大魔道士の師匠
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フェリアス様が魔法をかけてくれた氷のような薔薇はそっと枕元に飾った。フェリアス様が、私の瞳のようだと言ってくれた淡い水色の薔薇。
贈ってもらった髪飾りを、ルシアに渡してほっと息をつく。公爵家にいると、どうしても自分の自由に動けなかった日々を思い出してしまう。
それにしても、よく考えてみれば私の体を動かしていた悪役令嬢はいったい何だったのだろう。
……私は本当にアイリスなのだろうか。
もしかしたら、悪役令嬢アイリスの体を奪ってしまったのかもしれない。
そんな考えがふとよぎって背中がひんやりとするのを感じる。
「アイリス……」
「フェリアス様?」
いつも、急に現れるフェリアス様。フェリアス様にとって、この部屋の扉はあまり意味をなさないと思う。転移魔法で瞬間移動してくることが多いから。
そっと、私の髪に触れそのまま髪へと口づけをするフェリアス様を、私は熱を持った頬のままじっと見つめる。
「……俺が好きなのは、今のアイリスだけだから」
「フェリアス様?」
まるで、私の不安を見透かしたようなことを言うフェリアス様。
私の心臓が、トクンと音をたてる。
「少しドレスを脱ぐのは待ってもらえる?会わせたい人間がいるんだ」
ふわりと、フェリアス様のマントを肩にかけられて、気が付くと満天の星空の下にいた。
そしてなぜか、ちゃっかり私の背中に魔人うさぎがくっついてきた。
「ここは、俺の秘密の場所なんだ。アイリスに会えない毎日を過ごす時、自分に負けそうになるとこの星空を見に来ていた」
「……フェリアス様」
フェリアス様が一人で見ていた星空を、一緒に並んで見られるなんて、まるで奇跡のようだと思う。
私の望みがまた一つ叶ってしまった。
でも、さっき確かに会わせたい人がいるって聞こえたような?
「やあ、フェリアス」
低い男性の声がした。振り返ると、大人の色気を感じるフードをかぶった黒い髪の男性が立っていた。
「気配を消して近づくなんて相変わらず趣味が悪いですね……師匠」
「自分の事を棚に上げてよく言う。ところで、そちらのお嬢さんがフェリアスの眠り姫かな?」
視線を向けられた私は慌てて淑女の礼をする。
筆頭魔術師で、大魔道士の師匠って……。
「──眠り姫はずいぶん、複雑な魔法をかけられているな」
「師匠でも複雑だと思いますか」
「ああ……。今は、魔法は動いていないようだが……。これは人間のかけた魔法ではない。」
私にかかっている魔法なんて、たぶん一つしかない。
その魔法のせいで、私の自由はなかったのだろうか。
「あれだけ命がけで大魔道士を襲名したんだ。愛しい姫が手に入って良かったな? 俺も可愛い弟子が幸せそうで嬉しいよ」
「──やめてください」
フェリアス様が命がけで大魔道士に……?
私の知らない間に、フェリアス様はやっぱり命をかけていた。
すぐ近くにいるから、月と星の光でさえ、フェリアス様の耳が赤くなっているのが見えてしまう。
時々見せてくれるそんな姿が、私をどれだけ有頂天にしてしまうか。
きっとフェリアス様は知らない。
「それで、これからどうするんだフェリアス」
「魔法を完全に解く方法を探します」
「──このままでも、魔法はもう動かないかもしれないのに?」
「それでも、アイリスがまた眠ってしまうかもしれないなんて耐えられない」
その言葉を聞いた、男性が私の目の前に来て、私の瞳をのぞき込んだ。
まるで瞳の先の心の奥まで見透かされてしまうようだった。
「アイリスちゃんは、どこから来たのかな?」
「え……?」
「ここではない場所から来たんでしょ」
「──っ」
この人は知っている。私がここではない遠い場所から来たことを。
「たぶん、アイリスちゃんが自由にならなかったのは、この世界にアイリスちゃんを連れてきた誰かのせいだ」
「……この世界に、私を?」
「──その誰かのせいでアイリスはずっと苦しんできたということか」
「ああ、だけどその誰かが居なければ君たち二人が出会うこともなかった」
どこか悔しそうに、フェリアス様が師匠と呼ばれる男性に目を向ける。
たしかにそれは事実だ。私がこの世界に来なければ、フェリアス様と出会うこともなかった。
「俺はその魔法嫌いだな」
「え……まーくん?」
この機会に、そっと心の中で決めていた魔人うさぎの呼び名を声に出してみる。
慌てたように、魔人うさぎが短い手をパタパタ動かした。今日も可愛い。
「なんだよ、まーくんって?!」
「魔人うさぎって長いでしょ」
私の背中から飛び降りる魔人うさぎ。
その短くフワフワの両足で立つと、魔人うさぎがフェリアス様を見つめる。
「それで、何か知っているのか」
「ああ、だってアイリスを操っていた魔法、魔人の魔法だから」
フェリアス様に抱き上げられた魔人うさぎが言葉を続ける。
「……そして俺の前にこの世界に来ることができた魔人は一人しかいない。あんたなら知ってるんじゃないのか古の大魔道士ラウル様?」
──大物出てきた!
古の大魔道士と言ったら、歴代最強の魔術師で伝説の存在のはず。
伝説の存在のはずなのに、生きていたの……?
それに、魔人うさぎの前に来た魔人って……。
「……魔人は聖女だけは手を出さないはずだ」
「──魔人は基本聖女には手を出さないさ。だが例外もある。それが聖女のためだと信じていたのかもしれない」
なんだか魔人うさぎが深刻な感じにこちらを見ているけれど、可愛さのせいでほんわかしてしまう。
そして、フェリアス様と古の大魔道士ラウル様と魔人うさぎが、一人理解できていないらしい私を深刻な雰囲気を醸し出しながら見つめていた。
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