44.無尽の総意思の包囲網
「重し軽し、浮かび上がり給う!!」
四方から迫りくる顔、手。大勢が居る筈なのに匂い一つも感じない、不気味な式神の群れを前に、湖畔は両手を合わせた。手の内より噴出した一つの大きな泡に、自分と白地たちを包み込む。
一方、中に入っていく湖畔達を捕まえようと式神達は白手袋に包んだ手を伸ばすが、全てが泡の表面に弾かれた。
「むぅ、ぐ……」
泡の表面からは、360度全てに式神の顔と手が貼り付いている。どれもが自分達を捕まえようと、恨みがましく見ているようだった。
このままここに居る末に落ちる末路は目に見えている。身を抑えられ、無理やり口を開けられて、和泉ちゃんを、その口に……。
「一旦、逃げますわよ!」
湖畔は地に手を押し付ける。そして、自分たちの入っている泡の外側に、もう一つ泡を生成する。
「ハッ!」
強く念じる。3人の下に作られた泡は弾けるように膨らみ、3人の入った泡を天井に吹き飛ばした。
泡は天井にぶつかり、勢いは止まる事を知らぬまま、天井を突き破った。丸く開いた穴を残し、湖畔に白地は泡眠家の屋敷の屋根上に飛びだした。
「ふぅっ」
パチンと泡は弾けとび、湖畔に白地はそれぞれ着地する。先ほどまで居た部屋の中は、畳上に屋根から落下した瓦等が見えたが、すぐに式神の白色に飲み込まれ、無数の手が羨ましそうにこちらに手を伸ばす光景だけが見えた。
「屋敷の外へ」
「は、はい!」
二人は屋根を駆ける。端に付いたところで、屋敷をぐるりと囲んでいた塀の上に飛び移り、屋敷の外へと跳び下りて姿を消した。
一連の逃走を見た瞳刻は、わなわなと手を震わしていた。
「お、おおぉ。おのれ、おのれぇ……! やつら、決まり事に逆らうとは、泡眠家の恥が!」
ダンと一回踏み慣らす。その音を聞いてか、部屋の中央でぽっかりと空いた穴に手を伸ばし続けていた式神は、一斉に自壊し、白い紙きれのように崩れ落ちた。
瞳刻は自分の着物の懐を探り、藁で編まれた鳥のようなものを取り出す。その人形を式神の残骸群に放り投げ、最後に、難解な紋様を施した札を投げ入れた。
すると、着地した札がその表面の紋様を輝かせる。それに呼応するように式神の残骸群が全てぼんやりとした光を放ちだす。残骸たちは一斉に鳥の藁人形に渦を巻くように集まっていき、徐々に立体感ある形を作り出していった。
「双告家の鳥には劣るが、追撃には十分だろう。式神に銘ずる、泡眠家に仕える鳥として、泡眠和泉を連れてこい!」
瞳刻の一喝を受けると、式神の鳥は大きな翼を部屋いっぱいに広げた。そして、一振りで宙に舞い、その式神の大きさからすると狭い方であろう、湖畔たちが逃げ出した穴から、するりと外へ抜け出した。
瞳刻は縁側へ翻し、更なる札に退魔道具を補充しに向かう。なんとしても、今の神様らしさの抜け落ちてしまった泡神様に、本来の神様らしさというものを取り戻させる。道を踏み外すという事は、それまでの先祖が作り上げてきた、警告というものを裏切るという事他ならないのだ。そんな事を忘れてしまい、全てを壊そうとする者達に鉄槌を与える。
縁側を歩く瞳刻の上を大きな影が横切り、重々しい翼の音が遠くへと遠ざかっていった。
波の音が静かに響く中、月明かりがただ照らすだけの坂道を、湖畔と白地は走っていた。
最初は目的地と思えていた泡眠家へと続く坂を下へ、下へ。今はただ、瞳刻から距離を取り、体制を整えられる場所を探していた。
「私達は、町から離れた崖下の砂浜から上がったのよ。あそこなら、人目も付かないし、さいあく、海に逃げられる。ひとまずそこを目指しましょう」
「え、ええ……!」
和泉を背負っている白地に代わり、湖畔は周囲に敵影、人影両方が無いかを探し続ける。一見見たところ、何処も静かだった。家の明かりはちらほらと見えるのだが、誰も表に出ていない。いくら少なくても、これだけ人が密集しているところなら、少しでも騒ぎがあれば人に見られるだろう。
だが、そんな事も無意味なのだろう。「和泉を喰わせた後で、泡神様の力で記憶を消しましょう」そんな事を言っていた。誰が和泉ちゃんを喰ったら、淡々と泡神様の使命を全うすると思うんだろうか?
思い返せば思い返すほど、すぐに人は否定する癖に、型は間違いないと信奉している。つまり、彼自身の計画の中では、「和泉を湖畔に食わせれば、湖畔は完全に泡神様になって、全てが元通り」と結論づいているのだ。結論が決まっている以上、必要な経費だと思って、人の中でも攻撃してきかねない。以前、状況は追われ続けているままで変わらないわけだ。
「あの、湖畔様……」
「なんですか」
「私達……瞳刻様を、説得するはずだったのですよね。こんな決まり事は間違ってる、違う形で泡眠家を動かしていくんだって」
「……ええ。……話の腰を折ったこと、怒ってるのですか?」
「いえ。それは……私も、瞳刻様があんなにも決まり事を果たすことにしか、興味ないと思わなかったですので……」
「言っておきますが、私はあの男に蹴りを一発入れた事を否定なんてしませんよ」
「いいえ」
白地は首を振り、湖畔に微笑みを見せた。
「湖畔様には感謝しています。従うしかない、仕方ないって諦めてた私の、目を覚ましていただきました」
「……白地さん」
「もう、何回も誤ってきてしまい、顔向けなんてできない後ですが。和泉に生きてほしい為に、出来る限り頑張ってみます」
白地はそう言って、駆ける速度を速めた。
「……強いな……」
和泉をおぶさった背中を見て、湖畔はぽつりと呟いた。
たった一度、仕方ない、許されないとか捨てて、本当に望むことをしてみたらどう? なんて言っただけで、ここまでまっすぐに自分の気持ちに立ち向かえる人も、いたものじゃない。
思い返してみれば、湖畔自身が言う前にも瞳刻と白地の会話にあった。
『誓ったはずだろうに。もう分かったと、受け入れると。そう語ったのは、嘘だったという事だな』
瞳刻はそう言っていた。あれは、湖畔の居る海上に和泉を捧げたであろう儀式のときにおいて、白地が予定に無かった、和泉が生きれるような工作を働いた事を言っていたのでは無いだろうか。
誓っておきながら、彼女は和泉を生かした。それが褒められた事であるのかどうか、湖畔にはどっちとも言い難い。
でも、和泉が海に捧げられるとき、白地が何かをしていなかったら。どうなっていただろうか?
自分は生きた和泉ちゃんを見つけることも無かった。ずっと地上に帰りたかった霧子が陸に帰る事も無かった。自分が、あまりにも古く時代の遅れた、間違った仕組みの一部であることに気づくことも無かった。
「ああ、そうか……」
ここまでの旅。最初の始まりは白地さんだったのか。
湖畔は口元に柔らかな笑みを浮かべ、その背中を追った。
わずかながらに見えた、こんなの嫌だ、変えたいと思った思いが広がりに広がった道。その連鎖上で自分が出来た。
あの親子を絶対に裂かせてたまるものか。
本当の親子の背中を見て、湖畔は強く頷いた。




