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6 帰ってみたら空母は大騒ぎ

 「格納甲板より報告です。消火は完了しました。中央昇降機使用可能」

 航海艦橋で報告を聞いていた翔鸞艦長、高山与次郎は頷いた。これで航空母艦としての最低限の機能は確保された。

「機材の損害は十式艦戦一機が転落、二機が損傷、七式艦攻二機が火災投棄、三機が損傷です」

「十式は受領したばっかりなんだぞ全く。しかし格納甲板で炸裂した割には損害が少なかったな」

「幸いなことに練習機たちが被害を食い止めてくれましたから」

 世の中何が幸いするか判らない。ただし木製機がために火災がひどく消火に手こずった面もあった。

「機材はいい、問題は人の方だ。どうなっている」

 報告している甲板士官は首を振った。

「搭乗員の損害は未だに把握できていません。二十人以上死傷。とにかくひどいことになっているのは確かです。爆発したのが搭乗員控え室のすぐそばでしたから」

 航空母艦の最大の武器は搭載している航空機である。それがために最も重要なのはその搭乗員たちだった。その大半を翔鸞は喪ってしまった。たった一発の爆弾が艦に及ぼした影響は小さい。だが空母の戦闘力は壊滅的な打撃を受けてしまった。

「それと、無線室が使えないというのは本当か」

「はい、火災と、その消火のために無線室は水浸しになっています」

「復旧を急がせろ。このままじゃ何が起こっているのか判らん」

 艦としての耳がなくなってしまい、彼等は海のど真ん中に放り出されてしまっていた。

「まったく、なぜブランドルなのだ。宣戦布告があったのか。舞鶴に聞きたいことは沢山あるというのに」

 世界が大きく動いてしまったのは確かだろう。だが渦中に居るはずのこの翔鸞のみが判らない。

「もしかしたら判るかもしれませんよ艦長」

 扉を開けながら、紅宮綺羅が朗らかな声をかけてきた。

「紅宮大尉。どういうことかね」

 高山艦長は可能な限り厳かに言葉を発した。全く、部下が宮様とはやりにくくて困る。

「標的曳航に上がった七式に、スツーカの後を尾行けさせています。うちの十式二機も護衛につけました」

「三機上がったはずなのに君だけ着艦したのはそういうことか」

 勝手なことを。高山は心の中でのみ毒づく。この宮様はどうにも規律を重要視してくれない。普通なら懲罰ものだが、相手が宮様とあってはこちらにも遠慮がある。おまけに彼女の独断専行は結果的には事態を良い方向に導くことが多い。やりにくいことこの上ない。

「直ちに攻撃隊を編成して、報告が在りしだい向かわせるべきと具申いたします」

「まてまて」

 高山艦長は手を振ってそれを制した。

「攻撃を受けたとはいえ、我が豊秋津皇国とブランドル帝国とが開戦したことは確認されておらん。貴殿は知らないかもしれないが、本艦は今、無線が使えんのだ」

「駆逐艦に中継して貰っては」

 翔鸞は二隻の駆逐艦を「トンボ釣り」として伴っている。着艦に失敗て着水した際に搭乗員を拾うのが仕事だった。しかし綺羅の提案に高山艦長は首を振った。

「爆撃のゴタゴタで気がついたらトンボ釣りとはぐれてしまった。今頃どこを航行しているやら」

「あれまぁ」

 綺羅は呑気な合いの手を入れる。間抜けな話だが起こってしまったのならしょうがない。

「君たちが墜とした敵の搭乗員たちは、今内火艇が拾いに行っている。彼等から聞き出せれば何か得られるかもしれないが、それは内火艇が戻ってきてからだ。そもそも武語(ブランドル)が出来る者が艦内にいるのやら」

 墜落した搭乗員の回収は本来なら駆逐艦に頼む仕事なのに、空母が内火艇を出す羽目になっている。

「もし何かの間違いであった場合、こちらから攻撃すれば我々の手で戦争を始めてしまうことになる。それは容認できることではない」

 もはやただならぬ事態になっていることは確かであるが、立場上、出来ないこともある。

「そもそも攻撃の手が足らん。もともと半分が陸に上がって艦を空けているのだぞ」

 現在翔鸞の搭載飛行中隊のうち、半数は小松で訓練している。ついでに戦闘機中隊は各務ヶ原で十式艦戦を受領している最中だった。艦内に余裕があるからこそ練習生たちの遠征発着艦訓練に選ばれたのである。

「更に爆弾が搭乗員控え室のそばに落ちて被害甚大だ。飛行機も少ないのに搭乗員はもっと少なくなってしまった。これでは攻撃どころではない」

「それは困りましたなぁ」

 綺羅もそこは読んでいなかった。

「可動機はどんな感じですか」

 綺羅が尋ねるので艦長は脇にいた甲板士官の方を見た。

「今すぐに出せるのが十式が紅宮さ、大尉の機を含めて五機。ですが搭乗員は確実なのがあと一名といったところです。九式艦爆は爆装待機も含めて五分以内に出せるのが六機。ただし搭乗員は四機分ですね。七式は考えないでください。流石に魚雷は出せません」

 動かせる機体もけして多くはないが、搭乗員を考えると更に少なくなってしまう。それに魚雷は貴重品であり、偵察の名目で積むには無理があった。

「流石にこの数では。規模の判らぬ敵に仕掛けられん」

 スツーカはともかく、マムールもドミトリーも艦上機なのだ。その意味を考えると、半端な数の攻撃隊をぶつけても意味がない。下手をすれば全滅してしまう。

「機体が少ないのはまずいですなぁ」

 綺羅も考え込んでしまう。

「あのう、失礼します」

 いささか場違いな声が扉の向こうからした。

「入れ」

 艦長が許可すると、扉の向こうから洋一と朱音が、居心地が悪そうに並んでいた。

「あの、報告します。飛行練習生第一一分隊ですが、清水教官および成田練習生が死亡、負傷三名であります」

 未だ正式な階級を持たない洋一たちにとって、雲の上のような地位ばかりの戦闘艦橋に入るのはどうにも落ち着かなかった。だが誰かが報告に行かなければならないとなって、結局彼等二人に押しつけられた。洋一にとって清水教官は殴られてばかりのおっかない教官だった。それでも死んでしまったとあってはどうにもやりきれない。

 さりげなく綺羅の方を見たが、彼等の方を一瞥しただけで特に関心も示さない。やはり気づかれていないのだろうか。洋一は少しさみしかった。

「技術練習生第三一分隊は近藤教官と手塚練習生および田中練習生が死亡、負傷四名であります」

 朱音の方が落ち着いて堂々とした報告だった。

「その、二式練習機は燃えたり捨てたりで二機しか残っていないので、帰るに帰れません。手伝いでも何でもしますので、ご指示を」

 高山艦長は口を歪める。引率する教官がいなくなって、宙に浮いた存在になってしまったことは同情する。しかし今員数外のひよこの面倒を見ている暇はないのである。

「別命あるまで搭乗員控え室……は吹き飛んでしまったな。食堂が開いているならそこに」

「丹羽練習生」

 不意に綺羅の声が艦長の言葉を遮る。

「は、はい」

 脊髄反射で直立不動の姿勢をとってしまう。見れば先程まで関心もなさげだったのに、こちらを見てにやりと笑っている。聞き覚えのある声だったので、確認したかったらしい。

「丹羽練習生。君、仮に夜道を歩いていて背後から不意に殴られたとして、どうする?」

 突然の質問に、尋ねられた洋一も、艦長や朱音たちも呆然とする。

「その、まず距離を取って、相手の顔を見てやりますかね」

「相手が取るに足らない小男だったらどうするかね」

「そりゃもう殴り返しますね。こっちもちょっとは心得がありますから」

 十八の少年らしい単純な答えだった。

「雲を突くような大男だったらどうする」

「……流石に逃げますね」

「黙って逃げるかね?」

「まあ、ただ逃げるのも悔しいから、石でも投げて莫迦とかうすらとんちきとか叫びながら逃げますかね」

「うすらとんちきねぇ」

 その云い方がつぼにはまったらしく、綺羅はクスクスと笑う。

「一体何を尋ねているのかね紅宮大尉」

 意味の判らない質問にしびれを切らせた艦長が声を発する。

「まあもう少し」

 綺羅が軽く手で制する。その指が美しいのでつい艦長も受け入れてしまう。

「洋一君、これから敵にお礼参りをするが手が足りない。来るかね」

 突然の提案に、洋一は虚を突かれる。

「何を莫迦なことを」

 艦長が割って入ろうとするが、綺羅の眼はまっすぐ洋一を見据えている。

「どうする、少年」

 その瞳に、吸い込まれるような気持ちで洋一は叫んだ。

「い、行かせてください!」

 さらにとんでもないことを言い出す方を艦長は見た。

「彼等はまだ練習生だ。ひよこを実戦に突っ込ませられるか」

 朱音も思わず洋一の腕を掴んでいた。

「何莫迦なこと云ってるのよ。死んじゃうのよ?」

 それでも洋一は小さく首を振った。今この瞬間、何かが見えた気がしたのである。

「お願いします。行かせてください!」

 それを見ていた綺羅は満足げに頷いた。

「よし、それでこそ戦闘機乗りだ」

 そうして綺羅は艦長の方に向き直る。

「確かに彼はヒヨコですが、ええ間違いなく明らかに疑いようもなくヒヨコでしたが」

 なぜかそこで綺羅は思い出し笑いをする。

「ああ失礼、それでも彼は先程の戦闘で、見事撃墜戦果一を記録しています」

「先程無断出撃をした練習生というのは君か」

 苦虫を噛み潰した顔で艦長が口を挟むが、綺羅は意に介さない。

「我が海軍で撃墜スコアを持つ者が果たして何人居るか。何しろ今この翔鸞乗り組みの搭乗員の中でも、彼を上回る戦果を持つのは、そうですな、先程二機墜とした私だけですかね」

 さりげなく自分の自慢を混ぜるのを忘れていなかったが、事実豊秋津皇国軍初の撃墜戦果は十年前のジブラルタル紛争であり、海軍全体で通算六機だけであった。

(秋津人という括りなら先の欧州大戦で義勇軍として参加してエースとなった例がある)

 そう云う意味では洋一の戦果は、海軍全体で十人と居ない貴重な経験の持ち主になってしまった。

「それに戦術的に見ても、今は無理をしてでも打って出る好機だと思いますよ」

 今度は声の調子を少し柔らかくする。

「ブランドルとおぼしき敵は十機に満たない飛行機で、しかもろくに連携もとれていない攻撃を仕掛けてきました」

 被害者から見ればとんでもない事態ではあったが、冷静に考えればどうにも半端な攻撃ではあった。数は少なく、急降下も雷撃も戦闘機も、バラバラに行動していた。

「おそらくですが、彼等にとってもこれは予定外の行動だったのでしょう。混乱しています。ならば、たたみかけるのが常道です」

「我が国はまだ戦争をしていないのだぞ」

 実際はどうであれ、艦長が独断で出来ることではない。

「公海上で敵対行動を取った謎の、まあ恐らく艦隊を偵察して、攻撃されたので自衛戦闘を行った。大義名分は立ちます」

 綺羅はそこで声をひそめて艦長に一歩近づいた。

「艦長、これは貴方にとっても好機です。戦果はともかく、連中の尻尾は掴むべきです」

 高山艦長は不機嫌に口を歪めた。まるで仏陀を堕落させようとした天魔(マーラー)を見るような眼で綺羅を見る。

 不意に入り口の扉が開く。何事かと振り返ると雪崩のように搭乗員たちがあふれ出てきた。よく見ると洋一たちの同期の練習生たちだった。

「何事かね」

 彼等は気まずそうに整列する。その後ろから更に別の搭乗員が現れる。

「だから邪魔だって云っただろう」

 現れたのは一飛曹の階級章をつけた搭乗員だった。

「こいつら入り口に張り付いて聞き耳立てていましてね」

 それを押しのけて入ってきた彼は、艦長に一礼してから自分の上官である綺羅に向き直った。

「報告します。中隊長、甲板の七式が偵察隊から連絡があったとのことです。敵艦隊ラシキモノ見ユ。索敵ヲ続行ス」

 後を尾行けていた偵察隊が発見したらしい。

「それとお前ら、どうせ失礼ついでだ。云いたいことがあるなら云ってみたらどうだ」

 そう云って学生気分の抜けない練習生たちをそそのかした。彼等は最初は互いの顔を伺っていたが、やがて意を決して姿勢を正した。

「艦長殿、自分たちも作戦に参加させてください!」

「お願いします!」

 若者たちは艦長に向かって声を揃えた。

「非常に危険な任務だ。ひよっこの諸君たちでは生還は保証できない」

「構いません、教官の仇を討たせてください!」

 若者らしく無鉄砲な眼だった。綺羅は彼等を眺め、そして彼等を背負うようにゆっくりと歩を進めた。

「艦長、自分はいささか恵まれた星の下に生まれたことは自覚しています」

 いささかどころか、全てを持って生まれてきただろうが。高山艦長は現実離れした美貌を見た。

「であるが故に、持たざる者が栄光を掴む機会を取り上げてはならないと考えています。確かに満足な訓練も受けずに正体の判らない敵に飛び込むのは危険極まりないでしょう。ですがこんな状況だからこそ彼等に頼らざるを得ない。彼等練習生にとって、これは好機なのです」

 綺羅の言葉に洋一も他の練習生たちも大いに頷く。危険の向こうに栄光の道があるのなら、飛び込まなくては男ではない。

「お願いします!」

 もう一度、力強く彼等は云った。

「判った」

 何かを腹の底に押し込めるような重い声で高山艦長は云った。

「これより本艦を攻撃した敵対勢力の偵察を行う。搭乗員不足のために諸君たち練習生から志願を募り、これに宛てる。偵察行動の際攻撃を受けた場合、自衛戦闘を許可する」

 純粋な狂気の前には、艦長も抗うことが出来なかった。何しろ狂気の源は、紅宮綺羅なのだ。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

 綺羅の何倍も大きな声で練習生たちは唱和した。

「さあとっとと出る。云っとくが全員行けるわけじゃないからな」

 先程の一飛曹が練習生たちを艦橋から追い出す。救命胴衣の背中には「成瀬」と書かれていた。

「うまくそそのかしたな成瀬一飛曹」

「背中をちょっと押してやっただけですよ」

 そう云って成瀬一飛曹は手で押す仕草をして見せた。精神的な意味だけでなく、どうやら本当に押したらしい。

「それに、征きたかったのは俺も同じですよ中隊長」

 振り向かずに成瀬は云った。

「水口は同郷の後輩だったんです。ようやく一人前になってきたのに、船の上で死ぬなんて」

 彼もまた、狂気に身を委ねる道を選んでいた。


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