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3 突然、戦場に

「面白いだろ、空母って」

 洋一と朱音が振り返ると、先ほど声をかけてきた搭乗員だった。

「ああ、俺は水口二飛曹だ。綺羅様の子分さ」

 砕けた様子で挨拶するその様は、いかにも古参の曹らしかった。

「最新の艦に最新の飛行機。戦艦もかっこいいのは認めるが、これからの時代はやっぱり空母だろう。ましてやうちには最高の女神様まで乗ってらっしゃる。あ、発艦位置に移動させるからもう一度押すの手伝ってね」

 機体を押しながら水口二飛曹はの尾翼を見上げる。そこには隊長機にあやかって真紅の帯が部隊の証として引かれていた。

「あの、紅宮様の隊なんですよね。どんな方なんですか」

 おずおずと洋一が尋ねる。紅宮綺羅。様々な噂は聞いてはいるが、どれも現実離れしていて実感がわかない。そしてすぐそばで見た印象は、それらを全て超越していた。

「いやもう何もかもすごい人だよ。それこそいろんな意味で」

 大げさな動きで水口は嘆息してみせる。

「まずあの容姿。血統が違いすぎるとは云え、あんな完璧な顔は見たことがない。神々しいっていうのかな。映画スタァのようって云われるけど、あの人より美しい女優って居ないだろ」

 間近で見てそれは強く感じた。そこにいるだけでスポットライトを浴びているようだった。彼女が銀幕の世界に行ったら、間違いなく頂点を取れる。 

「それでいて皇族だからってお高くとまっている訳でもない。実に気さくな方だ。この世の全てが瑣末なことなんだと思う」

 たしかに本来なら影も踏めない洋一の手を無造作に掴むような人である。最早身分にこだわりがないのだろう。

「そのくせ無茶苦茶腕が立つ。俺も飛行訓練生上がりだ。飛ばす方はいささか自信があったんだが、これがてんで歯が立たない」

 兵学校卒業の士官搭乗員に比べて飛行訓練生上がりの下士官搭乗員の方が飛行時間が多くなる。階級は低いが腕はこちらが上、というのが下士官搭乗員の心意気であったはずだった。

 誇りを傷つけられたっであろうに、水口二飛曹の口ぶりからは悔しさのようなものは感じられなかった。むしろますます心酔しているようであった。

「全く神様もたまにものぐさになって二物も三物も与えちまったのかねぇ。君たちもいい機会だ。拝んでおくと何かご利益があるかもしれないぞ」

 そう云って水口二飛曹は手を合わせてみせた。冗談めいた口調ではあったが、その奥に本当に信仰心があるように洋一達には感じられた。

「第二小隊、発艦するぞ」

「おっと、おしゃべりは終わりか。じゃあ行ってくるな」

 軽く手を上げて水口二飛曹は自分の機に向かう。その後ろ姿は古参搭乗員らしく粋だった。綺羅様は無理でもあんな感じにはなりたいな。洋一は自分のあるべき未来を想像した。

 だが乗り込む寸前に水口二飛曹の足が止まった。ふと怪訝な表情で空を見上げる。

 視線の先を洋一も追った。しばらく探してようやく黒点を発見する。

「ねえ何、どこ?」

 朱音はまだ見つけられないらしい。

「ほらあそこだよ。一機なにか飛んでる」

 左舷の後方を洋一は指差す。

「さっき出て行った七式かなぁ。こっちに戻ってきてる」

 高度は三千mほどだろうか。それなりに高い。

「おぉい、あれ降りるの?」

 水口二飛曹が艦橋に向かって声をかけていた。着艦させるためにまた甲板を開けなければいけないのか、それとも急いで発艦しなければいけないのか。だが艦橋の方でも要領を得ない。

「何だろうなぁ。発動機不調で戻ってきたのかな」

 大分形がわかるようになってきた。艦の真後ろに入ると、高度を下げてきた。

「っていうか、そもそも音が違うわよ、さっきの七式と」

 ようやく機影を確認できた朱音が首をひねっていた。

「十式の葛葉とも違うし、聞いたことがないんだけど」

 改めて機影を見る。たしかに洋一も違和感を覚えた。翼があんな逆ガルの機体、海軍にあっただろうか。

「水口二飛曹、あの機は一体」

 振り返ったら、水口二飛曹はすぐそこにいた。

「伏せろ莫迦!」

 叫ぶと同時に水口二飛曹は洋一と朱音を覆いかぶせるように甲板に叩きつけた。

 何事かと思う間も無く天がひっくり返る。視界の向こうで、すぐそこまで迫っていた機が、胴体から何かを切り離していた。

 降下から引き起こした機が、洋一の目の前を通過する。大きくくの字に曲がった逆ガル翼に太い機首に太い脚。濃い灰色と緑の迷彩に、胴体側面の国籍マークは三ツ矢。間違いなく豊秋津皇国の機体ではない。

「……ブランドル帝国の、スツーカ爆撃機?」

 異形で知られる急降下爆撃機だった。なぜそれがここに居るのか。

 次の瞬間、さらに大きな衝撃に突き飛ばされた。甲板に叩きつけられ、次いで甲板に突き上げられる。爆音が圧を伴って頭と耳を容赦なく揺さぶる。

 歪む視界の向こうで、炎が上がっているのが見えた。何とか首だけ起こしてみる。洋一達のいる方とは反対の右舷側、艦橋の前方で火が柱となっていた。

 隆起した巨大な炎は色々なものを撒き散らす。そしてその側にあった十式艦戦が一機、傾いだかと思ったらズルズルと甲板から滑り落ちた。

「に、二飛曹、何なんですか一体……」

 何が起こったのか全く理解が追いつかない。だが説明してくれそうな人はさっきから何も云ってくれない。

「水口さん、水口……」

 すぐ隣にいた朱音が自分たちに覆いかぶさった水口二飛曹に声をかけていたが、言葉を詰まらさせた。

 意を決して力を込めると、洋一は水口二飛曹を脇に退けて上に出る。地面に倒れた二飛曹を見て、洋一は息を飲んだ。

 水口二飛曹は、目をむいて驚きの表情のまま事切れていた。ついさっきまで気さくにお喋りをしていた相手が、もう永遠に口をきけなくなっていた。

 一体何なのだ。洋一は周囲を見回すが、艦は大混乱に陥っていた。今更ながら大きく回頭し始めて甲板が傾く。誰もかれもが右往左往し、立ち止まったり走ったりしている。先ほどの炎の柱は収まったが、その周囲から小さな炎と黒煙がいくつも吹き出ていた。練習生達より早く立ち直った甲板作業員たちが消火に向かうが、誰かがまた叫ぶ。

「銃撃ぃ!」

 とっさに傍にいた朱音を掴んで伏せる。連続した衝撃音が甲板を走り、作業員を薙ぎ払った。すぐ目の前を、機首の太い機が飛び去っていく。

「洋一、洋一……」

 手の下で朱音が震えていた。ここはまさしく地獄だった。普段強がりを云っていようが、十八の少女に耐えられるものではない。いつもより小さく見える肩を抱くが、その手もまた震えてしまう。十八の少年にも耐えられるものではないのだ。

 助けてくれそうな人はもはやいない。何とか、何とかしなければ。大混乱の翔鸞を見回して、洋一はある一点で視線を止めた。

 大混乱の中で、十式艦上戦闘機が静かに鎮座していた。主が乗り込むのを大人しく待っている忠犬のようだったが、乗り込むべき水口二飛曹はここで物言わぬ骸となっていた。

 誰も居ないのなら、自分が何とかするしかない。朱音も、この艦も。洋一は一度だけ空を見上げた。そう、あの人も。朱音からそっと手を離すと数歩はよろけるように、やがて全力で十式艦戦に向かって走っていた。

 無我夢中で操縦席に入り込む。見回して思わず息を呑んでしまう。当たり前だが二式練習機や六式戦よりも計器が多い。必死になって先ほどの始動手順を思い出す。

 メーターの数字はよく覚えていないから飛ばす。ミクスチュアは濃くしてペラピッチ、はどっちだっけ。六式は固定ピッチだったし。そうそう燃料ポンプ。

 先ほどの手の温もりを思い出して心臓が跳ねる。確か0.3kgまで。スロットルを煽ってそれで。

「洋一、洋一!」

 そこでようやく叫び声に気づいた。

「何やってるのよ、勝手に乗って。叱られるわよ!」

 夢遊病者のように機体に乗り込んだ幼馴染を、朱音が叱っていた。洋一がやっていることは、たしかにたかが練習生がやって良いことではない。しかし洋一の頭の中に、そのようなことはかけらも残っていなかった。朱音をまっすぐ見つめると、洋一は叫んだ。

「イナーシャを回すんだ! さっき教わったろ!」

 更に注意しようとしていた朱音はその剣幕に息を呑んでしまった。幸いというか不幸というべきか、イナーシャハンドルはすぐそばに落ちていた。もう一度洋一を見るが、その眼の真剣さに負けて、朱音はハンドルを拾った。

「……その前にプロペラの手回し。あとラジエータフラップ開けて」

 足りない手順を指摘すると、手早くプロペラを回す。一度ベルトに入れておいたイナーシャハンドルを差し込むと朱音は回し始めた。体重をかけてゆっくりと、やがて早く。

「コンターク!」

 凛とした声が響いた。メインスイッチオン。洋一は祈りながらクラッチを接続した。

 機首にある左右合計六個の排気口。その一つから何かが吹き出る。だがそれは炎ではなく白い煙だった。

 火が付いていない。音も何か籠もっている。次は煙すら出ない。

 始動に失敗した場合、数分は待たなければいけない。自分たちにその数分は、もうないはずだった。洋一は目を瞑った。

 だがその次に爆発音が聞こえてきた。吐き出されるのは黒い煙。噛みしめる歯に力が入る。その次は赤い何かが出た。頼む。

 葛葉一二型発動機が大きく身震いする。十二気筒が機体全体を突き揺るがすと、六つの排気口全てから赤い炎を吐き出し始めた。

 エンジン始動。洋一は急いでよく判らない計器類に目を走らせる。ここはなけなしの経験で補うしかない。本当はアイドルで暖気すべきなのだが、少しスロットルを開けて高めの回転数でさっさと暖める。水温五十度、油温六十度突破。

「洋一! 本当に行くの? 駄目なんだよ!」

 今更ながら声を張り上げて朱音が止めるが、洋一は手を振った。発進のため離れるよう指示する合図だった。

「行ってくる!」

 意を決して洋一はスロットルを全開にした。轟音とともに風が激しく巻き込む。すごい引きだ。ブレーキをいっぱいに踏んでいるが、そんなものではもう抑えられない。離した途端に甲板を走り始めた。

 手を振って止めていた人も居たような気がしたが、洋一は九百八十馬力の暴れ馬を制するので精一杯だった。方向舵ペダルは右に踏みっぱなし。速度が乗って自然と機首が下がる。下を向き過ぎるとペラが甲板を叩くが、加速のためには水平を保たなければいけない。細心の注意で洋一は操縦桿を握った。

 プロペラの反動だけではなく妙な具合に流される。さっきの回避運動で、恐らく艦は風上に向かっていない。しかしやめるわけにも行かない。あっという間に甲板が通り過ぎ、唐突に海に放り出される。艦から離れて機体が沈み込む。少しだけだ、少しだけ。自分に言い聞かせながら洋一は操縦桿を引いた。

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