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コハンの記憶とその重量  作者: 斉木 明天
第一章:泡の中の少女
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8.分離、そして安らかに

 イクチに向かって走る。向かってくる私を見て、イクチは大きな口を開け咆哮した。


「!」


 ふと、イクチの顔回りの全体が異様なきらめきを見せた。あれは、表面の虹色の膜がうごめいている。何かをしてくる前触れだ。


「重し、軽し、辛みも忘れ浮かび上がり給う。自由になり給う!」


 詠唱し、手を前に構えた。泡が広がり自分を包み込む。そのまま、海上を滑るようにして進み続ける。

 その直後、イクチから無数の水柱が飛んできた。

 無数に撃ちつけられる柱、その無数の攻撃を泡は防ぐ。しかし、進もうとする勢いはそがれ、足止めされてしまった。

 そこを逃がすイクチではない。ふと、その大きな頭を持ち上げたかと思うと、あっという間に私の上に影が出きた。


「うわっ!」


 その姿は圧巻。一見切れ目のない口をまたも開き、わたしを喰らわんと襲って来た。

 喰われちゃおしまいだ! 喰いにかかろうとする直前、水柱の勢いが弱まったのを確認すると、即座に泡の膜を解除した。

 そして、横手へとするりと舞い避ける。

 その直後、先ほどまで私が居た場所から大きな飛沫が吹きあがった。

 顔をあげるイクチの頭部を見る。先ほどの虹色の輝きを見せていた頭部だが、どうしてもそこに気が惹かれてしまう。

 まるで、そこを見ているだけでいつものように「みっつけた!」と癖で言ってしまいそうになる感じがした。

 おそらく、あそここそが()()()()だ。

 再び顔を上げたイクチは、またも私に向かって口を開け振り下ろしてきた。

 今だ。私は両手を海面に着け、再び詠唱する。


「重し、軽し、辛みも忘れ浮かび上がり給う。自由になり給う。広く包み込み、浮かばれ給う」


 詠唱を終えると同時に、海面が半径7mとばかりに光った。そして、自分自身を包み込むように、ドーム状に泡が噴出した。

 そこにイクチの大きな口が直撃した。泡のドーム全体の振動が内部に居ると大きく伝わる。振動で耳が痛い。

 そして、それでもイクチは私を喰おうとばかりに口を押し込んできた。泡のドームの天井が下がってきて、そして、目と鼻の先へ……!

 …かろうじて、本当に頭すれすれと言うところで、イクチの捕食する勢いは静止した。


「ふふ、惜しかったね……!」


そして、私は頭近くにまで下がった天井を見上げると、泡の外へ手を突っ込む。そして、泡のすぐ外にあるイクチの頭部を掴んだ!


「ギオオオォォオオオオオ!!!」


 金属が重く擦れると言えば良いのだろうか。およそ生物が出せるとは思えない音と共に、イクチは仰け反った。その仰け反りに合わせ、イクチの頭部にしがみついていた私は泡の外へと引っ張られる。

 イクチは、わたしを振りほどこうとばかりに空高くに顔を上げ、重く揺れ動きだした。

 だが、もう遅い。イクチの体表の泥は、噴き出したばかりのものと比べて、ある程度の硬度をもつほどガビガビに固まってしまった部分も多く、掴めるところがいっぱいだ。

 逃がさんとばかりに、両手でそれらの突起を掴み、少しずつ頭を上り始めた。あと、数十センチ先のところに、魂のコアとなっている部分がある。


「ギオオォォォオアアァァアアアア!!」


 その時、イクチが頭部を逆さ倒した。なんて変な動きをするんだ! と必死にしがみつくが、それだけじゃない! 海面だ、海面が私の背中に迫ってくる!

 この巨体に勢いを乗せて、更に海面に叩きつけられるとなれば、防ぎきれるかどうかも分からない!

 そんな事をされるぐらいなら……! 私は急ぎイクチの頭部を駆けのぼり、魂のコアの部分にたどり着いた。


「間に合ええぇぇええ!!」


 そう叫び、イクチの魂のコア部分目掛けて、手を刺しこんだ。

 手が肌に直撃する瞬間。ポオっと明るい光が放たれ、自分の手は更に奥へと、するりと入ってしまった。

 その瞬間、私を海面で叩き潰そうとしていたイクチの体が、ビクンっと跳ねあがり止まった。


「……っ!」


 そして、ああ、この感触だ。イクチの中に入った手の感触に、私は馴染みの深さを味わった。

 普通の水よりも、ほんのわずかだが粘性があり、触れるとひんやりとしていて心地が良い。触れれば触れるほどに心地よささえも感じれる液体。これは、私がよく普段から味わっているものだった。


「…やっぱり。間違いなかったのね。 イクチ、貴方は、私がかつて深海に取り逃してしまった、()()()()()なのね」


 ぽつりそう呟き、私は手をそっと引き抜いた。

 その手に乗っかっていた物は、いつも魂の泡の中から引き出している、記憶そのものだった。虹色に輝く液体には、楽しかった思い出に苦労した思い出、それらをひっくるめて、まだやり残したことがあると嘆く、死に際の未練の思い出、それらが次から次に走馬灯のように浮かび続けている。

 ふと、端の方に光を感じた。まだ朝の陽ざしの中だというのに、その光はまばゆい程の光を放っている。

 そちらを振り向いてみれば、遠い水平線の方で、イクチの最後尾が光の粒子となって霧散し始めていた。

 ああ、この世に肉体を作りだしてしまう、記憶が体の中から抜け落ちたからだ。魂はあの世に浮かべるほどの軽さを取り戻し、肉体が現世から離れていく。


「……」


 最後に、自分の手の内にある虹色の液体を見直した。

 イクチは、彼はどんな気持ちなのだろう。こんな姿に変わり果てて、人を食べようとまでして、自分が人間だった頃よりも何倍もの年月の間を怪物として過ごされ続けてしまった。

 全ては私の過ちだ。ただ、これで楽になれたと思ってくれることを祈って、最後を見届けよう。


「……おやすみなさい」


 そう言って、虹色の液体を宙に振りまいた。

 記憶だった液体は宙に飛び散ると、そのまま霧のように細かくなっていき、最後には霧散してしまった。そして、それを皮切りにイクチの頭部まで消滅が到達した。

 自分は足場を失い、空を見上げながら海へと落ちていく。

 いつもの、結界の中の澄んだ空には、イクチの頭部から出た、一つの淡い光を放つ魂が空へと浮かんでいくのが見えた。

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