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7 再度の出撃

 飛行甲板の上では出撃準備でちょっとしたお祭りになっていた。

 六機の九式艦爆は腹に二十五番(二百五十㎏)爆弾を搭載していた。艦爆班の使用する演習用小型弾ではない。実弾だった。

乗り込んだ搭乗員たちが練習生たちに即席教育を施している。九式艦爆は操縦士と無線手兼銃手の二人乗りなので、練習生と正規の搭乗員がペアになるように配置されていた。

 五機の十式艦戦は単座である。こちらは機上でベテランが面倒を見るわけにはいかない。医務室から無理矢理出てきた正規の搭乗員が包帯まみれで指導していた。六式艦戦にないプロペラピッチや無線機やオートミクシュアの説明など、普通なら一月はかける内容だが十分かそこらで教えなければならない。痛みを物ともせず搭乗員たちはひよっこたちを指導した。

 更には計器板に直接チョークで巡航速度やら回転数やらブースト圧を書き込み始めた。

「あの、覚えましたから大丈夫ですよ」

 その勢いに気圧されながら洋一は云った。

「何を云ってる。一度聞いて覚えられるなら誰も苦労せん。ただでさえ空気の薄いところ飛んで搭乗員は莫迦になるんだから」

 松葉杖で翼の上に乗ったベテランはその程度では止められない。諦めて洋一はどんどん書き込まれていく計器板を眺めるしかなかった。

 また技術練習生たちも正規の整備員たちに混じって作業をしていた。

「何やってるんだ」

 先程から朱音が機体の下に潜り込んで作業をしている。

「増槽つけてるの。ほら」

 手だけ出して朱音は隣の機を示す。見ると操縦席の下辺りに流線型の物体がぶら下がっていた。大きさは九式にぶら下がっている二十五番爆弾ぐらいある。

「追加の燃料タンクよ。三百Lは入るから、これだけでええっと……四時間ぐらい飛べるかしら」

「四時間?」

 そんなに飛んでどうするのだろう。洋一には実感がわかなかった。

「行きで増槽の燃料を使うこと。ああでも発艦の時はメインタンク使ってね。振動で外れたら困るから。すみませーん、燃料コックの位置も教えておいてください」

「任せとけ。ここでコックを切り替える。残量計はこっちだ。空になる前に切り替えるんだぞ」

 また操縦席の書き込みが増えていく。

「そしてこのエレベータトリムの下が増槽投下レバーだ。おっとまだ引くなよ」

 そう云って赤いレバーを指し示された。撫でるだけにして洋一は周囲を見回した。先頭はもちろん紅い尾翼の綺羅の機体。そのすぐ後ろが洋一。機体は引き続き水口二飛曹の機体だった。

 振り返ると成瀬一飛曹が自分の準備を終えて後ろに声をかけている。その先は練習生の松岡と神谷だった。洋一のことを散々羨ましがっていたが、いざ操縦席に座るとあれは初めてこれは判らんと大騒ぎである。文句を云うと選抜の籤引きで負けた練習生がじゃあ代われとこれまたうるさい。

 こんな雑多な連中ではあったが、これから十式艦戦五機と九式艦爆六機で攻撃、もとい偵察に打って出るのだ。そう思うと気持ちも高ぶってくる。

「ねぇ、本当に大丈夫なの?」

 僅かに声をひそめて朱音が傍らに寄ってくる。

「教育課程もまだ終わっていないし、機体の慣熟訓練だってしてないんだよ。それなのに敵に攻撃仕掛けに行くなんて」

 常識で考えれば無茶もいいところだった。しかし今の状態は常識の範囲を超えている。

「さっきも見てただろ、初出撃で初撃墜だ。いけるいける」

 自分で云い聞かせているうちに何だか本気になってきた。

 さっきのあれ、やっぱり凄かった。洋一は自分の手のひらを眺める。二十㎜の脳天まで突き抜ける衝撃が、今だに身体に残っている。

 どこか恍惚としている洋一を見て、朱音はますます不安になる。調子に乗っては失敗する様は何度か見てきたが、今度は失敗は死に直結しているのに。

「心配してくれてありがとうお嬢さん」

 唐突に肩を叩かれて朱音はのけぞる。振り返ると当たり前のように紅宮綺羅が立っていた。

「き、綺羅様」

 この世の者とは思えない美しい顔が朱音のすぐそばにある。綺羅はもう片方の手も朱音の肩に置いた。

「名前は?」

「は、はい。小野、朱音です」

 鈴のような音色に導かれるように朱音は名乗った。

「朱音君。彼を引きずり込んだことには私にも責任の一端がある。故に彼は私が護る。安心して待っていてくれ」

「は、はい!」

 夢心地で朱音が答えた。逆らえるはずがないのだ。その様子を見て綺羅は最高の笑みで頷いた。

「さあ諸君、出撃だ」

 綺羅の声と共に各機が一斉に発動機始動を始める。次々と身震いしてから重低音を奏で始め、積み重なって多重奏となっていく。やがて艦全体で交響曲を奏で始めた。

 再び翔鸞は大きく回頭する。艦橋を見れば発艦宜しの旗が上がる。

「こちらクレナイ一番、各機準備は宜しいか」

 凜とした綺羅の声が無線を介して聞こえてくる。

「イナズマ一番。艦爆隊暖気終了」

「アカツキ一番。小隊準備宜し。いつでも行けます」

 つい視線を向けていた洋一に、綺羅は振り返った。洋一は大きく頷く。それを見た綺羅は片手を大きく上げた。

 紅い十式艦上戦闘機が、飛行甲板を走り始めた。即座に水平にするとたちまち大気をかき分ける。艦首を越えて少し沈み込むが、軽やかに風を掴んで舞い上がった。

 さあ自分の番だ。

「ありがとうございました!」

 洋一はこれまで指導してくれた搭乗員に声をかけた。

「おう、しっかりやってこいよ」

 飛行帽の代わりに包帯で頭半分を覆われたベテランの搭乗員が肩を叩く。

「二番機、最後に一つ云っておく」

 朗らかに笑って彼は云った。

「綺羅様に何かあったら、生きてこの艦から降りられると思うなよ」

 背筋が寒くなることを言い残して、ベテランの搭乗員は機を離れた。頭を振って余計な不安をとりあえず脇に置いて洋一はスロットルを全開にする。前回よりも力強く感じる推力を感じて、ブレーキを離した。

 艦首から出る蒸気をかき分けるように滑走する。今度はちゃんと風上に向かっているらしい。ペダルで針路を保ちながら洋一は甲板から飛び出した。

 増槽の分重いからだろうか。少し沈み込む。それでも軽く操縦桿を引けば、十式艦戦は軽やかに大気を掴んだ。

 上昇に転じたところで、今度は忘れずに脚を引き込む。フラップもしまって洋一は空を見回した。

 すぐそばに鮮やかな紅。綺羅の十式艦戦が緩やかに旋回しながら待っていた。洋一はその脇につける。

「こちらクレナイ二番。お待たせしました」

 自分で口に出してみると不思議な恥ずかしさと高揚感があった。仮初めとは云え自分は今、紅宮綺羅の二番機なのだ。

「なんだ。今度はしまい忘れていないのか」

 なのに綺羅はつまらなそうな返事を返してきた。そう何度も同じ失敗をしてたまるものか。

 振り返ると三機の十式と六機の九式艦爆が上がってきている。自分たちを含めて総勢十一機。多いのか少ないのか洋一には判らないが、今からこの一員として殴り込みに行く。そう思うと恐ろしいようなわくわくするような、落ち着かない気持ちになってくる。

「ところで丹羽練習生」

 世間話をするように綺羅は声をかけてきた。

「さっき君の彼女には大きなことを云ったが、正直なところ、そこまで自信があるわけではない。もちろん努力はするが、自分のことで手一杯になってしまうかもしれない。その時はまあ、うまく逃げてくれ」

 彼女も弱気になることがあるのだろうか。洋一は考え込んだ。しかし綺羅の淡々とした口調から、それは少し違うと思い直した。

 自信がないとあっさり云ってのけるのもまた、紅宮綺羅なのだ。

「心配しないでください」

 そう思うと洋一の心が整理されてくる。冷静と熱狂が、共に並び立ってくる。

「もしもの時は、自分が綺羅様を護ります」

 身の程知らずの発言であることは承知していたが、それは全くの本心だった。

「随分と大きく出たな」

 小さく笑うのが無線の向こうから洋一にも届いた。

「じゃあ、よろしく頼むよ少年」

 あっさり綺羅はそれを受け入れた。

「ところで朱音のことなんですが」

 洋一は一つ口を挟んだ。

「あいつは昔からの腐れ縁ってだけで、彼女とかじゃありませんから」

「ほう」

 別の意味で何やら楽しそうに綺羅が反応した。

「では今度食事にでも誘ってみよう。朱音ちゃんは和食と洋食、どっちが好きかな」

「どっちもたくさん喰いますよ」

 何なのだこの人は。いささか呆れた眼差しで洋一は綺羅機を見た。

「ほらそろそろ行きましょう。艦爆隊も合流しましたよ」

 振り返ればすぐ後ろに各機が揃っていた。

「よろしい、ではいくか。練習生諸君、プロペラピッチは高に、回転数は千八百五十に。ラジエータフラップは閉。燃料コックの確認も忘れずに」

 慣れない機体で巡航状態へ移行する。洋一もこれは初めてなのでおぼつかない手つきで確認をする。こうすると確かにチョークで色々書かれたことが役に立った。

「機銃の装填も今のうちに済ませておくように」

 今度は両方とも実包が装填されている七・七㎜機銃を装填し、洋一は左手で計器板端の把手に手をかける。二十㎜機銃。またこいつを、撃てるのか。洋一は静かに力を込めて引いた。騒音の中から僅かに冷たい響きが聞こえた。

「さて、先発隊の報告では一時間ほどの距離のはずだ。練習生は自分の機体のことに集中したまえ。航法と警戒は我々が行う」

 情けない話だが、それに従うしかないようだった。一応航法だけは確認しておく。そもそも彼等は着艦と長距離飛行、つまりは航法の訓練で翔鸞にやってきた。いきなり実戦になってしまったが、結局やるべきことは変わらないのだ。

 洋一は海図におおよその針路を書き加える。翔鸞に来るときは朱音に任せていたが、こうなると知っていたらもっと真面目にやっておくのだった。

 針路保持に全力を挙げているうちにも彼等は洋上を進んでいく。前方を見ると少し特徴的な雲がいくつか浮かんでいた。瓢箪の形をした大きめの雲と、タマネギ型の小ぶりな雲。やがて綺羅の機体が大きく左右に傾いた。何かを見つけた合図だった。

 洋一も周囲を探ってみる。しばらくすると瓢箪の下辺りに何かが飛んでいるのが見つかった。編隊全体が緊張しているのが洋一にも判る。だがよく見てみると見慣れた七式艦攻と、十式艦戦だった。

 向こうもこちらに気づいたのか翼を振るとこちらに近づいてくる。恐らくスツーカの後を尾行けていた隊だろう。

「隊長、ようやく来ましたか」

 無線の声が洋一たちの耳にも入る。

「目標は三四〇の方位に十マイルほどです。何度か見に行きましたが、多分ばれていないと思います。燃料がやばいのでこちらはもう帰ります」

 彼等は射撃演習のつもりで上がっていて増槽も積んでいない。もうあまり余裕はないはずだった。

「判った。気をつけて帰れよ」

 隊長機とすれ違いざま、敬礼しているのが見えた。よく見ると七式艦攻は未だに標的を翼下に下げているのがなんとなくおかしかった。

「そっちも気をつけてくださいよ。総数は掴みきって居ないですが、かなりやばそうです」

 そう言い残して彼等は母艦へと向かっていった。偵察隊は何度か電信で情報を送っているようだが、洋一たちにはそれを解読している余裕はとてもなかった。一体何が待っているのだろう。十マイルなら巡航でも三分少々だ。敵はすぐそこに居る。

「ひよっこたちもこの雲の形を覚えておけ。集合地点をこことする」

 各機に呼びかけると先頭の綺羅は機体を傾けて針路を修正する。所々に浮いている雲を伝うようにして目標に接近する。

 洋一は懸命に洋上に視線を向ける。正体不明の敵。だがまず間違いない推測が一つある。連中は、空母を持っている。そうでなければこの広大な秋津海に敵の飛行機が飛んでいるはずがないのだ。

 穏やかな秋津海の海面。翔鸞に来たときにまるで物見遊山の気分でこの海を眺めていたのが遙か昔に感じられる。風景は何も変わっていないのに、ここはもう戦場になってしまった。

 丹念に眺めているうちにふと、海面に白い筋が描かれていることに洋一は気づいた。あれだ。あれだ。逸る心を抑えながらじっくりとそれを観察する。

 近づくにつれて形がはっきりしてくる。甲板の上がのっぺりしている。間違いない、航空母艦だ。

 知らせようとしてふと綺羅を見ると、彼女もずっと下を見ている。方角から察するに同じものらしい。なんだ、綺羅様も見つけたのか。そこでふと洋一は別のことに気づいた。

 空母が一隻で行動するだろうか。随伴艦が居るはずだ。今度は発見した空母だけでなく、その周囲を見回し、そして息を呑んだ。

「少年、これは『うすらとんちき』だなぁ」

 眼下に広がるは大艦隊。その中央には四隻の航空母艦が威風堂々と進んでいた。周囲に十隻以上の護衛も見える。


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