魔人と生贄の聖女
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暗闇と生暖かい風。どこかで川が流れるような音が聞こえる。
「もう君は笑ってくれないの」
長く伸びた銀髪に、柘榴石のような怪しく光る赤い瞳。
私に手を差しのべる人。
「誰……?」
「この手を取って?次の時は、必ず食い止めて見せるから。すべてが終わるまでそこで見ていて」
その言葉と声はとても悲しそうなのに、なぜかその表情は狂気に濡れて微笑んでいる。
それはたぶん、私が悪役令嬢アイリスとして生まれる直前のことだった。その後の記憶はあいまいで、気が付いた時にはアイリスとして生まれていた。
そして、私の自由は奪われた。
「あいつの目を見たらだめだ。アイリス!また出てこられなくなる」
赤い瞳から目が離せなかった私は、その声に振り返る。
私の後ろから手を引いていたのは、銀の髪に紫水晶のような瞳をした気の強そうな少年。
声は違うけど、この人たぶん……。
頬にぺしぺしと当たる、モフモフとした手触りとともに、私は目を開ける。
「やっと目が覚めたか……」
目の前には魔人うさぎがいた。なんだかとても、怖い夢を見ていたような気がする。
なんだか、夢のせいか汗で体がべたべたする。
「ここまで影響が出ているなんて。見つけられてしまったみたいだぞ、フェリアス」
「何とでもしてみせる……それよりお前、気安くアイリスに触れるな」
「──本当に心が狭いな。助けてやったのに……。こんなのが相手でいいのか?アイリスは」
可愛い声で私に話しかける魔人うさぎ。
明らかに、あの人が私が悪役令嬢を演じることになった元凶だと思う。
顔も見たことがないし、全く身に覚えがないのだけれど。
「まーくん。さっき、夢の中に出てきた人って」
「──はぁ。まあ、覚えているよな?あれが、以前この世界に来た魔人だよ」
「あと、もう一人は」
「……俺だけど」
「まーくんって、美少年だったんだね」
そう言ってみると、魔人うさぎが短いモフモフの手で顔を隠して震えはじめた。
「アイリスの無自覚攻撃!でも、フェリアスの聞いてるところではやめてくれ」
「え?どうして」
ちらっとフェリアス様を見ると、周囲が凍り始めている。笑顔なのに、魔力のせいですぐに内心が駄々漏れになってしまうの、不便じゃないのかな?
「うーん、でもやっぱりフェリアス様の顔が一番好きだな……」
思わず本音がこぼれてしまった。その懐かしい気持ちになる黒い髪も、夜の星空のような深い蒼の瞳も、整った顔立ちも……好みのど真ん中すぎて、これ以上に好きになれそうな顔なんて想像もできない。
「勝手にやってくれ……」
魔人うさぎが、誰もいないベッドに飛び込む。
「アイリスにそう言ってもらえるなんて、この顔に生まれてよかったと心から思うよ」
そう言って微笑むフェリアス様の魔力は、無事安定したようだ。本音とはいえ、私の羞恥心と引き換えに魔力の暴走を抑えるのツライ。ほかの方法はないものだろうか。
「フェリアス様……私」
まったく覚えがないのに、あの魔人からはなぜか私への強い執着が感じられた。
たぶん、私のこと以外何も見ていない。
それはフェリアス様も同じなのかもしれないけれど、たぶん私が望む望まないにかかわらず私の大切なものを簡単に壊されてしまいそうな予感がした。
私の大事な人も……。壊されてしまう?
「心配しないで、アイリス」
フェリアス様はそう言ったけれど、魔人うさぎに乗っ取られてしまったじゃないか。
それに、魔人うさぎに胸を貫かれたじゃないか。
たぶん、あの魔人はまーくんよりもよっぽど強い気がする。
「……なんだか、失礼なこと考えてるだろ?悪いけど、俺はあいつに負けてなんていないんだからな!」
声がする方を見ると、表情は変わらないけれど怒ったことを全身で表すように、魔人うさぎがベッドの上で飛び跳ねていた。
まったく強そうに見えない。可愛いだけだ。
「くそっ!フェリアス、いざとなったらこの魔法解いてくれよ?!お前の命と引き換えに一緒に戦ってやるから!」
「え……それ、フェリアス様にとって利点ないんじゃ」
「フェリアスを殺すのは俺だけだ!もちろん、共通の敵を倒した後は命を頂くに決まってる」
なんだろう。魔人うさぎはツンデレなのだろうか。
それとも本当にそう考えていて、魔人の世界ではそういうのが一般的なのだろうか。
ちらりと横目に見たフェリアス様は微笑んでいて、まったく怒っている様子がない。さっき、私がつい失言してしまった時とは天と地ほど差がある。
やっぱり、フェリアス様の地雷が理解できない。
黙ったまま、フェリアス様はベッドに座る魔人うさぎの耳をもって持ち上げる。
そしてその耳元に顔を近づけた。
「そうだな……。どうしてもの時には、頼むかもしれない。その時には俺の命なんて好きにしていい」
フェリアス様が何を言ったのか、こちらまで聞こえなかったけれど、なんだか予想がついてしまって嫌だ。頬を膨らませる私に、魔人うさぎが視線を向けた気がした。
「はぁ、フェリアス。お前にそんなんで勝ってもまったくうれしくない!だが、魔人がやらかしたことは俺も責任感じるから手伝ってやる!手遅れになる前にちゃんと言えよ!?」
「──そうだな。お前はアイリスに手を出さないことだけは信用している。その時には頼む」
「ふ……ふん!!」
なぜか私の運命は周囲を巻き込まずにはいられないようだ。
それでも、あの赤い瞳が目に焼き付いて離れない。
ぼんやりとしてしまった瞬間、フェリアス様が信じられないくらい顔を近づけてきた。
「俺以外、想像できないようにしたい……。もっと、俺のことを見て」
フェリアス様が私の心の奥まで射抜いてしまいそうに見つめた後に、瞼を閉じて口づけをしてきた。
前回のは、人工呼吸みたいなものだと心の中で言い訳していたのに。
その言い訳も、もう使えない。
──フェリアス様のまつ毛……長い。
そんなことを思って、恥ずかしさに私も目を瞑る。
こんなことされたら、フェリアス様のことしか考えられなくなってしまう。
私の胸の中に重くのしかかる不安は、今この瞬間だけすべてフェリアス様で塗り替えられた。
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