断罪翌日では知識チートは役に立たない
────せっかく展開のすべてを知っていても、残念なことに手遅れだわ!
悪役令嬢として断罪される運命の公爵家令嬢に転生したことを生まれた瞬間理解した。
普通であればそのアドバンテージを生かして、ざまぁするなりさっさと市井に降りて知識チートを生かして成り上がるなりするのだろう。
だけど私の場合は生まれてから今まで、泡沫の夢のように時々ほんの短い時間だけしかこの体を自由に動かすことはできなかった。
何をきっかけにして、私がその時だけ自由に動くことができたのかはわからない。
でも、ほんの少ししか与えられない時間だけでは、物語の通りに進んでいく現実に打つ手がなかった。
「でも、今になって自由にするなんて神様は何を考えているのかしら」
そう、断罪翌日になって私はやっと眺めているだけの運命から逃れることができた。
その理由はわからないけれど。おそらく運命の神様のいたずらに違いない。
「自分が悪役令嬢だって知っていたのに、やっとこの体で自由に動けるのが断罪された次の日って……手遅れ感ハンパない」
私は、元公爵家令嬢アイリス。
昨日、王立学園の卒業パーティーで、王太子から婚約破棄をされた。
今までのヒロインへの悪事を暴かれ、そこからの婚約破棄。公爵家も追われて完全に物語の終盤だ。転生悪役令嬢としてのアドバンテージを全く生かすことができなかった。
私はいくら婚約者に王太子としての心構えをを説いても無駄だと分かっていた。
それでもこの体は勝手に喋り、動いて、そして追い詰められていった。
この国の未来を思うなら、自由奔放なヒロインよりやはり私の方が王妃に相応しいとは今でも思っている。
それに悪役令嬢と言っても、私の場合陰湿な嫌がらせをしたわけでも、ヒロインにケガを負わせるようなことをした訳でもなく。
ただ、王国の民の幸せを願って苦言を呈していただけなのに。
それでも、悪役令嬢は負けた。
私が自由に動けたら、裏からも手をまわして味方を作っただろう。
そして自分を追いつめる者たちに対して無実と冤罪の証拠を逆に突き付けてやっただろう。
力なき者が理想だけを語ってもきっと実現できるはずがないのだから。
「ノブレスオブリージュなんて、古い過去への憧憬なのかしらね」
ため息を一つついて、現在置かれているもはや挽回が不可能であろう状況を確認しようと、私は目を開ける。
そういえば、今寝ている場所は、とても暖かく寝心地が良かった。
──今は地下牢にいるはずなのに?
その時初めて自分の置かれた状況に違和感を覚えて勢いよく起き上がった。
「ここはどこ?!」
もちろん記憶喪失になったわけではない。
自由に動けなくても公爵令嬢改め悪役令嬢アイリスとして過ごしてきた日々は、記憶に残っている。
寝た時はたしかに冷たい地下牢だったのに、今見ているのは見知らぬ天蓋だった。
しかもなんだかとっても豪華だ。そして、なぜか私好みの装飾だ。
寝かされていたベッドには透けるように薄い紫の布が重ねられた天蓋、白く艶やかなシーツ。ベッドカバーには一目で高級だとわかる豪華な刺繍がカバーと同色で施されている。
窓辺でキラキラ輝くおそらく最高級のサンキャッチャーまでもが物凄く私好みなんですが。
ラナンシェ公爵家に負けていない部屋なんて、王宮以外で初めて見た。
「……アイリス、今回はずいぶん長く眠っていたね。おはよう」
低く気だるそうな声が聞こえて振り返ると背の高い漆黒の髪と深い蒼の瞳をした男性がドアに寄りかかりながら立っていた。
私は混乱する。淑女の部屋に男性がいるなんてあってはならないのに。
──しかも気配がなかった。
それでも、私はその男性を知っている。彼はあまりに有名だから。
「筆頭魔術師フェリアス様……」
出自不明、それでも圧倒的な魔術の才と噂では冷酷非道なその手腕で彗星のごとく現れて筆頭魔術師に成り上がった若き天才。
ただし、攻略対象者ではない。残念ながら乙女ゲームには登場しなかった。こんなにハイスペックなのに。
「なぜ、あなたがここに?」
断罪される直前の王太子の台詞や状況から、私がいるのは王太子ルートのエンディング直前と予想される。
それなら、地下牢に閉じ込められた後、修道院に向かう途中で悪役令嬢アイリスは何者かに襲われて命を落とすという展開だったはずだ。
えっ、私そこまで悪いことしてないのに辛すぎる。
おのれ、権力を私利私欲のために使う非道な王太子め!
私が悔しさのあまり唇を噛み締めていると「アイリスはあいかわらずだね」とつぶやいてフェリアス様が笑った。
絶対に笑わない鉄仮面の筆頭魔術師という噂だったのにその笑顔は春風のようだった。
笑った瞬間から今までの冷たい酷薄な印象がなりを潜めて、少しだけ幼くなる。
私はその変化を呆然と見つめる。なぜか胸の奥がコトリと音を立てるのを感じながら。
「高貴なお方にあなたが修道院に向かう途中で不幸な事故にあったようにしろと命じられて、思わずあなたの寝顔を見に行ったら」
「えぇ……?」
淑女の寝顔見に来るとか、大丈夫かこの人?!
私はあなたを知っているけれど、フェリアス様にとっても私にとっても今が初対面ですよね?
修道院に向かう途中で、悪役令嬢アイリスが襲われるのは、もちろん誰かに命じられたからということは想定の範囲内だからいい。
もしや実際にゲーム内で手を下したのは筆頭魔術師だったんですか?
私は警戒レベルを1あげることにした。
「それで……なぜ私はここに?」
「──甘く優し気な色の金髪に見惚れて、その氷のような瞳が開くのを見たくなって、思わずそのまま連れてきてしまったから」
それ、世の中では誘拐っていうんじゃないですか。
警戒レベル最高まで上げちゃいますよ?!
「大丈夫。すでにアイリスは俺のものだから。各方面に手は回してある」
大丈夫という要素が一ミリもない。
「俺のものって……研究材料か何かですか」
悪役令嬢が筆頭魔術師の研究材料エンドとか全年齢対象の乙女ゲームのはずなのに斬新すぎる。
そして嫌すぎる。
「うーん。隅々まで研究するのもありかな……でも」
アリなの?!私は鳥肌が立つのを感じて、思わず腕を擦った。
「でも……なんですか」
「──俺の婚約者にならない?アイリス」
「えっ?」
断罪された直後の、元公爵家令嬢に何を言っているのだろうこの人は。
私の経験、記憶から言っても私に利用価値なんてない。むしろ華々しい経歴のフェリアス様の足を引っ張るに違いない。
それなのにどうして?
「アイリス、俺の婚約者になれば、王家に復讐し放題だよ?君のためならなんでもしてあげる。王都を消し炭にすることだって一瞬でできるよ」
私を近くから覗き込む瞳は、深い光差さない森の中の闇のように恐ろしく、それでも時に見える蒼さがあまりに美しく目が離せない。
それでも私は、その美しい悪魔がもたらしたかのような誘惑を跳ね除ける。
「復讐なんて望みません!私は普通の幸せが欲しいだけだから」
「普通の……幸せ?それってどんなもの?」
それは、ただ見守るだけの毎日の中で、唯一私が欲しかったものだった。
それなのに、普通の幸せというものが本当にわからないとでも言うように、フェリアス様が首を傾げる。
どうしよう。少しズレてるかもこの人。
「それに……よく知らない人と婚約なんて」
「よく知らない?……そう、アイリスは俺のこと知らないんだったね」
顎を長い指で持ち上げられて、無理に上を向かされる。暗い海の底のような瞳と、私の氷のように冷たい淡いブルーの瞳が交差する。
その瞳からは感情が読み取れない、どこまでも続く深淵のようだ。でも、なぜかとても悲しそうで。
そんな風に思ってしまうのは私の考えすぎなのだろうか。
でも、私はこの人の事をよく知らない。もちろん筆頭魔術師様については噂には聞いていたけれど会ったことはない。
──会ったことはないはず。
「じゃあ、普通の幸せというのを俺に教えてよ。……恋人候補からでもいいから」
「フェリアス様……?」
少しだけ悲し気にフェリアス様が微笑んだ。その笑顔を、私はどこかで見たことがあるような気がしたのに、どうしても思い出すことができなかった。
「それを教えてくれれば、アイリスが幸せにいられるようにするから。でも、それまではここにいて?」
フェリアス様が暗い瞳で弧を描く。ここにいるって、それって閉じ込めるっていいませんか?
「アイリスの幸せが俺の幸せだから」
でも、その直後にそう言ったフェリアス様の瞳は、その言葉を紡いだその一瞬だけ優し気な光を取り戻したような気がした。
でも、それはほんの一瞬だったから見間違いなのかもしれない。
「あの……。フェリアス様にとって利益があるように思えません」
けれど私が、その言葉を発したとたん、フェリアス様の瞳からは光が消えうせ、周囲の温度が氷点下に下がった気がした。
なんだかフェリアス様の何かしらの地雷を踏みぬいたらしい。
「アイリスは、普通の幸せが良いっていう割に、愛を利益で計算するんだね?」
──その言葉に、私は返事をすることができなかった。
前世の記憶を持った私が叫んでいる。
愛は、利益で計算することなんかできないはずだと。
公爵令嬢として育ってきた私が表情を変えずに呟く。
愛なんて存在しない。婚姻は貴族の義務なのだと。
「ごめんね?俺には普通の愛とかわからない。アイリス以外の人間に興味がないんだ。だから、俺には俺の愛し方しかできない……」
「ほとんど会ったことがない私にどうして……」
その言葉を私が発したときに、一瞬だけみせたフェリアス様の表情を、たぶん私は忘れることができないだろう。なぜかひどく傷つけてしまったようだ。
それと同時に私の胸も切り裂かれるみたいになぜか痛んだ。
「あの、どうしてそんな顔するんですか」
「何を言っているのアイリス。俺はいつも通りだよ」
本人は無自覚だったようだ。その薄い唇も、形のよい眉や瞳も、あんなに切なげに歪んでいたというのに。
その表情がいつも通りだというのなら、冷酷非道で心を悪魔に売ってしまった筆頭魔術師なんて噂には絶対にならない。
「もう少しやらなくてはいけないことがあるから、ここで待っていて。でも、逃げようなんて思わない方が良い。アイリスを逃がすつもりはないから」
やっぱり、恋人とか言いながらフェリアス様は私をここに閉じ込めるつもりのようだ。
このまま誰も来なかったらと思うととても恐ろしい。
「ああ、欲しいものがあったら、この後侍女長を寄越すからなんでも頼むと良い。世界一の宝石でも、王宮よりも豪華な食事もすぐに用意させる」
それはそれで、フェリアス様に何の利益があるのかと邪推してしまう。
さっき、あんなに辛そうな顔をさせてしまった手前、口に出すことはもうできなかったけれど。
「そんなものいらないです。その代わり早く帰って来てくれませんか」
その瞬間、あまりの変化に私は目を疑った。
「アイリスが望んでくれるなら、急いで片づけてくるよ」
そう言ったフェリアス様が私を見つめる優しげな瞳、微笑んだ顔は、まるで私のことを愛しいと告げているように思えて。
出会ったばかりで、そんな風に思うはずがないのに。
「……どうして私のことを知ってるんですか」
「婚約者になった時にでも、教えてあげるよ」
手の甲に口づけを一つ落として振り返ることもなく去っていくフェリアス様の背中を、私は黙って見つめていた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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