公爵家の運命
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私の体感としては、初めて正門から中に入るシェラザード公爵家。自由に動けるようになった時は、ほぼ壁を乗り越えて外に出ているか、瞬間移動だったから。
時々、馬車の中とかで動けることもあったけど。
「アイリス。緊張している?行きたくないなら、実力行使で解決もできるけど。……やっぱりそっちの方が、良かったかな?」
私のことを思って言ってくれているのだろうけれど、今日もフェリアス様が笑顔なのに物騒だ。
フェリアス様の実力行使なんて、シェラザード公爵家が王都ごと消滅してしまいそう。
そんなことを思いながら、正門をくぐる。
王宮が荘厳という言葉がぴったりの造りなのに対して、シェラザード公爵家は、豪華絢爛という言葉が似合いそうだ。
シェラザード公爵家は、初代国王の代から続く名家で、今でも王宮での発言力は強い。
正門を入っても、屋敷までは馬車で進む。季節外れの花すら一年を通して咲き乱れる、それは魔法を惜しみなく使うことができるという権力の誇示のため。
「ふーん。正門からは初めて入ったけど、見事だな。特にこの薔薇は」
そう呟いたフェリアス様が、馬車から降りると淡い氷のような水色の薔薇を一輪手折った。
そのまま、私の髪にその薔薇を飾る。
「アイリスの瞳と同じこの薔薇の色。帰ったら、この花をモチーフにした髪飾りを作ろう」
そのまま、そっと私の髪に飾られた薔薇に口づけを落とすフェリアス様。
「時間を止めて永遠に美しく咲く魔法をかけたから、部屋に大事に飾って欲しいな。今日の思い出に」
「え……永遠に?」
今日も、魔力の無駄遣いをするフェリアス様。きっと、こんなふうに簡単に使った魔法は、ものすごい魔力を消費するのではないだろうか。
「フェリアスの魔法の使い方は斬新だな」
普通のぬいぐるみのフリをしていた、魔人うさぎがつぶやいた。激しく同意する。
たとえたった一輪の花であろうと、その姿を永遠に保つなんて聞いたこともない魔法だ。
ようやく広い庭園を抜けて、屋敷の入り口にたどり着いた。
それにしても、自分の家ながら自宅がこんなに広くて不便ではないのだろうか。
そして再びフェリアス様にエスコートされてエントランスに入ると、家族全員に出迎えられる。
こんなこと、今まで一度だってなかったのに。
「ようこそいらっしゃいました。大魔道士フェリアス様。そして、よく帰ったな、アイリス」
フェリアス様は、感情の見えない表情で「ああ、出迎え感謝する」と返答した。
そういえば、国王陛下にすら礼をしなかったけど、公爵である父にすらそんな不遜な態度する人初めて見た。
「おかえりなさいませ。お姉様」
私に声をかけてくる妹。ローディア・シェラザードは、社交界の花と呼ばれている。
私と違って、はっきりとした黄金の髪の毛、美しいエメラルドのような瞳。
婚約者が妹の方だったら良かったと、王太子に言われたことがある。
思い出せば思い出すほどサイテー男だ。
「ずいぶん……雰囲気が変わったのですね?」
「そう……かしら」
私のことを視界に入れていなかった印象の妹が、未だかつてなく上から下まで私をなめるように見ている気がする。
とまどう私を、氷のような鋭い微笑を浮かべたフェリアス様が引き寄せる。
「いくら妹君とはいっても、大魔道士の妻になる人間に少し無遠慮ではないかな」
フェリアス様は笑顔のままなのに、ローディアが何かを見たかのようにひどく怯えた表情をした。
「あれ……どうしたのかな?続けてもいいんだよ?」
「ば……化け物」
「いくらなんでも失礼ですわ。ローディア、あなたらしくもない。どうなさったの?」
さすがにここでは、公爵家の長女の仮面をかぶる。
「アイリス、別に俺のことは良いんだよ。ある意味、事実だ」
「──お許しくださいませ」
そう言って妹は、フェリアス様に深く礼をする。
はっきりとおびえた顔をしているのだけれど……今の一瞬にいったい何があったのだろう?
「アイリス姉さま」
車いすに座った、小さな弟を抱きしめる。
悪役令嬢として過ごしている間のアイリスも、末の弟のロイのことは溺愛していた。大貴族にありがちな、家族の温かさのないシェラザード公爵家だが、末の弟だけがぬくもりを与えてくれた。
私も、何もできないながらも、ロイについては可愛いと思っていた。
「……いつも美しいけれど、今日はさらにお綺麗です」
そういって微笑むロイ。まだ、5歳なのに女性に対してそんな社交辞令をキチンと言えるとは、公爵家の英才教育が恐ろしい。
そんな、可愛い小さな背伸びに対して、フェリアス様の周囲の温度が一気に下がっていく。大人げない。
「フェリアス様……アイリス姉さまが、こんなに幸せそうで良かったです。あの……フェリアス兄様?これからもよろしくお願いいたします」
シュン……。そんな効果音とともに、フェリアス様の冷気が霧散する。
「そういえば、ロイは性格も見た面もアイリスにそっくりだな」
フェリアス様の、凍てついた氷のような仮面がはがれて、優しい微笑みが現れる。
ロイの座った車いすの前に、膝をつくフェリアス様が「よろしくな?ロイ」と、頭を撫でる。
唯一、家族の中で交流のあった弟と婚約者が上手くいきそうで、私はほっと息をついた。
「さて、今日来たのはアイリスとの婚約の許しを受けるためだが。──もちろん、異論はないだろう?」
この国では、貴族が確かに高い地位を持っている。だがそれは、貴族が持つ大きな魔力量のためだ。この世界は魔法で動いているから……。
だから、たとえ平民でも大きな魔力と魔法の行使ができるなら、爵位を得ることも地位を得ることも可能だ。
平民の生まれでも、筆頭魔術師にだってなれる。
──表向きは。
ではなぜ、幼いフェリアス様が魔力暴走を起こしたまま放置されていたのか。
それはこの国の闇の部分。
貴族たちは、表向きは平民の登用に反対しないが、平民の魔力持ちに対して手を差しのべることはない。貴族の利権を奪われないために……。
魔力が大きければ大きいほど、大人になる前に魔力暴走を起こす確率は高い。
その時に、適切な処置が受けられなければ、死にゆくしかない。
幼いあの時に、魔力暴走を起こしたフェリアス様に手を差しのべる人間は誰もいなかっただろう。
たまたま、あの瞬間に私と出会って、運よく私が自由に動けた。そして、偶然私たちの魔力の親和性がとても高かった。
そんな奇跡でも起こらなければ……。
「大魔道士様は何が目的なのですか……公爵家の後ろ盾、それとも」
「何を言っている?俺に手に入らないものはない。アイリスだけ貰えればそれで。ああ、でも幸せな結婚式のために認めてくださると嬉しいですね。義父上?」
「認めましょう……」
「感謝します。これは結納の品です。お受け取り下さい」
馬車の中から出てきたのは、異国の精巧な絨毯。公爵家でも見たことがないほどの美しく大きな宝石。魔力が込められた煌めく布……ん?フェリアス様が手にしているのって、化粧水由来の劣化版のエリクサーではないですか?
「真の聖女であるアイリスの作った聖水……ロイの足に」
そう、弟のロイは公爵家唯一の男子でありながら、生まれながらに足が悪い。
「まさか……」
「俺の魔力も一緒に込めておいたから、この前よりも効果が上がっていると思うよ」
え、怖い。あの傷を一瞬で治したこれ……。さらに効果が増してるの?
でも、もしもロイの足が治るのなら。
繊細なデザインのガラス瓶のふたを開けて、ロイの足にそそぐ。白銀、そして黄金のまぶしい光が現れ、そして消えたあとに静寂が訪れる。
「さ、立ってみて。ロイ……」
フェリアス様に手を引かれて、ロイが立ち上がる。
「……足が、動く」
少しおぼつかないけれど、確かに立ち上がったロイが、私の方にゆっくりと歩いてくる。
物語では、悪役令嬢の没落とともに辺境の領地に送られてしまう弟。
「ロイ!!」
私たち姉弟は、涙を流して抱き合った。
それを優しい瞳で見ていたフェリアス様だったが、再び冷たい表情の仮面をかぶると、父へと向き合った。
「見ての通りです。アイリスが聖女なのは間違いない。あなたもご存じだったはずだ。それなのに、娘を犠牲にした」
「……我がシェラザード公爵家の長女は、代々その役目を担ってきた」
「──その命を捧げて、魔界との扉を塞ぐ役割をですか」
「……ああ。魔界の扉が現れる時に、いつも我が家には強力な魔力を持つ長女が生まれる」
眉を寄せて、唇の端を噛んだ父は、どこか悔しそうだった。
父がそんな顔するのを初めて見た。
「……アイリスが表に出られないように閉じ込めたのは」
「……どういうことだ?」
「──知らないのならいい。聞かなかったことにするべきだな」
私がずっと、悪役令嬢アイリスの中から出られなかったのは、いったいなぜなのだろう。
物語の強制力というものなのかと思っていたけれど、なにかあるのだろうか。
公爵家を去る馬車の中で、珍しくフェリアス様は無言だった。
沈黙の中、私はそっと髪に飾られた氷のような薔薇の花を手に取る。
「──この運命はまだ終わっていないのでしょうか」
「アイリス……何があっても、俺が守るから」
顔をあげたフェリアス様は、優しい笑顔だった。
「フェリアス様を私の運命に巻き込んでしまいましたね?」
「ああ、誰かのせいで幼いあの時、死ななかったからね?」
たしかに、私の知る乙女ゲームの中に、フェリアス様はいなかった。
そばにいてもらえるなら、悪役令嬢の運命すら悪くないと、私はそう思った。
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