41.私がそうなる事を望む
「……どうして、そんなことを…」
自分の中で噛みしめて、ようやく出てきた言葉がそれだった。
つまりだ。数百年前、泡眠家は死者が未練を持ち、妖となって帰ってくるという奇怪な現象に出会った。
それに対処しようにも、本来の当主であった、湖畔と美湖の父は別件の退魔事で命を落としていた。だからこそ、欠けてしまった怪異事を祓えるだけの、縋る事の出来る神様であり、システムを作ろうとした。
そのための人柱を提案した代理当主に、父の後追い自殺ぐらいの気持ちで志願した湖畔。それが、記憶を分離し、未練をもった魂を浄化しあの世に送る事を役目とした、泡神様の誕生だった。
しかし、泡神様を設けることができたのが、あの世に近いとされる海上。その間には、一般的な民の信仰心に捧げものの困難さ等、維持するにも持続する事が難しい点が多かった。
その問題は、湖畔が人柱となった当時から想定されていたものだった。
その為の対策として設けられていたことが、こんな始末だ。代々、泡神様が信仰心の衰えから神力を失う事があれば、神力をより多く蓄えて生まれた代の長女を、泡神様の生贄として喰わせる事だ。
それが、代々泡神様と泡眠家の間ごととして、決められた定めだった。
「……それを受け入れたのは、当時の湖畔様ですよ…」
「!!」
湖畔には、心当たりが無かった。
思わず、空いた自分の手を見た。
「……分離」
ああ、そう言う事だったのか。湖畔は、自分自身のした事を理解した。
自分は、家族の事だけは思い出せていた。けれど、神様になる事で、いずれしなくちゃならない、子孫を喰う取り決めなどは、自分の心の中から分離して捨てていたんだ。
「……あはは…」
自分は、神様として居なくちゃならないと自分に言い聞かせておきながら。神様としてやらなくちゃいけない事からも逃げていたようだ。とんだ、みじめな道化だ。
「……でも」
それでも。家族の事じゃなくて、そんな残酷な事を捨てて、良かったと思った。
「私、和泉ちゃんを食べたくなんてありません」
まっすぐと、白地の目を見てそう答え返した。
悩むことなんて無い。ここまで一緒に来て、幼くも頑張り屋さんで、怪物を前にしても間に割って入るぐらいの勇気があって、事あるごとに、湖畔自身さえも気づかなかった後ろめたい気持ちを当てて、優しく解きほぐしてくれた。そんな和泉ちゃんを、喰うなんて自分自身が許さなかった。
「何を言ってるのですか!!」
白地が、拳を強く握りしめ、怒りをぶつけるように叫んだ。
「湖畔様は……何も分かっていません!! 私だって、和泉を……和泉を、喰わせるなんて……嫌ですよ……でも、そうしないといけないんです!!」
「……」
湖畔は、娘を喰わせないといけないと、今にも泣きそうな声で震える白地を静かに見つめた。
どうしてか、どうしようもなく可哀そうだと思った。自分は、全てを縛られて、自分の気持ちもぼやけてしまっているこの人に、何が出来るだろうか?
……一つだけ、出来ることがあた。
湖畔はそっと頷くと、ゆっくりと白地を抱きしめた。
「っ……!!」
湖畔の、神様としての柔らかい触り心地の着物が白地を包む。白地は、突如自分を包み込んだ衣を、突き放す事はできなかった。
「……白地さん。まるで、貴女は昔の私みたいですね。…こんなこと嫌なんですよね。そうしないといけないって事に全身を縛られて、なんて声をあげていいかも、分からないんですよね?」
「…………」
「……このままでいいから、どうして和泉ちゃんを私に食べさせないといけないか。理由を全部教えてください」
「……え…?」
「私、全部ゆっくりと聞きます。これぐらいしかできない神様ですが……。望んでも無いのに、ずっと演じるように苦しみ続ける白地さんを、見逃せません」
自分はかつて、苦しい苦しいと言いながら、自分の望んでないことを、望んでいるような顔をして行うのが、癖のようになって生きて来ていた。
望まないことを、求められてるからって思ったままにし続けて、最後は、望まない形で不幸になった。
もう、全てが取り返しがつかなくなった自分に出来ることは、同じ苦しみを味わっている人の考えを、後悔する前に解きほぐしてあげることだけだった。
「泡神様の、記憶を分離して、魂を浄化する力が無くなったら……。未練をもった魂達が、この世に魑魅魍魎に生まれ変わって溢れかえるのですよ」
湖畔は、ゆっくりと白地の背中を撫でながら抱きしめ続ける。
その中で、白地はほつほつと、生贄の理由を話し始めた。
「湖畔様だって、見てきたのでしょう? 蘇った死者たちは、生前叶えられなかった後悔を旨に、終わった命を動かし、この世にしがみつき続けます……。彼らは、人を喰らおうとして、自分の未練を果たせる場所、陸を目指す…」
「うんうん…」
「彼らは、やがて数が増えていき……やがて普通の人達の社会に、その姿を見せるようになるでしょう。そうなったら、人間が怪異の存在に気づき、世界は、混乱に陥るでしょう……」
白地は、湖畔に強く抱き着く。すすり泣く声までもが出てき始めた。
「世界が一変してしまうんです! どうなるかは未知数……。死者を増やさないようにするためには、湖畔様が、魂を浄化できる神様として、居続けないといけないんです!!」
白地は、どうしようもなさを嘆くように、そう叫んだ。
一旦、声の反響が収まるまで。少しの間がかかった。
その間、湖畔は白地の悲痛な叫びを、心の中に反芻させていた。
「……」
しかし、変な気持ちだった。
こんな問いを掛けられれば、この世の平和をとるか、和泉の命をとるか。自分自身だったら、狼狽え悩むだろうと湖畔は思った。
だが、自分の存在意義も消えて、これから強い未練を持った死者がこの世に生まれ変わる。そんな時代も世界も変わる危険を賭けた話だというのに。世界と和泉の天秤は、和泉に傾いたまま、これっぽっちも傾く様子が無かった。
妙な自分自身の落ち着きに、湖畔自身が困惑していた。
「(……どうして?)」
なんで、自分がこんなにも焦っていないのか。自分の中に、理由を探す。
『あたしは、家族の墓参りがしたいな。ずっと待たせてごめんって、謝りたいんだ』
「!!」
自分が、記憶を分離するたびに潜っていった暗闇。自分自身の暗闇の中から答えを探していると、一緒に旅をしてきていた。叶えたい願いにまっすぐだった、勇敢な仲間の姿が思い浮かんだ。
それで分かった。
自分は、もう知っているんだ。世界がそうなるという事が、どういう意味かを。
「…………白地さん」
「なんですか」
「それだけですか?」
「……え?」
静かに言う湖畔の声に、白地は、困惑の声をあげた。
「いいじゃないですか、それで。和泉ちゃんを喰い殺してでも、死者たちを死んだままにする必要なんて無いんですよ」
「……な、何を言ってるのですか? 湖畔様……?」
場の空気は一転していた。大人びた口調を孕んでいた白地は、困惑と焦りを顔に浮かべていて。それに対して湖畔は落ち着き、静かに見据えていた。
「私、死んだ後でも後悔し続ける人の気持ち、痛い程分かります。それが、生命として死んだとしても、縁としても死んだとしても」
「!」
「自分と同じように、取り返したいって泣き続けている彼らの、離したくない記憶を、切り離す事なんてしたくない」
そう言って、湖畔は優しく微笑んだ。
「どうして、ですか…。私、理解できません……。この先、そうやって生まれ変わった魑魅魍魎達に、喰われたり、居場所を無くす人間が生まれるかもしれないんですよ? それさえも、許容するというんですか!!」
そう声を荒げると、白地の目から涙が強く出た。
湖畔は思う。ああ、これこそが、白地が自分の娘を捧げたくないという気持ちを、許せなかった一番の理由なんだと。
自分の娘を生かすという事は、それによって変わった世界で、多くの人が転生した死者たちに、喰われるだろう結果を、受け入れる事だと。そう思ったからこそ、白地はその未来を許せず、自分自身の気持ちも許せなかったのだ。
……でも、湖畔はそれに対しても答えが決まっていた。
「そんな事、許せませんよ。…今、起きるかどうか悩んでも、仕方が無いことですけれどね」
涙を流す白地の頭をそっと撫でながら、湖畔が優しく語り掛ける。
「私、これから多くの人が変わっていく世界に飲み込まれると思います。……でも、それと同じぐらい、誰かと誰かが出会ったりすると思うんですよ」
湖畔の頭には、あの舟幽霊の姿が浮かんでいた。
出会った時に、和泉を喰おうとしてでも陸を目指していて。仲間になったら、なんと率先して、二人の仲間を守るために自分を犠牲にして立ち向かっていた霧子。
恐ろしい怪物達と同じぐらい。霧子みたいな、心を持った人たちも第二の人生を掴むんだろうなと思った。
「私、そうやって出会っていく人達が生まれる世界って、素敵だなって思います。だから……それでも怪異に喰われる人達が生まれるのなら。私、残りの生涯、自我の無くなった人達が人間を出来る限り襲わないように戦い続ける人生を歩もうかなって思います」
「え……?」
白地は、思わず顔を上げた。
「その方が、何も無かった事にする神様よりも、余生、神様らしく生きていけるなって思うんです」
人と魑魅魍魎の境を作りながらも、それでも何かを取り戻したくて生まれ変わって来た人達の、第二の
人生を応援したい。
霧子みたいな人たちが生まれて、和泉ちゃんが生きていける世界。
湖畔は、そのためにこの先の未来を生きることを決めた。
「……白地さん」
湖畔は白地に語り掛ける。
「瞳刻氏を説得しましょう。古い慣習で、古い神様を選ぶよりも。新しい時代の生き方を、泡眠家と、湖畔で作っていきましょうって」
そう語る湖畔の顔には、綺麗に満月の光が当たって輝いていた。




