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コハンの記憶とその重量  作者: 斉木 明天
第四章:海中の最後の門
32/53

32.手を伸ばしたくなる日の光の下で

 海坊主の背後、海面のぼやけ見えなくなるところには、光が無かった。海上の結界がそこで途切れ、ゴールが見えている。

 立ち向かうんだ。3人はそれぞれ一様に自分を奮い立たせ、海坊主に向かった。


「和泉ちゃん、お願い!」

「うんっ!」


 霧子の背中におぶさっている和泉は、湖畔の第一声を聞くと、湖畔から差し出された手を握った。

 湖畔の心臓が今一度大きな警鐘を鳴らす。鳩尾を殴られたかのような痛みの後に、その痛みをも飲み込むような体の滾りが溢れる。


「重し、軽し、浮かび上がり給う…!」


 湖畔は残った片手を出し、3人を包み込み、一回り余るほどの大きさの泡を作った。


「行くよ!!」


 そして、海坊主の傍らへ向かって、泡を加速させて跳び込んだ。

 迫りくる海坊主の顔。正面衝突は避け、顔の横を通り過ぎるぐらいの気持ち突撃する。

 海坊主はそれを捕まえようと、明らかに間に合わない遅さで手を動かす。しかし、そこで湖畔たちは自分の目を疑う景色の揺らぎを見た。

 一瞬、それぞれの視界がぼやけたかと思えば。鮮明になった頃には、海坊主の顔が進行方向上に来ていた。首をそんなに早く動かせるわけが無い。明らかに、瞬間移動しているようだった。


「うらああぁぁぁあああ!!」


 しかし、湖畔は止まる事を知らず、そのまま突撃した。

 3人を食べようとばかりに開かれた海坊主の口を、3人が入っている泡で蓋した。


「ゴオォッ」


 重くもあっけにとられたような声が響く。海坊主はその落書きのような口を出来る限り開いているが、それでも、泡は口を通らずに突っかかってしまう。

 そこを逃さず、湖畔は手を泡に沿え、念じた。


「膨らめっ!!」


 ボゴン。骨が軋む嫌な音を乗せ、泡は更に二回り膨張した。

 泡を口にくわえていた海坊主、その口は、顎の先端が真下を向き駆けるほどに押し出された。


「~~~!!」


 海坊主の絶叫が、口に押し込まれた泡の膜に反響し、大きくくぐもって泡を揺らした。


「霧子、お願い!」

「りょーかいっ!」


 湖畔の合図に、霧子は和泉を伴って泡の外、海中側に飛び出した。


「行くよ、キリねぇ!」

「どんとやれ!」


 そして、和泉が霧子の背中に手を押し当て。今も動いているか分からない霧子の心臓に力を流し込んだ。


「カハッ! ああぁっ! ちっくしょう、慣れねえなこれ…!」


 苦しさに歯を噛みしめながら、霧子は柄杓を手に握りしめる。柄杓の淵から極限に細められた水があふれ出した。噴き出す水は、冷えた海水を押し出し、視認して見える細い刃を作り出した。


「斬りおろしぃぃぃいい!!」


 霧子は出来上がった柄杓刃を斜め上に振り上げ、海坊主の顔中心に跳び込む。

 そして、威勢の着いた叫び声のままに顔の中心を斜めに、上から下まで大きく斬り下ろした。


「ゴオオォオオオアアアァァァアア!!!」


 怪物は、絶叫のままに怯み上げた。限界まで伸びきっていた顎を更に開け、その拍子で湖畔の入った泡を離す。

 すかさず、霧子は湖畔の入った泡の中に入った。


「ただいまっ」

「湖畔お姉ちゃん、今だよ!」

「分かったわ!」


 湖畔は、霧子と和泉の顔をそれぞれ確認し、しっかりと泡の中に入って来たのを確認する。そして、和泉の手を握ると、片方の手を泡にかざし、動かす。

 そのまま、両手をゆっくりと頭に近づけて、今しがた受けた顔のあちこちの痛みで悶える海坊主の横を潜り抜けた。

 背後に海坊主を見届けながらも、湖畔は先へ先へと泳ぐ。


「む…」


 ふと、視界の揺らぎをまたも感じた。ぼやけては、戻る。視界が戻るとまたも目の前に海坊主が居る。が、その海坊主は、背後に置き去った時のように、未だに顔を抑えて痛みのままに叫んで悶えていた。


「! やっぱり……!」


 湖畔は、またも背後に海坊主を置き去りにして頷く。


「みたいだな…! あいつ、てめえの体調整えてからワープするわけじゃないな」

「ええ。相手を認識していたら、勝手に移動するのかしら…。海坊主自身を動けない状態にしておけば、何度瞬間移動してきても、こっちを攻撃できないみたいね!」


 湖畔と霧子、互いに頷き合った。


「これなら、いけるね、二人とも!!」


 2回、3回。視界が揺らいでは何度も目の前に海坊主が現れた。そのたびに、湖畔は動けなくなっている海坊主の横をすり抜けるようにして前に向かった。

 距離も半分ほどを切り、海上の結界の切れ目が、良く見えてきた。

 常に絶えることなく揺らいでる光の向こうは、湖畔が自分自身の入っていた結界を越えた時に見たのと同じ空が広がっている。なんの術も掛けられてない、純粋な空がそこにはあった。


「もうすこし、後もう少し……海坊主は!?」

「ああ、そろそろ顔降ろしそうだ。もう一回、斬りつける必要があるかもな……ん?」


 尋ねる湖畔だったが、それに対し答えていた霧子の声色がくぐもった。


「どうしたの?」

「いや、海坊主が手を降ろしたんだが……なんだ?」

「?」


 湖畔は首を傾げる。その時、またも視界が揺らいで目の前に海坊主が瞬間移動してきた。

 たしかに、海坊主は顔を抑えていた腕を降ろしだしてる。しかし、それよりも気になる事があった。

あれだけ和泉を喰おうとしていた海坊主が、瞬間移動してきたというのにこちらを見ていない。空だ。空を仰ぎ見ている。


「ほんとね、何かしら……」


 訝しく思いながらも湖畔は海坊主の横をすり抜けた。その時も、海坊主は空を見続けていた。

 ただ、空を見続けて……。がばっと、顎が再び極限に開かれるのを見た。


「!?」


 湖畔は目を疑った。海水が乱れるごぼっと言う音が響き、海坊主の口から、大量の黒い液体が噴出した。

 黒い液体は海面に向かって広がっていき、海面を覆っていく。液体は海面をどんどん包んでいき、3人が目指す結界の切れ目にも向かって、どんどん浸食していった。


「何あれ…!?」

「分からない! だが…まずいぞ!」


 霧子が、泡の中で後ろを振り向く。そして、泡の外に柄杓を突き出した。


「せっかく海上を覆っていた結界が切れるっていうのに、あの液体に飲み込まれたら。最初となんも変わらねぇ、海坊主と延々と追いかけっこしておしまいだ!!」


 霧子はそう叫ぶと、柄杓を両手で強く握りった。そして、ぽっかりと穴の開いた柄杓から、大量の水が激しく噴き出し、3人が入ってる泡を、更に前へと加速させた。

 湖畔は念じる。泡よ、もっと速く進めと。

 霧子も念じる。もっともっと、柄杓よ、水を噴出せ。私たちを無事で居させろと。

 2人が必死になる姿を、和泉は見ていた。


「2人とも…」


 揺れる泡の中、和泉は空を見上げる。海坊主が吹き続ける黒い液体は、海面をどんどん覆っていき、

それでも間に合わず、3人が入っている泡の真上を通過しようとしていた。

 このままじゃ、間に合わない。


「……」


 最後に和泉は、自分の手を見た。そっと出した両手、手のひらは、全部の指がぴくぴくと痙攣している上に、腕そのものもがくがくと震えていた。


「……うん」


 和泉はうんと頷いた。自分自身が一番帰りたがった旅だったけれど、ただの人間である自分にも、出来る事があって良かった。


「二人とも!!」


 和泉はそう叫び、前と後ろ、それぞれに向かってするべきことをしている二人の背中に、手を押し当てた。

 どくんと、二人の心臓が更に激しく脈打った。


「!!」


 かはっと、小さく咽ぶ湖畔と霧子。

 そして、それと同時に、和泉は脳内で強く殴られたような感覚に襲われた。

 その直後、泡は加速していく衝撃に耐えるようにパンッとその表面に張りを取り戻す。そして、柄杓からは、何倍もの水がジェット機のように噴き出した。

 海面を覆っていく黒い液体を置き去りにし、前へ進んでいく。


「いけぇぇぇええ!!!」


 湖畔は、泡の進む向きを海面へ傾ける。

 その先にあるのは、結界の途切れた海面だ。




 バシャン! 泡は海面を突き抜け、そのまま、柄杓から噴き出す水の勢いのまま、空高くへ飛び上がった。

 飛び出した直後、まるで尾を出した鯨のような、巨大な海坊主の腕が、海面から手を出し、振るう。しかし、指先ぎりぎりのところで、その手は泡に届かなかった。


「っ!………は、はっ」


 眩しさに顔を覆う湖畔。そして、徐々に腕をどかす。

 顔を上げて見ると、泡は、雲に近いところまで来て、まぶしい程の大洋の光を浴びていた。

 雲の量は3割ほど、360度見える水平線は、少し丸みを帯びているように見える。キラキラと輝き続ける海がどこまでも広がっており。横を見ると、底には()()()()()()()


「…陸だ」

「!!」


 小さく声を漏らす湖畔。それにつられ湖畔の方を霧子は見る。そして、息を漏らした。

 隆起する山、そして、海沿いに建てられた町。所々に存在する、緑という色。

 湖畔と霧子は、断片的になりかけていた地上の景色を、目の前の景色で補っていった。


「……」

「…霧子?」


 小さな嗚咽が聞こえ、湖畔は横を見る。霧子は、声を抑えて泣いていた。

 湖畔、和泉、霧子。3人は、陸に帰って来た。

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