二人の結末とはじまり
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風の噂だと言いながら、ルシアが大魔道士の活躍を話してくれる。伝説の大魔道士の再来だと、民衆は聖女のことなど忘れたかのように盛り上がっているそうだ。
一方私は、部屋の外にすら出られないでいた。「外に出てはいけません」とルシアに言われたから。
私も、無茶なことをしてこれ以上フェリアス様やルシアに負担をかけたくないから、ここでただ毎日祈りを捧げていた。
それなのに、その日私は自分の意思とは裏腹に、危機に陥ることになる。
いつもの癖で黒いうさぎのぬいぐるみを抱きしめた時にそれは起こった。
パァンッ──乾いた音を立てて石が爆ぜる。そして、その蒼い破片はキラキラと輝きながら、床へと散らばっていく。
「フェリアス様から貰ったのに……どうして」
私は、破片を集めようと、床にしゃがみ込んだ。
「……痛っ」
私の指先にぷっくりと小さな丸い赤色が膨れる。破片で指を傷つけたようだ。指先を見つめる私の上に、暗い影が落ちる。
顔を上げると、あんなに会いたかったフェリアス様が目の前に立っていた。
でも、何かが違う。
私の心臓が嫌な音を立てる。今のフェリアス様からは、いつものような私への温かい気持ちは少しも感じられなかった。
「───っ。フェリアス様に何をしたんですか?」
「これだけ短時間に気づくか。さすが紛い物の聖女とは違うな。まぁ、この男は強かったが所詮人間だ。魔力が高く質が良いから、仮初の体として借りている」
「──そうですか」
私のことを聖女と勘違いしているこの人は魔人なのだろう。もう目の前にいるけれど、今ならまだ扉だけでも閉ざすことが可能かもしれない。
そうすれば、いつかフェリアス様が魔人なんて倒してくれるに違いない。
フェリアス様、ごめんなさい。
もっと早く私が覚悟していれば。私はあなたの優しさにつけ込んでしまった自分が許せない。
シャランと髪の毛から抜き取った簪から涼しげな音がした。
王太子の婚約者として、与えられた簪を私は今でも必ず身につけていた。それは、王太子へ未練があるとかそんなことでは決してない。
王家にだけ伝わる、命を断つための薬が、そこには隠されているから。
簪の飾りを、躊躇いなく噛み砕く。私の口の中に丸薬にされた毒が転がり込んだ。
ただ一つ、後悔があるとすれば、扉が開く前にこうしなかったことだけ。
その瞬間、口付けされた。口に入った丸薬は奪われ、床に吐き出される。
「あ…………」
「──王太子から貰ったものを、後生大事に持っているから、もしかしてやっぱり好きだったのかもと思っていた」
目の前にいるのは、たしかにフェリアス様だった。私を見つめる瞳は、どこまでも愛しいものを見つめるように。
「少し待っていて」
そう言ったフェリアス様は、止める間も無く自分の腕に簪を突き立てる。腕から流れる血は、そのまま私の腕から落ちていた黒いうさぎのぬいぐるみに零れ落ちた。
「アイリスに怖い思いをさせた魔人は、ここに封じ込めてしまおうね?」
赤かった血の色が、闇のように黒くなってそのままうさぎのぬいぐるみに吸い込まれていく。
不思議なその光景を私はただじっと見つめていた。
黒いうさぎのぬいぐるみが、まるで生きているようにピョコピョコ跳ねる。そのうさぎから、黒い光が発せられて、フェリアス様の胸を貫いた。
「──っ。それで終わりか?魔人ともあろうものが無様だな。……アイリスの前にさえ来なければ、俺の体を支配し続けることが出来たかもしれないのに」
そのままうさぎのぬいぐるみは、フェリアス様の放った魔法で燃えて灰になった。
そして、スローモーションのようにフェリアス様が膝をつく。その胸から、赤い液体が湧き出て床を濡らしていく。
「フェリアス様!」
「アイリス、これで君は運命から解き放たれる」
「やっ、やだ!!フェリアス様」
必死になって、フェリアス様の傷口を押さえるのに、私の指の間からどんどん温かい液体が零れ落ちていく。まるで、命が抜け出してしまうかのように。
なにか、何かないの?!この傷を治せるものは何か。
「……エリクサー?」
私は、ここに来た時作った化粧水を全てフェリアス様に振りかけた。上級傷薬よりも効果が高いこれならもしかしたら。
淡い銀色の光と、金色の光が溶け合って、フェリアス様の傷を塞いでいく。
「──アイリス」
フェリアス様が薄目を開けてこちらを見る。それでも、たぶん魔力の全てが空になっていて、血も失ってしまったせいか、意識が朦朧としているようだ。
私は黙ってフェリアス様に口付けをする。私たちの魔力の親和性が高いことは、初めてあったあの日に証明されているから……。
軽く触れるだけだった口付け。そこから私の魔力を流し込む。
唇を離そうとすると、後頭部を固定されて、何度も角度を変えて口付けされた。
「もう、元気になっているなら……っ」
私は文句を言おうとしたけれど、その言葉は塞がれてそれ以上言うことはできない。
「アイリス……無事だね?」
「フェリアス様?」
「魔人に体の所有権を奪われて見えているのに表に出ることができなくて……。アイリスはずっとこんな思いをしていたんだね。アイリスの前に来た時は生きた心地がしなかった」
フェリアス様が首元のチョーカーについた、アイスブルーの石にそっと手を添える。限界だったとでも言うように、その石は触れただけで粉々に割れてしまった。
「……石にかけてくれた祝福の力かな?いつもアイリスは想像を超えて俺を助けてくれるね」
私のつけていた石も粉々に割れてしまった。たぶん、二人の身代わりになってくれたのだろう。
私たちは黙って抱き合った。このあとまだ、問題は山積みで、私はそれに巻き込まれるのだけれど。
今はそんなことも知らず温かい体温を感じて、ただ幸せを噛みしめた。
最後までご覧いただきありがとうございました。本編完結です。フェリアス様とアイリスの子ども時代や、後日談など不定期に更新予定です。
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