35.残り続ける跡
町の中へと湖畔は歩き進み続ける。
歩き続けながら、湖畔は思った。自分のしてきたことは、本当に何だったんだろうと。
いくら名前を変えても、自分の中の記憶を消しても、元との繋がりが薄れるだけ。薄れても、そう言った事があった過去は。ずっと、ずっと残り続ける。
自分が妹と母を残して、死ぬことの意味を考えず、取り付くように神様になろうと縋った事も。裏切って、きっと、妹が自分を妬ましく思っているだろうことも。
全ては、自分自身が自覚できないよう遠ざけただけ。その記憶の重さに、自分が気づけないよう遠ざけただけ。
気づいた今となっては、重い。重いだけだ。助けてと悲鳴をあげても、その過去を知っている人が見れば、叫び声をあげる口の中に、熱く熱した焼き鏝を押し込まれ、自業自得だとけなされながら、舌を焼かれて二度と言葉になった悲鳴をあげられないように、止めを刺されるだろう。
そんな妄想に取りつかれるぐらい。忘れていた記憶は、湖畔の事を蝕んでいた。
「……湖畔お姉ちゃん、大丈夫?」
「え?」
「すごい怖い顔しているよ? 今にも、死んじゃいそうな顔」
「…今になって、これまでの全部の失敗に、過ちを思い出してるだけ」
湖畔は首を振る。ここまで来た旅は、自分にとってなんだったのだろうか。過去の重みに耐えられなくて、全部を忘れて、無垢なふりをして。それを、和泉と居るうちに、否が応でも思い出す事が続いていた。
「きっと、これで良かったんだと思う」
思い出すだけで、この世の全てが殺しにやって来そうな妄想に狩られる、悪夢のような裏切りの思い出。どれだけ忘れようとしても、その傷跡は、外のあらゆるところに残り続けている。
そうだ。自分自身が、それを思い出しただけで、ずっとずっと、価値はあった。
変に、自分が都合の良い解釈をして記憶を覚えてない事を祈りたい。自分は、記憶の重みを忘れないまま。一生その苦しみを背負い、そして乗り越えるべきだ。
その道が分かっただけで、ここまで一緒に旅をして、良かったと思う。
「ここが、和泉ちゃんの町……」
港町は、坂の場に石垣があちこちで建てられ、その上に出来た土地に家が建てられている。昭和頃の雰囲気の漂う街だった。
湖畔自身も、家の造りなどは所々新しいものが目に入るものの、その中には湖畔が生きていたであろう時代ぐらいの家もあり、親近感を覚える場所だった。
「なんだか、私さえも懐かしくなっちゃうわね…」
「わぁ……! 間違いないよ、湖畔お姉ちゃん、ここ、私が住んでた町だよ!!」
湖畔の背で、和泉が大はしゃぎをした。
その安堵が見れて、湖畔は嬉しかった。ここから、湖畔の眠っていた結界までどのぐらいだろうか。おそらくは、数百キロメートルはある。
そんなにも遠くのところから、はるばるやって来たんだ。なんとも、感慨深いものがあった。
「それにしても……本当に、なんで和泉ちゃんは、深海から浮かんできたのかしらね…」
「…なんでだろうね? もしかして、私ももう死んじゃってて、人に近いけれど、取りこぼしだったりして? あはは」
和泉は、困ったようにそう笑った。
「それは無いと思うわ。それだったら、私が、人か魑魅魍魎かぐらい、見ただけで分かるもの」
と言って、湖畔は和泉を背負いなおした。
「そっかぁ、じゃあ、わたし、は。……どうして、か、なぁ……」
「…? 和泉ちゃん?」
ふと、言葉を続けようとした和泉の言葉が途切れ、うつらうつらとし始めた。
何事かと湖畔が振り返った頃には、和泉の頭が湖畔の首元に倒れ掛かってくる。
「わっと。あらら…?」
耳を澄ましてみると、和泉はもうスースーと寝息を立てていた。
「なんとまぁ…。突然ねぇ」
先ほど、霧子は和泉の現在の症状を、精神における筋肉痛のようなものだと言っていた。言ってみれば、精神疲労にも近い状態なのだろう。それゆえに、眠りについてしまったのだろう。湖畔はそう納得した。
「ふぅ…。はやく、和泉ちゃんのご両親、見つけないとね……」
そう呟き、湖畔は足を進めた。
進めば進むほど、乾いた土にふんだんの砂利を含んだ坂、そして、脇に石段が並び、段々坂となっている町の様子が見て取れた。
「…しかし……変だな」
しばらく歩いたところで、湖畔は首を傾げた。
人間が、居ない。誰も居ない。
今はお昼もまだ遠い、朝方との中間。多少なりとも、表で仕事をする人の姿ぐらいはあるだろう時間帯だった。
なのに、誰も居ない。海上からは輝いた黄金郷のようにさえ思えたここが、徐々に不気味に思え始めてきた。
「はぁ……」
和泉を胸元で抱きかかえ直し、石垣に背を付け一息をついた。
「これじゃあ、あれねぇ……そもそも、和泉ちゃんの苗字、聞いてなかったわ…。これじゃあ、どこか和泉ちゃんの家か…」
久々に見えた気がする青空を、湖畔はぼんやりと見上げる。霧子の方も、今頃は町に人が居ないのを妙に思っているんだろうか。だが、霧子の方はそれでいいのかもしれない。今頃彼女は、おおっぴらを自由に探索できるぜ、なんて言って探し回っていそうだ。
「……って、そんな感じではしゃいで、人に見つかったりするんじゃないかなぁ…」
霧子は大胆で好きだが、そんな風に地雷にはまるような気がする。湖畔はなんとなしにそう思った。
「さて、と……ん?」
片手で石垣を押し、湖畔は立ち上がる。その時、付けた石垣の下に、妙な跡があるのを見つけた。
なんだろうか、自然にできた者ではないように見える。
「これは……落書き?」
そこには、石でひっかき傷を作ったような、雑な丸が書かれていた。その丸の中には、人魂のような炎が書き込まれている。それが、2つ並んでいた。
「……変わった落書きね」
首を傾げつつも、湖畔はその表面を撫でる。
「…ていうか、この外の丸、中の魂。……まるで、私の泡みたいね、魂が中に入ってて分離するみたいな、あはは」
そう言って、湖畔は笑いかける。
「………は?」
しかし、笑いが途中で止まってしまった。
自分の言葉に違和感を感じた。普段、泡の中にいろんなものを入れてるといえ、目の前の丸は、泡と言うのがしっくり来すぎた。
「なんか、この落書き…」
言うか? 言うべきか?
その先に続く言葉が何なのか、自分でも分からない。思考停止を促すように、頭の中に問う警告文が出てきた。
自分自身が、それ以上続けようとしない。その先を続けるな、頭を止めろ。ゲートを封鎖する警備員のように立ちふさがり。なんで立ち入り禁止なんだと言っても、その警備員は答えを返さない。
なんで、その先の言葉を自分に教えてくれないんだ。湖畔は硬直したまま、自分の頭に不満を言う。
「……いや」
でも、先ほど自分が言った言葉を思い出す。
記憶の重みを忘れないまま。一生その苦しみを背負い、そして乗り越えるべきだ。
そう言ったばかりだ。嫌なことこそ、全部思い出して、全部受け止めて苦しめ。自分にそう言い聞かせたばっかだ。
湖畔はそう決断した。そして、動きを抑えかける顎を、必死に動かす。震える口を動かし、その先に続く言葉を、無理やり促した。
「…この、落書き。なんか、知ってる、ような……」
その瞬間、目の前が真っ白になった。
「!!」
目の前が立ち眩み、周りの視界が何十倍、何百倍にも距離間隔も肉体も引き延ばされるような感覚に見舞われる。
これは、イクチと対面した時に見えた光景だ。発作のような、フラッシュバックだ。
「和泉ちゃん……っ!」
過呼吸になりかける息を持たせようと、更に息を苦しく吸い込み。間違って和泉を押しつぶさないように、倒れる前に石垣に横向きに体を預ける。自分と和泉の重みを、石垣に預ける。
そして、目の前の石垣に書かれた落書きから、湖畔は目を離せないまま、意識が遠のいた。
どこか遠くで、楽しかった思い出が蘇る。
姉妹で仲良くした思い出。最後が裏切りだっただけに、全部が自分自身への罰となって返ってくる思い出。叫びたくなる思い出。
白くぼやけた景色の中で、姉は妹の手を引いていた。両親にその姿で出歩いちゃ駄目だと言われていた着物を腕のところで縛って、動きやすくした恰好。おうちには内緒で、町に飛び出した思い出。
ずっとずっと、おうちの事に従って、まるでおうちが何を求めてるか、脳内当てのように従い続けた日々、ちょっとぐらい、自分たちの自由に、楽しいことをしてみたくなった。
「お姉ちゃん、何してるの?」
村の曲がり角で、姉は小石を拾って、近くの石垣を見た。
「ふふっ、ちょっとぐらい悪いことしてみたくない? 村の子供は、小枝とか小石とかで、絵を描いたりするんだって。だから、ほら」
そう言って、姉は近くの石垣の一つに、落書きをした。
自分の家系、泡眠家のシンボルと言える泡。そして、その中に魂を描く。退魔の家系として、自分達の家が誇りを持ってる退魔術の術をイメージして落書きしてみた。
「ふふっ、良い感じにかけたじゃない?」
「わぁ……。わ、わたしも、いい、かな?」
妹は、姉にやっていいか聞いてくる。可哀そうに。ずっとずっと、言う事以外やると、厳しく罰されてきたから、ずっと顔色を見てしまっている。可哀そうな、私の妹。
「……ええ。聞く必要もないわ」
そんな妹を、悲しく思ってしまう。だから、そう言葉を添えて、私は妹に石を渡した。
妹は、自分の落書きの横に、たどたどしく石を描いた。
その落書きは、自分たちが自分の気持ちで、自由にやってみた証みたいに思えた。
「……ふふっ」
でも。結局その落書きは、後でその石垣の上に立っている家の村人に見つかって。私たち姉妹は、外に出たことも、落書きしたことも、酷く叱られた。全部けなされ、罰されてきたから、どこまでがやって良いことなのか、分かり切れてなかった。
妹に、自由な事をさせてあげたかったためにやった、悪戯への挑戦。
家の言う事以外をやってみようとして、むしろ妹に、家に従わないと、ダメだってことを植え付けてしまった思い出。
私自身の、楽しかった思い出に、最後の結末だけに、嫌なことに変わってしまった、思い出。
「-かはっ! はぁ、はぁ、はぁ……!」
意識が真っ白な状態から戻って来た時、湖畔は、自分が苦しいぐらいに息を乱していたことに気が付いた。
急いで背中を確認する。和泉をおぶさっている手が、離れかけている。半分ぐらい石垣が和泉の体重を支えていた。
「…っ!!」
急ぎ、和泉を背負いなおした。危うく、過去のあれこれで気が変になったままに、今を台無しにしてしまうところだった。下手な発作で、和泉ちゃんに大怪我を負わせかねなかった。
「ハーっ……はーっ…………はぁ……」
美湖、ごめん…。口から、またも許しを請う言葉が出てしまった。
「…………」
少し落ち着きを取り戻し、目の前の落書きを見直す。
その落書きは、改めて見ると、覚えがあるものだった。湖畔自身が、昔に書いたものだった。
「……この町、やっぱり、知っている……」
湖畔は確信を持った。
この町、和泉ちゃんが住んでいるこの場所は。数百年前、湖畔自身が、妹と共に住んでいた場所だ。




