47.本当の神葬祭
「案の定と言うか、お前だけ逃げるならなぁ。泡神様に和泉までも引きずり込んで逃げるとは、とんだ恥だな、白地」
向かい合う、本来であるならば夫婦と呼び合うであろう二人。白地に瞳刻。互いがその手元に式神を作り出す白紙を吹かしつつ、向かい合っていた。
「瞳刻さ……瞳刻。どうして、ここが分かったのですか」
「ははっ、分かったと言いながら嫌そうな顔をして、隙あらば背くような事を企てる。そんなお前を常々信用していると思うか?」
その言葉の直後、白地がびくっと肩を跳ねさせて、わずかに後ずさりした。急ぎ片手を動かし、自分自身の顎を触る。
しかし、白地が伸ばした手は、顎に触れる事が出来なかった。何も見えない空間で静止する。すると、何も無かった顎元の空間から、姿を浮き上がらせ、ヤモリの形をした式神が姿を現した。
白地は小さな悲鳴をあげてそのヤモリを振り払う。式神のヤモリは砂の地面に着地すると、とてとてと瞳刻のもとへ戻り、身体をよじ登って露出した腕に止まった。
すると、それまで形を成していた真っ白な式神のヤモリはその形を崩壊させる。白い紙の残骸は瞳刻の肌に張りつき、色が同化するように溶け込んだ。
「式神……」
「弱小なれど、使い道はあるものだな。はっはっは」
侮蔑を込めて笑いをあげる瞳刻。その前に、湖畔と霧子が割って入った。双方それぞれが、その手に得意の武器を構えて身構える。
「……泡神様と。はぁ? 汚らしい亡霊じゃないか?」
「……」
「つくづく呆れさせられる。矛盾ってものを感じないのか? 浄化するべき者が、浄化されるべき最もたる悪霊と一緒に、横に並ぶだなんて」
瞳刻の両腕の見える肌が、真っ白に染まり、鱗のように紙の切れ端がささくれ立った。
「私の連れのどこが悪霊だ、狂人」
「!」
思わぬ言葉に、霧子は驚き湖畔を見る。その横顔は、勇ましく瞳刻を見据えていた。
「私は、あんたの事を信じられないよ。どうしたらそこまで、ずっと隣に居る家族を、そんなにそっけないものに見れるの? 淡々と当然の事と言って笑えるの? 本当に理解できないよ……」
「理解できない?」
「そうよ!! 私にはここまで後ろめたさでうじうじしてた私の事、まっすぐに指摘して支えてくれた和泉ちゃんに霧子が居る! あんたには、私達の旅の何十倍も何百倍も長い時間一緒に過ごしてた、家族が居る!! なのに! なんでそんなに素っ気なくできるの!!」
湖畔は声を荒げ、瞳刻に問い詰めた。
これが、最後のチャンスだと思った。一体何がここまで、瞳刻の心を空っぽにしてしまっているんだ。何か、なにか、ナニカ。何を思っているのか知る事が出来れば、こんな酷い争いを避けれるんじゃないだろうか?
湖畔はこの一日の事で、瞳刻の事がどうしても嫌いに思えた。でも、嫌いな理由を解きほぐす事ができれば、心が変わり、何かが変えられるのではないかと。この場に居る、もしかすると全員にとっての、最後のチャンスかもしれない事を問い詰めたかった。
「変な慣習に、依存しすぎてるだけでしょ? どこかで、こんな事嫌だって、思ってるでしょ?」
それは、そうあってほしいという湖畔の祈りから来る問いだった。
「…………うーむ……」
その問いを聞いた瞳刻は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「その問いが……よく分からんな」
第一声が、それだった。
「……え?」
「だから、顔色を合わせて、相手が望む顔を望んだように作るっていうコミュニケーション。そんなめんどくさい行程は、当主の立ち位置としてはもう必要ない。なんで今更、そんなめんどくさい行程を踏まないといけないんだ?」
瞳刻は眉を潜めて、首を傾げて言った。
「…………ごめん、待って。貴方が言っていること、本当に分からないんだけど。私が効いているのは、家族に対しての情が、無いかってことで……」
「だから。疲れるだけじゃないか。相手が好きだと言えば、こっちも喜びそうな振る舞いに言葉を考えて。相手が怒れば、眠れなくなるまで、どういう言葉を返してあげれば、あそこまで怒らなかったんだろうなぁって、反応の想像を繰り返して、朝が来て……。気も落ちてきて、心も壊れるじゃないか」
「……」
言葉が出ない。絶句してしまった。
この男は何を言ってるんだ? 思い入れの話をして、なんで振舞い方の疲れの話が出るんだ?
それって、情と愛想の振舞き方がイコールでつながっている様じゃないか。じゃあ、その方程式に、この男自身の他人への思い入れは、何処に入るの?
「もう馬鹿みたいな時間だった、若いころは……。お前と話してると、ブリキのおもちゃに言葉を教えてるみたいだとかうるさくてな。こちとら頑張って望む言葉を毎日毎日考えてるのに、返ってくるのが人の事も考えてとか、気持ちを考えろだ。毎日毎日人の気持ち考えて眠れなくなってるんだろっての、恩知らず共が」
「……うぷっ……!」
湖畔は、思わず口元を抑えた。胃液の中が逆流しそうになった。
「湖畔!? 大丈夫か、しっかりしろ……!」
突然の体調の変化に、霧子が顔を青ざめさせて湖畔を支えた。
全く知らない、別の世界の人と話しているようだった。文章の意味を理解しようとするだけで、その言葉に則ったら、隣で心配している霧子の心配さえも、本当なのか不安になってしまいそうな、恐ろしい言葉だった。
この男に、他人への思い入れは無い。何も知らない人形が、表面だけの人間のやり取りだけを見て、それっぽく模倣して、一旦うまくいったからそれで行く事を覚えたかのような言葉だった。
怖い。怖い。怖い怖い怖い。全身の肌に鳥肌が立った、もし、そんな誰かへの思いも考えられない人生を、自分が歩んでいたらどうしよう。自分の感情とかも、表面上だけで、本筋は、瞳刻のように表面上の振る舞いだったらどうしよう。
自分自身が、今なのか過去なのか。こんな思い入れが無いだけの生き方で、毎日毎日、なんでうまく人と合わないんだろうと悩みながら、泣きながら生きてたのだろうかと想像するだけで、叫びたくなってくる。
彼は、化け物だ。人の気持ちが分からないまま怪物になってしまった、化け物だ。
「お前も言っている事が分からないか? だから、やる事があるって、自分の中で目標が出来ている以上、他人の顔色を取る必要なんて……」
「もういい!!」
両腕を抑え込み、想像を絶する寒さに凍えるように縮こまっていた湖畔は、心の底から叫んだ。
「もう、いい……もう、分かったから……」
湖畔は確信した。この親子関係に、幸せなんて無かった。
「……私、自分も含めて。泡眠家に渦巻いていた問題が、分かった気がする……」
霧子が湖畔の背中をさすってくれる。その感触を感じながら、ゆっくりと顔を上げた。
「人の気持ちを理解するって事が、本当に分からなかったんだ。誰かへの情とか、どうしてもこの人にこうしたいとか、助けたいとか。自分自身の心から湧き上がる物が、無かったり、自信が持てなかったりするんだ」
自分自身の他人からの気持ちが分からず、上辺でしか考える事ができなかった瞳刻。自分自身の心の底に和泉に幸せになってほしいという気持ちがあったのに、それでもなあなあに流されて、生かしたとはいえ、一度は海に和泉を沈めてしまった白地。自分自身の心の空白にだけとらわれて、自分自身の行動で泣いてほしくなかった人が泣いて、独りぼっちになる事に気づけなかった湖畔。
全部、本質は同じだ。自分自身から湧き上がる誰かへの思いの出し方を分からなくて、みんな気が付かず、平気で誰かの心を傷つけた。
私達泡眠家の、深く汚らしい、醜悪な闇だ。
「……気が付けてよかった。ありがとう、瞳刻」
絶望のような、とても乾いた無機質な声が、湖畔の声から搾り出た。
「私、今すごい願ってることがあるんだ。心の底から、この先何が起きても、そうなっていないと嫌だって思う事があるんだ……」
湖畔は、裾で顔を拭った。そして、まだ湿り気を持つ目で、まっすぐ瞳刻を見据えた。
「貴方が、二人の幸せにつながらない事はよく分かった!!」
そして、空に向けて両手をかざす。両手を淡く光らせると、これまで以上に最大の数の泡を、空気中に撃ちだし、空間全体に降り注がせた。
「私は、和泉ちゃんと白地さんが、幸せに生きている未来じゃないと嫌だ!! 霧子が満足して、喜んでくれる世界じゃないと嫌だ!! そんな3人が消えちゃう未来なら、そんなのお断りだ!!」
誰かにそうあって欲しいと心から願ってしまう。そんな当たり前の事を教えてくれた人が居た。
だから、何が何でも負けてたまるか。
「幸せでいて欲しいから、絶対に退かない!!」
湖畔の横で、霧子が柄杓を構えた。
「おっけー。父親何だろうが、敵だってことは分かった。付き合うぜ」
白地も、その手に白い紙きれを大量に吹かせながら、二人の横に並んだ。
「私も気持ちは同じです。絶対に、引きません」
「……ありがとう」
温かみのある感謝が、湖畔の口から出た。
満月の明かりが砂浜に照る。空中に無数に浮かぶ泡の表面に光が反射し、周囲一帯がきらきらと輝く。
ここが最終決戦だ。瞳刻に対し、湖畔、霧子、白地は立ち向かった。




