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コハンの記憶とその重量  作者: 斉木 明天
第五章:記憶の重さ
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39.満月に合わぬ欠落

 やや古めかしい薄暗い照明が和室内を照らしている。湖畔は、その顔に影を落としながら静かに和泉の頬を撫でた。

 縁側の方の、襖の空いた場所から空を眺める。

 長い間こうしていたのだろうか。屋敷周りをぐるりと囲む塀に日が落ち、空は鮮烈なほどのオレンジ色に染まっていた。


「泡神様、そろそろ夕食をご用意いたしますが。お酒はいかがいたしましょうか」


 外を眺めていると、室内側の襖が叩かれ、瞳刻の声がした。


「いえ。もともと、儀礼以外に酒を飲んだことなど、無いので……」


 ゆっくりと、瞳刻が襖を開けて湖畔に一礼をした。

 その礼に湖畔は顔を向けず、空をぼんやりと眺めたまま呟く。


「和泉ちゃん、まだ目を覚ましません…」

「…娘は、慣れない神力を、無理に使いすぎたのでしょう。当家の修練者も、無理をするものは初めのうちにこのような状態になります。明日の朝には、目を覚ますでしょう」


 ご心配はいりません。そうとだけ言うと、瞳刻はふすまを締め、どこかへと去っていった。


「……和泉ちゃん。帰りたくないなんて様子、見せなかったのにな……」


 湖畔はため息をついた。娘の葬式をしている最中に娘が帰ってきて、あんなにも高揚も見せない人を、落ち着いた人で済ますのはどうにもできなかった。


「ごめんね、和泉ちゃん。貴女のお父さんは、どうも苦手だわ。…ここを去るのは、貴女が目を覚ましてからね」


 そう言って、再び和泉の頬を撫でた。


「おかしいなぁ…。家に送りさえすれば、それだけで晴れるはずだったのに」


 それから、暫くの時間が過ぎ、十数分ほど経った。

 その時、襖がとんとんと音が鳴り、今度は女性の声が聞こえてきた。


「湖畔様、いらっしゃいますでしょうか」

「その声……白地さん?」


 襖が開き、正座した白地が姿を見せ深くお辞儀をする。


「お食事のご用意が出来ました。私達の町は、漁業が盛んでありますゆえ、海の幸をふんだんにご用意させていただいております」


 そう言って、白地は立ち上がり部屋に入り、そのまま、部屋の中央まで部屋に向かう。


「!」


 そこで、湖畔は着物の裾の影に、白地が絞ったタオルを持っているのを見つけた。

 白地はそっと和泉の傍に腰かけると、額にタオルを置いた。


「熱という訳ではございませんが……神力の浪費にも、多少の効果はあります」

「……」


 白地は立ち上がり、部屋の入口へと向かう。


「それでは、湖畔様。こちらへ」

「…ええ」


 湖畔は、少し顔に明るみを取り戻し、笑みをもって頷き返した。




「ささ、湖畔様。お酒を」


 先ほどの広い和室にて、湖畔は瞳刻と白地と向かい合ってテーブルを囲んでいた。

 瞳刻が湖畔の前に置かれた器に、徳利を出す。


「…ええ。いただきます」


 湖畔は静かに頷き、そのお酒を受け取る。一礼し、静かに飲んだ。


「…お酒なんて、百年と少々。そのぐらい懐かしいです」

「捧げものを、奉納できなかったことは、誠に申し訳ありません」

「いえ、そういうつもりじゃ…」

「泡神様の神域は、本土より遥か離れた八条島近海。行程もさながら、途中の海域には、魑魅魍魎が溢れすぎており、近づけませんゆえ…」

「大丈夫ですよ。捧げものが無かったから怒ってるわけではありません」


 湖畔は近くの刺身を取り、小皿に注がれた醤油に漬ける。そして、ぱくりと喰らった。


「んむっ。んむ、んむ……うん」


 美味しい。海上で刺身を捌くたびに醤油が欲しいと思っていたから、欲しいものもこうして喰えて、ほんとうにありがたい。


「…美味しいです」

「それは良かった。何分、暗い表情のままだったので、お気に召さなかったかと」


 それぞれが箸を進め、食事をする中。湖畔の手だけが止まった。


「……今日、和泉ちゃんの葬式だったのですよね。参列してた方たちは?」


 瞳刻は、うーむと静かに唸り、思い出すように口を綴る。


「そうだな…。もう、この町全体に知れ渡っただろうな。湖畔様が、あれだけ正面から死んだはずの娘を連れてきたから。死んだと思っていたはずの人々は、全員生きている事を認識したでしょう」

「!!」


 ガタッと、湖畔が席を立ちあがった。


「……」


 湖畔は、裾の下で力の限りの握りこぶしを握る。瞳刻を静かに睨むが。少しして目を閉じた。


「……本日は、ご飯をありがとうございます。先ほどの話もそうですが、お供えだなんてそんな。私、神様らしいことなんて、人様にしたことはありませんし。ええ……」


 声を震わせながら、湖畔は頷く。


「だいぶ、お腹いっぱいになりました。私は、和泉ちゃんが無事目を覚ますのを見届けたら、失礼いたします。本当に、ご馳走様でした」


 湖畔は口早にそう言うと、一礼をして、和泉の部屋へ向かって歩き出した。


「父親らしいことはしてほしかった…」


 去っていく中、残る二人に聞こえない声で、湖畔は小さく呟いた。




 それから数十分が経った。

 元の部屋。湖畔は、壁際に腰かけうずくまっていた。視線の先には、変わらず動かず眠りについている和泉が居る。


「……教えてよ、和泉ちゃん。早く目を覚まして、なんであんな人が居る相手のところに帰りたかったっのか、教えてよ…」


 湖畔はそう言ってうずくまった。

 その時、遠くでごとりとくぐもった音がするのが聞こえた。


「……ん?」


 木造のものに、何かが打ち付けられるような音だ。

 一体なんだろうか。湖畔は、気分紛らわせに、音を確かめに行く事にした。




 縁側に出て、そのまま道を進んでいく。庭は砂利石が敷き詰められており、空には綺麗な満月が出ていた。


「……」


 湖畔は歩きながらその満月を少し眺めたが、ため息をついて首を横に振り、目を背けた。

 縁側の曲がり角が近づくにつれ、音は大きくなっていく。


「やっぱり、ここあたりかしらね…」


 曲がり角にたどり着き、そっと角に張りつく。


「……」


 そして、恐る恐る曲がり角を覗き込んだ。


「……っ!」

「あぐっ!!」


 覗いた先には、襟首をつかまれ、障子に押し付けられた白地の姿があった。

 苦しそうに首元を抑えるが、その拳から肩へと順々に視線を追って行けば、白地を押し付けている相手が、瞳刻であるのも分かってしまった。


「なに、して……」

「うう、ぐ、や、やめてくだ……」

「…湖畔様が来たのは、まだ良い。しかしだな、和泉の方は、どういう事かな。おかしいじゃないか」


 白地は、息を取り戻すように力の限りで自分を押し付けている瞳刻の腕を降ろそうとする。

 しかし、体格も筋力も圧倒的に上回っている瞳刻の腕は緩まる様子を見せない。


「誓ったはずだろうに。もう分かったと、受け入れると。そう語ったのは、嘘だったという事だな」

「あ、う、どう、こく。さま……」

「騙せると思ったか!!」


 怒声と共に、瞳刻は更に白地を障子に叩きつけ直す。


「そんな事をしても、湖畔様は、こうして和泉を連れて海から帰って来た。…決まり事を背いた罰は、こうしてお前自身に帰って来たのだよ、白地!!」

「ふざけるなっ!!!」


 その瞬間、湖畔が飛び出し二人目掛けて跳び込んだ。

 宙を舞い、縁側の天井すれすれでパンっと両手を打つ。


「重し軽し、浮かび上がり給う!!」


 白地と瞳刻の間に手を挟む。そして、両手の手のひらを瞳刻側に構え、瞬発的に手の平から巨大な泡を弾けさせた。

 泡に顔を弾かれ、瞳刻は砂利の溜まる庭へと吹き飛ばされた。


「ぬぐあっ!!」


 宙を舞う瞳刻。しかし、空中でその筋肉質な肉体を翻らし、地面にしっかりと着地した。


「白地さん、後ろへ!!」


 湖畔は、咽び込む白地を自分の背後に回し、庭先の瞳刻へ構えた。


「あんた何を考えてるんですか!! 家柄とか、お家事情とかさっぱり分かりませんよええ! でもですね!! 死んだはずの娘が帰ってきて喜ばないどころか、奥さんに罰だなんだ叫ぶとか、正気ですか!!」


 湖畔は、これまでにない程の叫びをあげた。呼吸を荒くし、両手を構え直し瞳刻を睨みつける。


「答えてください、瞳刻。貴方は、なんでそんなにも和泉ちゃんを毛嫌いするんですか!!」

「……」


 しばし、その場に沈黙が訪れた。

 その間、抑え込みから解放された白地は静かに縁側に座り込み、俯いて動かなかった。


「……毛嫌い、とな」


 低く、重苦しい瞳刻の声が。限りなく引き伸ばされたような重い時間を解きなおした。


「やはり、何かがおかしい。湖畔様」

「何がですか」


 瞳刻はゆっくりと立ち上がり、両足をしっかりと地につけ、睨むように湖畔を見据えた。


「貴女様が、和泉を連れてくるのがおかしいという事だ。もう一度問う。湖畔様、貴女様がここに来たのは、和泉を家に帰す事だけか!」

「…結界外の魑魅魍魎がどうなっているか、気になった事も、叶えたい願いもあった事もある! だが、この家への用事は、和泉を家に帰す事だけだ!!」


 その宣誓を、瞳刻は静かに聞く。


「……やはり、貴女様は忘れておられる」

「なんですって?」

「貴女様は、和泉にするべきことを、人柱となり、神に転じたことを命じられていたはずだ。貴方は自分自身を騙しておられる。それゆえに、ここまで来た!!」

「なっ」


 瞳刻は、あたりが微かに振動するほどの重く大きな声をあげる。

 その言葉に、湖畔は全身の汗が噴き出すようなおぞましさを感じた。


「……」


 瞳刻の怒気だけじゃない。なぜか、全身の体が逆立つのを感じた。


「……湖畔様。貴女様は、それを思い出し、果たさねばならない。それこそが、泡眠家みなが同意した、使命だ」


 そう言い、瞳刻は庭を横手へ歩き始めた。


「私は、下準備を始めてくる。白地、それまでに湖畔様に全てを説明するのだぞ」

「…………」


 白地は動かない。そのまま、静かに瞳刻はその場を去っていった。


「いったい、なんだっていうのよ……どうして、こんなこと……」


 湖畔は瞳刻の去っていった方を見届ける。全てが硬直し止まったその場を、満月の月明かりだけが照らしていた。

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