50.自分自身が望む事に殉じていたい
「…知っていた? 待って、和泉ちゃん。そんな事をいつ!」
「……私、ずっとお母さん一人に、育てられてた……」
遠くの方で、式神がこちらを包囲しようと蠢く中。状況と反して静寂にさえ錯覚してしまう空気の中で、和泉が口を開き始めた。
「覚えているのは、何時も遠くに居て、声を掛けようとしても、お母さんが近づいちゃ駄目って、私を止めるような毎日」
湖畔は白地の顔を見る。
白地は、顔を背きつつ、小さく頷いた。
「お父さんのお仕事は、難しくて、あぶないから。って言うから。……今日まで、何をしているのか知らなかったなぁ。ただ、それでも……」
和泉もまた、小さく俯いて口を開いた。
「お母さんの目は、怖い獣に怯えて、かくまうような、そんな目だった。……ほとんど声を交わさないまでも、お父さんって、怖い人なのかもって。うすうす思ってた……」
和泉は顔を上げる。そして、白地に顔を向けると、淡い微笑みを浮かべた。
「私が、なんで湖畔お姉ちゃんのところに、一人置き去りにされたのか……。お母さんが、そんな事するなんて思わなかった。だから、お父さんが、とうとう私に何かをしたんだって、思った」
「……和泉ちゃん。……そんな、風に思わないで……」
白地は娘の目を見れず、小さく絞るように声をあげた。
「……白地さん、今は胸を張って。貴女が受け入れた事も事実なら、最後に加えた手で生きていたことも、事実なのよ」
湖畔は白地の背中を優しくさする。和泉もまた、微笑みのままに小さく頷いた。
「……」
「だから、私があそこの…海底、なのかな。沈められる理由、ずっと考えてた」
和泉はそう言うと、湖畔の手を両手で包み込むように握った。
「それが、キリねえと出会った後の戦いで、分かった。……私、自分でも知らない力が、才能があったんだね」
「……ええ」
湖畔は思い出す。そう、霧子が最初に教えてくれた、魑魅魍魎達が和泉を狙う訳だ。
神力も、妖力も本質は同じなのだろうか。彼らは、和泉の中に内包された、溢れんばかりの力を蓄えられる器、和泉の魂そのものを狙って襲い掛かって来たのだ。
術の経験も魑魅魍魎の知識も何も与えられなかった和泉はただ。その内に目覚めていない才能を秘めていた。
「……すごかったなぁ……。私、この世界の事何も知らないのに、二人の事あんなに強くできるなんて……。なんだか、自分が特別なんだって、少し嬉しくなっちゃった……」
「…実際。貴女は特別よ。力だけじゃない。私にとっても、白地さんにとっても、霧子にとっても……」
「……そう、だよね。そうなんだよね……」
「……っ!」
和泉が小さく答えた直後、湖畔は自分の手を握る和泉の手が、震えだしたのに気が付いた。その震える本人の顔を見ようと見直すが、その顔は下を俯き、どんな表情をしているか分からない。
「……でも、その特別って……お父さんにとっては、都合の良い、電池でしか、なかったんだよね…? 和泉の事見てくれて、家の本当のお仕事とか、そんな事教えてあげようとか、そんな事も無かったんだよね?」
「…………」
「お父さんは、和泉の事、見てくれなかったんだよね……!」
顔を見なくても、どうしても分かってしまった。肩を震わせながら、小さなひゃっくり声をあげる。和泉は、ただただ、親が遠くへ離れていっていたのに気づき、泣いていた。
湖畔は。その言葉を、否定できなかった。
瞳刻が退魔師として娘を育てようとしなかったのは。いずれ捧げる消耗品でしかなかったからだろう。特別な才なんかよりも、和泉はただただ、愛情が欲しかった。
「…………」
だから。湖畔は何も言わず、和泉を抱きしめた。
「……湖畔お姉、ちゃん?」
「…………貴女はね、本当に良い子。賢くて、勇気があって。気づかせてくれて。……本当に会えて、良かった」
そう言って、湖畔は更に強く和泉を抱きしめる。ただただ、和泉に自分の気持ちを分かってほしくて。
そこに、横からもう一人がそっと和泉の頭を撫でた。和泉は、泣き腫らした顔で顔を向ける。白地が、何かに苛矢まれるような悲しい表情を浮かべながら、ただ優しく、和泉を撫でていた。
「貴女の力とか、そんなのじゃない。貴女っていう子を愛してくれる人は、こんなにいる。だから……」
湖畔はそっと和泉を離す。
「自分が心からそうしたいって思える事の為に、生きて。いつでも、そうしたいから今そこで戦っているんだって、胸を張れるように生きて」
「……えっ?」
湖畔は後ろを振り返る。
その視線の先には、霧子が居た。
「霧子」
「…………」
「……ごめんなさい。もっと貴女と深く、なんでこの世に残ってくれたのかとか、いろんな事を話したかった」
「……何考えてるのか、分かる気がするぞ」
霧子は小さく歯を食いしばって湖畔を睨む。
「本気でやめろ。あたしがそんな諦め上手な話しをハイそうですかと言うと思ったか? 考えろ。私達3人で、最後の1人が討ってでも、粘るべきだ」
「……ううん」
湖畔は、穏やかに首を振った。
「今ね、この中で二人以上が倒れたら、この先和泉ちゃんが幸せに生きれないの。家を守れる人と、外からの何かを守れる人が居ないと駄目なの」
湖畔は、自分の胸元に手を添える。
「今なら、確実に一人だけで終わらせられるの」
「ふざけるな!! そうしたい事の為に生きろって言うなら。あたしはお前を止め――」
その時、海上から大きなドボンという音が聞こえた。
「!!」
見上げて見れば、海上から大きな牛の式神が海に潜ろうとしていた。その式神は海水によって崩れつつも、一同の居る泡に危うく近づきそうなところで、解けていた。
包囲網はほぼ組み終わり、安全地帯であるこちらにたどり着けるよう練習を重ねているようだった。
もう、時間が無い。それは霧子の目にも明らかだった。
「……」
「そんなに思ってくれて、嬉しいよ、霧子。……最後に、これだけハッキリと聞かせて」
「……なんだ」
「…和泉ちゃんが立派になるまで、泡眠家と共に生き続ける事はしたくない?」
「…………」
霧子は、湖畔の手を強く握った。
「…いいや。あたしは、一緒に居て楽しかったし、あたしの願いも叶えてくれた。……そうする事自体は、してやりたいよ」
そう喋る霧子の顔は。珍しく口角を下げて堪えるように言っていた。
「…随分、卑怯な言い方をするな、湖畔。したい事と、したくない事をひとくくりに混ぜて言うなんて…」
「……お願いね、霧子」
ありがとう。神様になってから、初めて出来た親友。こんなずるい聞き方に答えてくれて、ありがとう。
「……幸せになってね」
そう言うと。湖畔は霧子の手を離し、泡の外へと飛び出した。
「!? 湖畔お姉ちゃん!! 待って!!」
泡の中で、和泉ちゃんが遠く離れていく自分の手を掴もうと、必死に伸ばしていた。
ああ、美湖。懐かしいなぁ……。
湖畔は、遠くなっていく和泉に微笑むと、海面を目指した。
結局。自分は最初っから最後まで、大切な人を裏切ってばかり。そこは変われなかったな。進む海上に渦巻く式神達を見つつ、湖畔はそう思った。
「……でも」
それでも、自分は生きていて欲しいからするんだ。和泉ちゃんに霧子の気持ちを裏切ってでも、二人が幸せじゃないと嫌だ。
だから、今度こそは、自分自身が望んで、最後までやり遂げてやる。
これが最後だ。本来切り離そうとも離せない物を、不条理に切り離してしまう事ができる、呪われた力よ。その摂理を無視した実行力故に、自分自身さえも焦がすだろう。
その代わり、力は自分自身を焦がしてでも、叶えたい願いの為に。最後にもう一度だけ手伝って。
「っ!!」
湖畔は、海面に向かう直前、自分の胸元に手を当てた。




