大丈夫という感じではない。しっかり立っているけれど、やせ我慢だと思う。
「心配なので、ここでちゃんと休んでいってください」
「は……?え?なに言ってるのかわかっている?アイリス」
そう言った私を、咎めるような目でフェリアス様が見つめる。
「なに言ってるって、絶対ちゃんと休まないでしょう?!」
沈黙が流れる。でも、放っておいたら絶対にフェリアス様は今回の事後処理に行ってしまう。
これはもう、間違いない。絶対に間違いない。
なぜか、前にもこんなことがあった気がする。無茶な魔法の使い方をして、蒼白になってもやせ我慢をする人を知っている気がする。
「お願いですから……休んでいってください」
「断れないの、知っているくせに。でもそういうのってさ……」
フェリアス様は言葉を途中で切って何か言いたそうにしたが「ま、いいか。お言葉に甘えるよ」と、小さく首を振ったあと、ソファーに座る私の膝に頭を乗せて寝ころんだ。
「え?」
膝枕するとは言ってないんですが?ベッドに寝てくださいって思っていたのですが?
でも、目を瞑ったフェリアス様はすぐに寝息を立て始めてしまった。
もう、今更ダメとはとても言えない。
「昔から、無理ばかりして仕方がない人……」
思わず口から出た言葉に少しの引っ掛かりを感じたけれど、疲れていたせいか私もすぐにソファーにもたれて眠ってしまった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
『☆☆☆☆☆』からの評価やブクマいただけるととてもうれしいです。